えーシヤシコヤ

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えーシヤシコヤ

漢字・読みエーシヤシコヤ
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現代語訳

このとき歌った歌が……

宇陀の高原に 鴫(シギ)の罠を張ります。

私が待っているシギは掛からずに
鯨が掛かった。

古い妻が肴を欲しがったら、
肉の少ないところを、へぎとってあげると良い。

新しい妻が肴を欲しがったら、
肉の多いところを、へぎとってあげると良い。

えーシヤシコヤ(←攻めるときの掛け声)
あーシヤコシヤ(←相手への嘲笑の掛け声)
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解説

ここで歌われる歌は、「久米歌」です。この久米歌は大嘗会などの宮廷の儀礼で久米舞をするときに歌うものですが、本来は久米氏の戦いのときの宴会で歌った歌だろうと思われます。

シギの罠に鯨が
鳥のシギは体長でいうと鳩程度。この罠に海の鯨が掛かるというのがユニークというわけです。古代の氏族が戦争のときの宴会で、焚き火を囲んで、酒を飲みつつ、この歌を歌い、「超ウケル、シギの罠に鯨がかかるなんて!」といガハハガハハと笑っていたに違いない。

古い妻と新しい妻
古い妻には肉の少ないところと、新しい妻には肉の多いところを。ということは妻が複数いるのが当たり前ってことでしょうね。肉の多少は、現在でもなんとなく分かる洒落。
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個人的コラム

久米歌
久米歌は「戦い」の歌だ!
というのが定説なんですが、どー読んでも戦いの歌には聞こえない。狩の成功を祝う歌ってのが妥当なところでしょう。それに大嘗祭で舞う時に歌うってことですが、大嘗祭はそもそも、収穫祭です(天皇即位後、初めての新嘗祭のこと)。それがどうして勝利を祝うタイミングで歌われるのか。

個人的な解釈ですが。
エウカシオトウカシやエシキやエウカシはそもそも季節の巡りを神話にしたものだった。兄は古い季節で、弟は新しい季節。古い季節が死に、弟が残ることで新しい季節が巡る。そういう儀式をすることで季節が巡ると考えていた。となると儀式をしないと春にならない。春が来なければ作物は実らない。よって儀式をする氏族は税金を徴収できた。この神話を大和朝廷に取り込むことで、大和朝廷は氏族から税を徴収していた。

それがエウカシが死に、オトウカシが恭順したタイミングで、久米歌が歌われるのではないかと。久米歌は狩の成功を山の神に感謝する歌だが、同時にオトウカシの恭順の証でもあり、結果的に「勝利の歌」でもある、ってところでしょう。

原文

この時、歌曰ひたまはく、

宇陀の 高城に 鴫罠張る 我が待つや 鴫は障らず いすくはし 鯨障る 前妻が 肴乞はさば たちそばの 実の無けくを こきしひゑね 後妻が 肴乞はさば いちさかき 実の多けくを こきだひゑね ええ しやこしや こはいのごふそ ああ しやこしや こは嘲笑ふぞ《10》
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