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古語拾遺34 歴史の回顧
投稿日時:2019-09-04 17:25:27TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket
原文
起自天降 洎乎東征 扈從群神 名顯国史 或承皇天之嚴命 爲寶基之鎮衛 或遇昌運之洪啓 助神器之大造 然則 至於録功酬庸 須應預祀典 或未入班幣之例 猶懷介推之恨
現代語訳
天孫降臨してから、神武天皇が東征するまでに、お供した群神(カミガミ)の名前は国史(=古事記・日本書記)に記されている。あるいは皇天(アマツカミ=アマテラスと高皇産靈尊)の命を受けて、宝基(アマツヒツギ=皇統)を鎮守し護衛するようになる。あるいは昌運(ミイツ=盛運)が大きく開き、神器(ミカド=天皇)の大造(オオミワザ=仕事)を助けました。その功績を記録し、その功績に報いるには、祭礼によるべきだろう。いまだに班幣(ハンペイ=朝廷から神に送られる幣帛)を送る一覧に入れられず、介推の恨みを抱かせるものです。
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解説
天皇というか日本が発展する際に、功績のある氏族に幣帛が送られず、中臣氏の思うがままになっていることを批判する。
介推の恨み
中国の春秋戦国時代に晋の文公の家臣だった人物の介推のこと。介推は文公が讒言により、国を追われて流浪していたときに文公を支えたが、文公が王になった途端に冷遇されて、文公の元から離れた。その後、文公が介推を呼び寄せたのだが、山に火を放って死んでしまった。これが「介推の恨み」。
介推の恨み
中国の春秋戦国時代に晋の文公の家臣だった人物の介推のこと。介推は文公が讒言により、国を追われて流浪していたときに文公を支えたが、文公が王になった途端に冷遇されて、文公の元から離れた。その後、文公が介推を呼び寄せたのだが、山に火を放って死んでしまった。これが「介推の恨み」。
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