神功皇后の実在性について

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神功皇后の実在性について

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神功皇后と戦争

神功皇后について話す前に
神功皇后は推古天皇以降の皇極天皇・持統天皇・元明天皇などの女帝をモデルにした架空の人物であるというのが、一般的な見方となっていますが、これは前の戦争の反動と考えたほうがいいです。

戦争と神話
日本が朝鮮半島を併合する際に、その根拠の一つとしたのが「神功皇后の朝鮮征伐」でした。つまり、あそこは元々、日本だったんだよ、という理由付けです。「皇国史観」というやつですね。そんなことで理由になるわけは無いのですがね。また、日本はロシアの進出を食い止めるために朝鮮半島を強化する必要があった。焦りも相当にあったわけです。

その後、敗戦すると「皇国史観」の反動で、神道は駄目、天皇は駄目という極端なものの考え方をする人が増えました。しかし、戦後70年も経つとその呪縛も徐々に薄れてきました。昨今の中韓に対する国民感情の変化はその表れでしょう。むしろあの戦争について客観的に判断が出来る時代が来たんでしょう。

余計な知識を消して
神話だから信用できない、というのは極端です。過去の戦争と古事記・日本書紀は無関係です。神功皇后の物語を、フィルターを通さず素直に見つめると、真実が見えてきます。
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考えてみる

雄略天皇
神功皇后が実在したか、否かの話をする前に、まず古事記の記述と中国・朝鮮の史書を照らし合わせる必要があります。

その中で確実に在位が分かっているのが「雄略天皇」です。

雄略天皇の幼名は「ワカタケル」。この名前が彫られた「剣」が発見されています。それが有名な「稲荷山古墳出土の鉄剣銘」です。

倭の五王
この鉄剣が作られたのが5世紀中葉。また中国の歴史書「宋書」には中国に朝貢した倭の五王(讃、珍、済、興、武)が記されています。その倭王の「武」が雄略天皇とされ、武が中国に朝貢したのが478年。なぜ「武」を「雄略」としたのかについては「幼名ワカタケル」の「タケル」を「武」に当てたと考えるのが自然であり、稲荷山古墳の鉄剣の年代・記述とも一致すること、古事記や日本書紀に書かれた天皇の没年(雄略、己巳489年)の干支と照らし合わせても矛盾が無いからです。

雄略天皇が武となると、興は安康天皇、済は允恭天皇となる。ただ、宋書と記紀に食い違いがあって、讃、珍はまだ意見が分かれるが、まぁ応神天皇(没年394年)・仁徳天皇(没年427年)・履中天皇(没年432年)・反正天皇(没年427年)のどれか。

新羅本紀には倭人が首都を包囲したと
雄略天皇から7代前の仲哀天皇のときに朝鮮征伐があったとされています。記紀の記述と中韓の史書から考えても4世紀が朝鮮征伐の時期でしょう。

では4世紀のいつか?というと、朝鮮の「新羅本紀」には346年と393年に首都金城(現在の慶州市)が倭人に包囲されたとあるので、このどちらかです。
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実は状況証拠は揃っている

朝鮮の史書は乏しいですが、当時としては「正式な国の歴史書」です。書かれたのは12世紀ですが、おそらく元ネタもあったと思われるので、出鱈目とはいえません。また広開土王の碑にも「倭」の4世紀の朝鮮半島進出が書かれているのです。
どう考えても日本は4世紀に朝鮮半島進出をしている
朝鮮の歴史書、広開土王の碑には倭の朝鮮半島進出はしっかりと書かれているわけですから、少なくとも朝鮮半島進出はあったのです。これは間違いない。ただ朝鮮人は絶対に認めないでしょうが。
よって神功皇后は実在したと考えるべきです。記紀の内容が外国の史書と一致しているのですから、「実在したと考えるのが自然」です。無理が無い。

神功皇后という女性である不思議
それが女帝であったかは分かりませんが、女帝じゃないのに女帝と書く必要はないでしょう。そりゃ女帝だったんですよ。少なくとも、女帝じゃない、創作だ、と断ずるのは難しいです。わざわざ仲哀天皇という男性の、しかも天皇が死んでしまうという、後々に天皇家の威信に関わるような物語を「でっちあげ」てまで「女帝を作った」というのはファンタジーが過ぎるのではないか?と思います。

神功皇后はいたのでしょう。
そう考えるのが自然です。

個人的コラム

ちなみに応神天皇は古事記では130歳、日本書紀では111歳で死んだ、とされます。魏志倭人伝には「倭人は春と秋で年とする」と書いてあるので、「二倍暦」の可能性が高い。

応神天皇の没年394年から日本書紀の場合だと111の半分55歳を引くと生まれ年は339年。古事記の130歳の半分は65歳。これを引くと生まれは329年。これが事実と仮定すると応神天皇は仲哀天皇の子で、あの異常出産は応神天皇の箔付けのフィクションと考えるべきでしょうね。

まぁ、これをどう考えるかは各人で。
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