反正天皇綾(田出井山古墳)

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反正天皇綾(田出井山古墳)

投稿日時:2017-05-21 12:27:15
別名百舌鳥耳原北陵(モズノミミハラキタノミササギ)
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反正天皇綾(田出井山古墳)

反正天皇綾と呼ばれるが実際の被葬者は分からない(古墳は宮内庁の管轄になり、宮内庁は古墳を掘り返すのを認めていないため)。
百舌鳥耳原北陵(モズノミミハラキタノミササギ)とも呼ばれる。
考古学的には「田出井山古墳」。
ちなみにこの田出井山古墳は反正天皇が被葬者ではないのではないか?とも言われていて(ただしあくまで説)、では反正天皇はどこに眠っているのかというと、その次の候補の古墳が「土師ニサンザイ古墳」です(これもあくまで説)。ニサンザイ・ミサンザイは「陵(ミササギ)」が訛ったものだと言われています。
この地域はかつて「楯井」と呼ばれていて、江戸時代までは楯井綾と呼ばれていました。楯井が転じて「田出井」になりました。
住所
大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町2丁
大きさ
墳丘長148m
高さ14.8m(前方部)
大きさで言うと7番目の古墳。
墳丘に設置された埴輪の形状を見ると5世紀の古墳と思われます。反正天皇は5世紀の天皇なのでそこは問題ないです。
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解説

方違神社
反正天皇綾の北東に「方違神社」があります。北東は鬼門です。よく鬼門を守るために神社を配置するんですが、現在の方違神社は「移設」されたもので、江戸時代には全く違う場所にありました。現在の仁徳天皇陵の近くで、江戸時代の図を見る限りは現在の仁徳天皇陵の西側です。
百舌鳥耳原三陵
仁徳天皇陵(大仙古墳)履中天皇綾(上石津ミサンザイ古墳)・反正天皇綾(田出井山古墳)の三代の天皇の古墳が並んでいまして、この三つを「百舌鳥耳原三陵」と呼んでいます。このうち、反正天皇綾は他の三つに比べて「小さい」ので反正天皇は眠っていないのではないか??とも言われています。
ところで仁徳天皇陵も仁徳天皇が眠っていないのではないか?とも言われますが、しかしどちらも説で今の所は、眠っているとも眠っていないとは言えません。
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引用

古事記からの引用
反正天皇の妃と子息子女
(反正)天皇の年は60歳で亡くなりました。丁丑(ヒノトウシ)の年の7月に崩御しました。御陵(ミササギ=墓)は毛受野(モズノ)にあります。

日本書紀からの引用
允恭天皇(八)小墾田采女は玉田宿禰の鎧を報告する
冬11月11日。瑞歯別天皇(ミツハワケノスメラミコト=反正天皇)を耳原陵(ミミハラノミサザキ)に葬りました。
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