小墾田采女は玉田宿禰の鎧を報告する

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允恭天皇(八)小墾田采女は玉田宿禰の鎧を報告する

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現代語訳

天皇はこれを聞いて、玉田宿禰(タマタノスクネ)を呼び出しました。玉田宿禰(タマタノスクネ)は天皇を疑い、甲(ヨロイ)を服の中に着込んで、参上しました。甲(ヨロイ)の端が服の中から出ていました、天皇は明らかにその様子がわかったので、すぐに小墾田采女(オハリダノウネメ=小墾田は奈良県明日香村の地名、采女は氏族から献上された娘)を玉田宿禰に酒を注がせました。采女は明らかに服の中に鎧があることを見て、詳細に天皇に申し上げました。天皇は兵を用意して、殺そうとしました。玉田宿禰は密かに逃げて家に隠れました、天皇はさらに兵を興して、玉田の家を囲み、捉えて誅殺しました。

冬11月11日。瑞歯別天皇(ミツハワケノスメラミコト)を耳原陵(ミミハラノミサザキ)に葬りました。
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解説

玉田宿禰はなぜ殺されたか?
玉田宿禰の根本は「職場放棄」でした。仕事をしないで宴会していて、それがバレて、様子を見に来ていた尾張連吾襲(オワリノムラジアソ)を殺してしまった。

その後、武内宿禰の墓に逃げ込んだ。古代では墓を作るということは「反逆の兆候」でした。これは神功皇后に反逆した麛坂王(カゴサカノミコ)・忍熊王(オシクマノミコ)や壬申の乱で天武天皇も同様のことをしています。墓を作る、という名目で人を集めて、それを兵にするのです。

玉田宿禰が祖先の武内宿禰の墓へと逃げたことにはそういう「ニュアンス」があったのでしょう。玉田宿禰が允恭天皇に殺されたのは、何のことはない「クーデターの失敗」から、だと思います。
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原文

天皇聞之、喚玉田宿禰。玉田宿禰疑之、甲服襖中而參赴、甲端自衣中出之。天皇分明欲知其狀、乃令小墾田采女賜酒于玉田宿禰、爰采女分明瞻衣中有鎧而具奏于天皇。天皇設兵將殺、玉田宿禰乃密逃出而匿家。天皇更發卒、圍玉田家而捕之乃誅。冬十有一月甲戌朔甲申、葬瑞齒別天皇于耳原陵。
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