スポンサードリンク
九月甲子朔戊辰(三)誓約による飴作りと漁
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket原文
是時、虜兵滿路、難以往還。時、椎根津彦、乃祈之曰「我皇當能定此国者行路自通、如不能者賊必防禦。」言訖徑去。時、群虜見二人、大咲之曰「大醜乎大醜、(此云鞅奈瀰爾句老父老嫗)。」則相與闢道使行、二人得至其山、取土來歸。於是、天皇甚悅、乃以此埴、造作八十平瓮・天手抉八十枚(手抉、此云多衢餌離嚴瓮)、而陟于丹生川上、用祭天神地祇。則於彼菟田川之朝原、譬如水沫而有所呪著也。天皇又因祈之曰「吾今當以八十平瓮、無水造飴。飴成、則吾必不假鋒刃之威、坐平天下。」乃造飴、飴卽自成。又祈之曰「吾今當以嚴瓮、沈于丹生之川。如魚無大小悉醉而流、譬猶柀葉之浮流者柀、此云磨紀、吾必能定此国。如其不爾、終無所成。」乃沈瓮於川、其口向下、頃之魚皆浮出、隨水噞喁。
スポンサードリンク
現代語訳
このとき敵の兵が沢山居て、老夫婦に変装していても天香山(アマノカグヤマ)の土を取りに行くのは難しかった。それで椎根津彦(シイネツヒコ)は誓約をしました。
「わたしの皇(オオキミ)がこの国を治めるべきならば、道を当然のように通れるだろう!! もし治められないならば、敵は私たちを邪魔するだろう!」
言い終わって、ただ進みました。
すると群れた敵が二人(=椎根津彦と弟猾)を見て大笑いして言いました。
「なんてみっともない爺さんと婆さんなんだ!!」
それで道を開けて、二人を通しました。
二人はその山に到着して土を取って帰りました。
天皇はとても喜び、すぐにこの土で八十平瓮(ヤソヒラカ)、天手抉(アマノタクジリ)を80枚、嚴瓮(イツヘ)を作って丹生(ニウ)の河の上流に登って、天津神や国津神を奉って、菟田川(ウダガワ)の朝の河原に水の泡のように(敵軍が儚いものになる)呪いを掛けて、浸けました。
天皇はまたここで誓約をしました。
「わたしは今、八十平瓮(ヤソノヒラカ)で水無しに飴(タガネ=アメ)を作ろう。飴が出来たならば、私は必ず武力を使わずに天下を平定できるだろう」
それで飴を作りました。
飴が自然と出来ました。
また誓約をしました。
「わたしは今、嚴瓮(イツヘ)を丹生之川(ニウノカワ)に沈めよう。もし魚の大小にかかわらず、マキ(=植物名)の葉っぱが流れるように酔っぱらって浮かび上がって流れたら、私は必ずこの国を治めるだろう。もし、そうならなかったら全ては失敗する」
すぐに瓮(ヘ)を川に沈めました。
その瓶の口が下に向きました。
しばらくして、魚が皆浮かび上がり、水面のまにまに噞喁(アギト=魚が水面に口を出してパクパクすること)しました。
「わたしの皇(オオキミ)がこの国を治めるべきならば、道を当然のように通れるだろう!! もし治められないならば、敵は私たちを邪魔するだろう!」
言い終わって、ただ進みました。
すると群れた敵が二人(=椎根津彦と弟猾)を見て大笑いして言いました。
「なんてみっともない爺さんと婆さんなんだ!!」
それで道を開けて、二人を通しました。
二人はその山に到着して土を取って帰りました。
天皇はとても喜び、すぐにこの土で八十平瓮(ヤソヒラカ)、天手抉(アマノタクジリ)を80枚、嚴瓮(イツヘ)を作って丹生(ニウ)の河の上流に登って、天津神や国津神を奉って、菟田川(ウダガワ)の朝の河原に水の泡のように(敵軍が儚いものになる)呪いを掛けて、浸けました。
天皇はまたここで誓約をしました。
「わたしは今、八十平瓮(ヤソノヒラカ)で水無しに飴(タガネ=アメ)を作ろう。飴が出来たならば、私は必ず武力を使わずに天下を平定できるだろう」
