由碁理(ユゴリ)

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由碁理

漢字・読みユゴリ
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由碁理(ユゴリ)

由碁理(ユゴリ)は開化天皇(9代)の后の竹野比売(タカノヒメ)の親。性別をはっきりさせる記述はない。古事記によれば「丹波の大県主」。日本書紀には娘の「丹波竹野媛(タニハノタカノヒメ)」の記述はあるが、親の由碁理自身の記述はない。

丹羽は現在の「京都府中部、兵庫県北東部、大阪府北部」。
丹羽は内陸の「上国」で、由碁理(ユゴリ)はこの地域の人物だったと思われる。

物語・由来

勘注系図
京都府宮津市に鎮座する籠神社の社家の海部氏に伝わる「海部氏系図」の「勘注系図」には由碁理の名前が見られます。ここでは由碁理は建諸隅命と同一で、その娘には古事記・日本書紀同様に「竹野姫」がおり、建諸隅命は開化天皇(9代)に仕えたともあります。

また建諸隅命の妹には大倭久邇阿禮姫命(オオヤマトクニアレヒメ)が見られます。彼女は孝霊天皇(7代)の妃で、有名な吉備津彦やヤマトトトヒモモソヒメの母親として古事記に見られる名前です(日本書紀ではオオヤマトクニアレヒメは「倭国香媛」と表記される)。

しかし、オオヤマトクニアレヒメは別名が「ハヘイロネ」で、古事記によれば、親は和知都美命(ワチツミノミコト)なる人物で、和知都美命(ワチツミノミコト)は「淡道(アハジ)の御井宮(ミイノミヤ)」に居ると書いてあります。

建諸隅命の親は勘注系図によると、「建田勢命」で、当然、和知都美命(ワチツミノミコト)ではない。つまり、あくまで古事記によれば、オオヤマトクニアレヒメは丹羽とは関係ないし、親も違う。勘注系図と古事記・日本書紀は矛盾する。

そもそもの話で、勘注系図は成立が9世紀で、古事記(712年成立)より新しい。古事記を参考にして、ある程度創作された可能性もある(あくまで可能性)。しかし、それにしては作りが雑に思う。由碁理に関してはドンピシャな作りなのに、大倭久邇阿禮姫命に関しては矛盾しまくり。まぁ、後世に付け足された可能性もあるし、なんとも言えないが、私は矛盾していることが、この系図のリアリティを高めていると思う。つまり、史実かどうかはともかく、執筆時に「そういう口伝・伝承」はあったのではないかと。まぁ、あくまで可能性の話です。
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子孫

古事記によると
開化天皇(9代)
竹野比売(タカノヒメ)…丹波の大県主の由碁理(ユゴリ)の娘
比古由牟須美命(ヒコユスミノミコト)

比古由牟須美命(ヒコユスミノミコト)の子が大筒木垂根王(オオツツキタリネ王)と讃岐垂根王(サヌキタリネ王)。このうち大筒木垂根王の娘の迦具夜比売命(カグヤヒメ)が垂仁天皇(11代)の后になり、袁耶弁王(オザベ)を生んでいます。
日本書紀によると
開化天皇(9代)
丹波竹野媛(タニハノタカノヒメ)…出自の記述なし
彦湯産隅命(ヒコユムスミノミコト…別名を彦蔣簀命【ヒコモスノミコト】

日本書紀の異説では「丹波道主王(タニハノチヌシノオオキミ)」の親が彦湯産隅命だと書いてあります。そして丹波道主王の娘が垂仁天皇の皇妃になる「日葉酢媛(ヒバスヒメ)・渟葉田瓊入媛(ヌハタニイリビメ)・眞砥野媛(マトノヒメ)・薊瓊入媛(アザミニイリビメ)・竹野媛(タケノヒメ)」です。
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引用

古事記からの引用
開化天皇の子供たち
開花天皇が丹波の大県主の由碁理(ユゴリ)の娘の竹野比売(タカノヒメ)を娶って、産んだ子供は比古由牟須美命(ヒコユスミノミコト)です。


日本書紀からの引用
開化天皇(日本書紀)
これ以前に開化天皇は丹波竹野媛(タニハノタカノヒメ)を妃としていました。妃は彦湯産隅命(ヒコユムスミノミコト…別名を彦蔣簀命【ヒコモスノミコト】)を生んでいました。
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