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豊日別
漢字・読み | トヨヒワケ |
概要
物語・由来
古事記にのみ登場。九州(筑紫島)の四つの顔の二番目として名があげられている。豊日別を祀る豊日別宮(福岡県行橋市南泉)の社伝によると
とあるのです。
猿田彦(サルタヒコ)は天孫ニニギ尊が地上に降り立つ際に先導した神として有名ですが、記述を見ればそもそも猿田彦は「太陽神」であることが分かります。その太陽神「猿田彦」が天照大神の分神であると、社伝は言っているわけですね。だから、猿田彦に宮を作れと。
豊日別という神も太陽神なのでしょう。筑紫(九州)の四つの神の名前には全て「日」が入っていて、全てが太陽神であることは間違いない。
おそらくこういうことなんです
太陽信仰があった。それは農業をやっている以上はどこにでもあったことで珍しくないことです。その太陽神を、ある地域では豊日別と呼び、あるところでは白日別だった。あるところでは建日向日豊久士比泥別で、別の地域では建日別と呼んだ。九州以外のある地域では天照大神と呼び、また別の地域では猿田彦と呼んだ。
みんな同じ「太陽」を表していて、住民にとっては大事だった。ただ名前が違っただけ。でも名前が違うってことは別の神様なんですよ。この辺りが一神教とは違うんです。言霊信仰の日本では名前は特に大事。それに神は怖いものです。名前が違うけど、一緒なんだから一つに統一すればいいなんて、不敬はことはできない。
そういう感覚が、天照大神の分神の猿田彦を宮に祀る、という社伝が豊日別宮に残った理由じゃないかと思います。みんな一緒。でも違う。そういうややこしい感情の表れですね。
もしかして「別(ワケ)」という言葉は、同じ太陽神だけど「別けてる」という意味じゃないんでしょうか。そう考えると、筑紫島に4つの顔があるという話も、スッキリしますよね。
とあるのです。
猿田彦(サルタヒコ)は天孫ニニギ尊が地上に降り立つ際に先導した神として有名ですが、記述を見ればそもそも猿田彦は「太陽神」であることが分かります。その太陽神「猿田彦」が天照大神の分神であると、社伝は言っているわけですね。だから、猿田彦に宮を作れと。
豊日別という神も太陽神なのでしょう。筑紫(九州)の四つの神の名前には全て「日」が入っていて、全てが太陽神であることは間違いない。
おそらくこういうことなんです
太陽信仰があった。それは農業をやっている以上はどこにでもあったことで珍しくないことです。その太陽神を、ある地域では豊日別と呼び、あるところでは白日別だった。あるところでは建日向日豊久士比泥別で、別の地域では建日別と呼んだ。九州以外のある地域では天照大神と呼び、また別の地域では猿田彦と呼んだ。
みんな同じ「太陽」を表していて、住民にとっては大事だった。ただ名前が違っただけ。でも名前が違うってことは別の神様なんですよ。この辺りが一神教とは違うんです。言霊信仰の日本では名前は特に大事。それに神は怖いものです。名前が違うけど、一緒なんだから一つに統一すればいいなんて、不敬はことはできない。
そういう感覚が、天照大神の分神の猿田彦を宮に祀る、という社伝が豊日別宮に残った理由じゃないかと思います。みんな一緒。でも違う。そういうややこしい感情の表れですね。
もしかして「別(ワケ)」という言葉は、同じ太陽神だけど「別けてる」という意味じゃないんでしょうか。そう考えると、筑紫島に4つの顔があるという話も、スッキリしますよね。
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性格・能力
国産み
次は筑紫島(ツクシシマ=九州)を生みました。
この島も体が一つで顔が四つあります。
それぞれの顔に名前があります。
筑紫の国を白日別(シラヒワケ)といいます。
豊の国を豊日別(トヨヒワケ)といいます。
肥の国を建日向日豊久士比泥別(タケヒムカヒトヨクジヒネワケ)といいます。
熊曾の国を建日別(タケヒワケ)といいます。
この島も体が一つで顔が四つあります。
それぞれの顔に名前があります。
筑紫の国を白日別(シラヒワケ)といいます。
豊の国を豊日別(トヨヒワケ)といいます。
肥の国を建日向日豊久士比泥別(タケヒムカヒトヨクジヒネワケ)といいます。
熊曾の国を建日別(タケヒワケ)といいます。
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