それで飴を作りました。
飴が自然と出来ました。
また誓約をしました。
「わたしは今、嚴瓮(イツヘ)を丹生之川(ニウノカワ)に沈めよう。もし魚の大小にかかわらず、マキ(=植物名)の葉っぱが流れるように酔っぱらって浮かび上がって流れたら、私は必ずこの国を治めるだろう。もし、そうならなかったら全ては失敗する」
すぐに瓮(ヘ)を川に沈めました。
その瓶の口が下に向きました。
しばらくして、魚が皆浮かび上がり、水面のまにまに噞喁(アギト=魚が水面に口を出してパクパクすること)しました。
スポンサードリンク
解説
飴
どうやら米から作るもので、現在の飴とは違うものですが、それでも「甘いもの」を求める感覚があったのかなとも。
それにしてもどうして、天皇が「飴」を作るのか? 杯と酒瓶をつくり、今度は飴。
日本では神のご機嫌を取るということが政治の大きな仕事でした。「政」と書いて「まつりごと」と読むのはそのためです。ではご機嫌を取る為に何をするか?というと、踊ったり、歌を歌ったり、神楽だったり、相撲だったり、そういう楽しい事をすれば、機嫌が良くなって、天変地異が無くなり、稲が沢山実ると考えていた訳です。
その機嫌を取る方法の一つが「料理」でした。
料理がおいしいと人間も感動しますが神様も感動します。だから調理は、世界を安定させる大事な技能でした。コックは世界を変える力がったのです。その大事な仕事を天皇も関わっていた。というか、天皇という仕事は神を祀る事、その中に料理も当然ながら入っているということでしょう。
このページでの飴と魚はこの料理を重視する古代の感覚のためではないかと。
どうやら米から作るもので、現在の飴とは違うものですが、それでも「甘いもの」を求める感覚があったのかなとも。
それにしてもどうして、天皇が「飴」を作るのか? 杯と酒瓶をつくり、今度は飴。
日本では神のご機嫌を取るということが政治の大きな仕事でした。「政」と書いて「まつりごと」と読むのはそのためです。ではご機嫌を取る為に何をするか?というと、踊ったり、歌を歌ったり、神楽だったり、相撲だったり、そういう楽しい事をすれば、機嫌が良くなって、天変地異が無くなり、稲が沢山実ると考えていた訳です。
その機嫌を取る方法の一つが「料理」でした。
料理がおいしいと人間も感動しますが神様も感動します。だから調理は、世界を安定させる大事な技能でした。コックは世界を変える力がったのです。その大事な仕事を天皇も関わっていた。というか、天皇という仕事は神を祀る事、その中に料理も当然ながら入っているということでしょう。
このページでの飴と魚はこの料理を重視する古代の感覚のためではないかと。
スポンサードリンク
SNSボタン
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocketページ一覧
神武天皇(日本書紀)の表紙へ
- Page12 秋八月甲午朔乙未(二)來目歌
- Page13 秋八月甲午朔乙未(三)吉野の先住民
- Page14 九月甲子朔戊辰(一)天平瓮と嚴瓮と酒と嚴呪詛
- Page15 九月甲子朔戊辰(二)椎根津彦と弟猾に変装させて
- Page16 九月甲子朔戊辰(三)誓約による飴作りと漁
- Page17 九月甲子朔戊辰(四)嚴媛と名付ける
- Page18 冬十月癸巳朔(一)神風の伊勢の海の大石にやい這い廻る細螺
- Page19 冬十月癸巳朔(二)道臣命の密命と歌
- Page20 冬十月癸巳朔(三)來目部の勝利の歌
スポンサードリンク