御刀媛を妃に迎える

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景行天皇(十四)御刀媛を妃に迎える

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現代語訳


即位13年夏5月。
完全に襲國を平定しました。高屋宮(タカヤノミヤ)に居るようになってすでに6年です。その国に佳人(カオヨキオミナ)がいました。御刀媛(ミハカシヒメ)といいます。
御刀は彌波迦志(ミハカシ)といいます

すぐに呼び寄せて妃としました。
豐國別皇子(トヨクニワケノミコ)を生みました。
この皇子は日向国造(ヒムカノクニノミヤツコ)の始祖です。
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解説

精力旺盛が過ぎるぞ
景行天皇(二)大碓と小碓の出産景行天皇(四)弟媛は鯉の遊戯に誘われて景行天皇(五)妃達とその皇子と皇女景行天皇(六)80人の子供、兄遠子と弟遠子と大碓命で見られるように景行天皇は実に子沢山。普通、双子が生まれた時点でいろいろと「大変だなぁ」と躊躇しそうなもんだけど。

それはともかく、今度は遠征先で美人を見つけて子供をもうけ、その子供はそのままその土地の名士となりました。すごいな。

御刀媛ってのは一体なんなんでしょうか。ちなみに古事記には「景行天皇の皇后と皇子」に
日向の美波迦斯毘売(ミハカシビメ)を娶って生んだ子供が 豊国別王(トヨクニワケノミコ) です。

という記述があります。

刀は「佩く(ハク)」ものです。佩くというのは現代語でいうと「帯刀する」みたいな。腰に差している状態をイメージすればいいかと。その「佩く」の名詞形が「ハカシ」です。御刀媛という漢字から考えて、「女剣士」というイメージしか私には湧きませんね。

景行天皇は熊襲で征伐をするうちに現地の美人女剣士と恋に落ちた……といったところでしょうか。景行天皇の九州征伐編になってから、女性が「女首領」というケースが多いことを考えると、女剣士というのはあながち間違ったことではなんじゃないかと思います。
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原文

十三年夏五月、悉平襲國。因以居於高屋宮已六年也、於是其國有佳人、曰御刀媛(御刀、此云彌波迦志)、則召爲妃。生豐國別皇子、是日向國造之始祖也。
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