大鞆和気命の名前の理由

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大鞆和気命の名前の理由

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原文

また息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト)。こは大后なり。を娶して生みましし御子、品夜和気命(ホムヤワケノミコト)、次に大鞆和気命(オホトモワケノミコト)、亦の名は品陀和気命(ホムダワケノミコト)。二柱。この太子の御名に大鞆和気命(オホトモワケノミコト)と負はせし所以は初め生れましし時、鞆の如き宍御腕(シシミタダムキ)に生りき。かれ、その御名に著けまつりき。ここをもちて腹中(ハラヌチ)に坐して国を知らしめしき。この御世に淡道の屯家を定めたまひき。

現代文訳

息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト)は仲哀天皇の皇后です。オキナガタラシヒメを娶って産まれた子が、品夜和気命(ホムヤワケ)、大鞆和気命(オホトモワケ)別名が品陀和気命(ホムダワケノミコト)です。

この皇太子(ホンダワケ)に「オオトモワケ」という名前がついたのは、生まれたときに、肩につける武具のように腕が成っていたからです。

ホンダワケは皇后(オキナガタラシヒメ)のお腹の中に居たときから国を治めていました。

この時代に淡路島の屯倉を定めました。
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解説

神功皇后ことオキナガタラシメが登場。子供は二人。まず「ホムヤワケ」。そして応神天皇こと「ホンダワケ」。ホンダワケが皇太子となっているということは、兄より弟が皇太子になったということ。末子相続(末っ子が家督を継ぐ)というのがまだ続いています。


鞆(トモ)は肩につける武具、というか防具のこと。この武具のような形の「肉」がついていた。神の啓示か、それとも凶兆か。現代に生まれていたら、人権団体によってメディアに取り上げられることも無いでしょうに。

ホンダワケは神功皇后の腹の中で、朝鮮征伐に関わります。そして腹の中ながら天下を治めます。特別が過ぎます。
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