八田皇女をめぐる、歌のやり取り

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仁徳天皇(二十一)八田皇女をめぐる、歌のやり取り

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原文

廿二年春正月、天皇語皇后曰「納八田皇女、將爲妃。」時皇后不聽、爰天皇歌、以乞於皇后曰、
于磨臂苔能 多菟屢虛等太氐 于磋由豆流 多由麼菟餓務珥 奈羅陪氐毛餓望
皇后答歌曰、
虛呂望虛曾 赴多弊茂豫耆 瑳用廼虛烏 那羅陪務耆瀰破 箇辭古耆呂介茂
天皇又歌曰、
於辭氐屢 那珥破能瑳耆能 那羅弭破莽 那羅陪務苔虛層 曾能古破阿利鶏梅
皇后答歌曰、
那菟務始能 譬務始能虛呂望 赴多弊耆氐 箇區瀰夜儾利破 阿珥豫區望阿羅儒
天皇又歌曰、
阿佐豆磨能 避介能烏瑳介烏 介多那耆珥 瀰致喩區茂能茂 多遇譬氐序豫枳
皇后、遂謂不聽、故默之亦不答言。
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現代語訳

即位22年春1月。
天皇は皇后に語って言いました。
「八田皇女(ヤタノヒメミコ)を納(メシイ=後宮に入れて)れて妃としようと思う」
そのとき皇后は、聞き入れませんでした。天皇は歌を歌い、皇后に乞い願いました。
貴人(ウマヒト)の 立てつる言立(コトダテ) 設弦(ウサユヅル) 絶間(タユマ)継(ツ)がむに 並べてもがも
歌の訳貴人(=高貴な人=ここでは天皇のこと)の言葉にしたことってのは……弓の設弦(ウサユヅル=予備の弦)を弦が切れても絶間なく継ぐために、並べて置いておきたいってことなのだよ。
本弦(モトユヅル=磐之媛)が使えないときに設弦(ウサユヅル=八田皇女)を使うのだから、別にいいでしょ?ってこと。

皇后は歌を返しました。
衣(コロモ)こそ 二重(フタエ)も良き さ夜床(ヨドコ)を 並べむ君は 畏(カシコ)きろかも
歌の訳衣ならば二重にしても良いでしょうよ。でも、夜の寝床を並べようとするあなたって人は、恐ろしい人ですよ。

天皇はまた歌を歌いました。
押照(オシテ)るや 難波の崎の 並(ナラ)び浜 並べむとこそ その子はありけめ
歌の訳(「オシテル」は難波にかかる枕詞)難波の崎の「並び浜(=おそらく地名)」のように、並んでいられるだろうにとその子は思っていただろうなぁ

皇后は答えて歌を歌いました。
夏虫(ナツムシ)の 蚕(ヒムシ)の衣 二重(フタエ)着て 囲(カク)み宿(ヤダ)りは あに良くもあらず
歌の訳夏の虫である蚕が繭を二重に着て、囲んで宿にするようにするのが、良いことのわけないでしょう?

天皇がまた歌を歌いました。
朝妻(アサヅマ)の ひかの小坂(オサカ)を 片泣(カタナ)きに 道行く者も 偶(タグ)ひてぞ良き
歌の訳朝妻(=奈良県南葛城郡葛城村朝妻)のヒカ(=地名だが未詳)の坂を一人で泣いて道を行く者も、誰か相棒がいた方がいいでしょう。

皇后は、それでも聞き入れず、黙って答えませんでした。
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解説

仁徳天皇の八田皇女への感情
八田皇女は応神天皇と宮主宅媛(ミヤヌシノヤカヒメ)の娘であの「菟道稚郎子」の妹です。
応神天皇(二)即位、皇后と妃と子息子女
次の妃として和珥臣(ワニノオミ)の祖先の日觸使主(ヒフレノオミ)の娘の宮主宅媛(ミヤヌシノヤカヒメ)が菟道稚郎子皇子(ウジノワキイラツコノミコ)・矢田皇女(ヤタノヒメミコ)・雌鳥皇女(メトリノヒメミコ)を生みました。

また、菟道稚郎子が自殺したときに「妹を妃に」と仁徳天皇に頼んでいます。
仁徳天皇(六)「我が弟の皇子」からの遺体の復活
そうして、同母妹の八田皇女(ヤタノヒメミコ)を進めました。
「納采(アト=現在で言う所の結納品)には足らないかと思うが、掖庭(ウチツミヤ=後宮のこと)の数に足してくれないか」


このページの歌のやり取りは、仁徳天皇の性欲の話というよりは、菟道稚郎子の母親である宮主宅媛(ミヤヌシノヤカヒメ)の父親である「和珥臣(ワニノオミ)の祖先の日觸使主(ヒフレノオミ)」と、磐之媛の父親である葛城氏の「権力争い」が根本ではないか?と思います。

まぁ、そこに愛情や女のプライドとかそういう感情がなかったとも思わないし、仁徳天皇はこの後も浮気をするので、仁徳天皇に浮気性ではない、とも思いませんが。
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