古語拾遺(序)

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古語拾遺(序)

投稿日時:2018-03-10 01:03:51
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原文

蓋聞 上古之世 未有文字 貴賤老少 口口相傳 前言往行 存而不忘 書契以來 不好談古 浮華競興 還嗤舊老 遂使人歴世而彌新 事逐代而變改 顧問故實 靡識根源 国史家牒 雖載其由 一二委曲 猶有所遺 愚臣不言 恐絶無傳 幸蒙召問 欲攄蓄憤 故録舊説 敢以上聞 云爾

現代語訳

確かに聞いたことでございます。
古い古い世に…まだ文字が無かった時のことです。貴賎老少(キセンロウショウ=貴人も卑しい者も老人も子供も)は口々に伝え、古い言葉や古い行事が存在しており、忘れられていません…と聞いています。
書契(文字で書き記すこと)するようになって以来、古いことを語ることを好んでしませんでした。浮華(フカ=うわべだけが華やかなこと)ばかりを競い合うようになり、また、古いものを笑うようになりました。遂には人をして世を経て新しくなり、代が変わると変改してしまいました。顧みて、故実(=昔からの慣例)を問いますに、その根源が何だったのか分からなくなりました。国史(=朝廷が編纂した歴史書)・家牒(家に伝わる記録)、その由緒を載せていると言いましても、一つや二つの委曲(細かな事)は、漏れているものです。愚かな臣下はそのことを進言せず、恐らくは絶えてしまい、伝わることもないのでしょう。幸いなことに、(平城天皇に)呼ばれて質問をされることになったので、蓄積した憤慨した思いを述べたいと思っている。それで、旧説を記録して、上聞(=朝廷に言うこえと)すると、申し上げることになりました。
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解説

大同2年(807年)に古語拾遺を記した斎部広成は、古語拾遺を書く前の大同元年(806年)に中臣氏と裁判になっています。中臣氏が「斎部氏には祝詞を唱えて幣帛(ヘイハク)を捧げる儀式はできない。斎部氏ができるのは幣帛を作ることだけ!」と主張し、斎部氏は当然、「幣帛を捧げることも祝詞もできる!」と主張します。
中臣氏は藤原氏(鎌足)の出現以降、朝廷内で力をつけていて、役職を独占していました。その中での斎部氏排斥だったのですが、この裁判に斎部氏は勝ちます。
●根拠は日本書紀の記述と神祇令から。

斎部広成の古語拾遺記述は、この裁判の勝利を受けてのこと。さて、長年の憤慨を吐き出すチャンスに恵まれた斎部広成はどんな物語を記したのか。
古事記とも似ている
古事記の序文の中に
稗田阿礼への勅語
天武天皇は言いました。
「聞くところによると、あちこちに伝わっている歴史・伝承・神話があるが、事実とは違っていたり、嘘が混じっているらしい。だとすると今のうちのその誤りを正しておかないと、歴史・伝承・神話の趣旨が失われてしまう。
これら伝承は日本の国家組織の原理を表している。正しい歴史を編纂して後世に伝えようと思う」

という箇所があり、古い神話が大事だという感覚が共通していると思う。
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