伊斗村

MENU
TOP > 伊斗村
スポンサードリンク

伊斗村

投稿日時:2019-04-26 11:27:03
漢字・読みイトノムラ
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

伊斗村(イトノムラ)とは

伊斗村(イトノムラ)は古事記に登場する地名。日本書紀では「伊都」と表記される。古事記によると神功皇后応神天皇の出産を遅らせた「石」が置いてある場所とし、日本書紀では伊都県を統括する五十迹手(イソテ)という人物が登場する。仲哀天皇の時代に伊都は大和朝廷に参加したのでしょう。思いっきりへつらう様子が書かれています。「出産を遅らせる石」は伊都の神話(習俗)だったのだろうと思います。
石と出産おそらく早産は忌むべき現象だったはず(死産するから)。そこで早産を忌避するための儀式があったのでしょう。出産に石が関わるのは、「景行天皇(二)大碓と小碓の出産」にも見られる。
朝鮮の人類起源神話にも出産と石臼の関係が見られるので、広範囲で出産と石が関わっていたと思われる。

俗に言う「魏志倭人伝」にも「伊都国」という表記があり、1000戸(=戸は家の単位=人口を表す)と王がいて、女王国(=邪馬台国)に従っていると書いてある。立地から朝鮮半島→対馬→壱岐→伊都国が一直線に並んでいるので、貿易航路であり、伊都国は貿易中継地だったか、貿易を統括していたのだと思います。魏志倭人伝によると末盧国に入ってから伊都国に向かっています。つまり魏志倭人伝が書いた3世紀の時点でかなりの重要な都市だったということです。
比定地
福岡県糸島市、福岡市西区(旧怡土郡)
スポンサードリンク

古事記からの引用

宇美と伊斗村
その子(ホンダワケ=応神天皇)が生まれた土地を「宇美(ウミ)」といいます。
その腰につけた石は筑紫の伊斗村にあります。

日本書紀からの引用

仲哀天皇(九)伊覩県主の祖先、五十迹手と伊覩の地名説話
「臣(ヤツカレ=部下=自分のこと)は敢えて、この物を献上する理由は、天皇は八尺瓊(ヤサカニ=勾玉)の勾(マガ=曲が)っているように、曲妙(タエ)に天下を治め、また白銅鏡(マスミノカガミ)のように分明(アキラカ)に山川海原を看て、この十握剣をひっさげて天下を平定していただきたいと思っているからです」
天皇は五十迹手(イトテ)を褒め称えて
「伊蘇志(イソシ=勤)」
といいました。それでその時代の人は五十迹手(イトテ)の本土を名付けて「伊蘇国(イソノクニ)」といいます。今、伊覩(イト)というのは訛ったからです。

神功皇后(九)荒魂を先鋒に和魂を鎮に・皇后の開胎
そのとき、たまたま皇后の開胎(ウムガツキ=産む月)にあたりました。皇后はすぐに石を取って腰に挟んで、祈って言いました。
「事を終えて、帰った日にここで生まれろ!」
その石は今、伊都縣(イトノアガタ)の道のほとりにあります。
スポンサードリンク

SNSボタン

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket
スポンサードリンク

管理人リンク

編集