ニニギの天孫降臨

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ニニギの天孫降臨

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原文

是に詔りたまひけらく、「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。故、此地は甚吉き地。」と詔りたまひて、底津石根に宮柱布斗斯理、高天の原に氷椽多迦斯理て坐しき。

現代語訳

ニニギは言いました。

「この土地…日本は、韓国(カラクニ=朝鮮半島)に対峙していて、
笠沙の御崎(カササノミサキ)にまっすぐに通り、
朝日がしっかりと注ぐ国で、夕日が照らす国だ。
ここはとても良い土地だ」

そして底津石根(地底深くの石)に太い柱を立て、空にそびえるほどに壮大な宮殿を建てて住みました。
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解説

韓国
数々の神を従え、ついに天孫降臨を成した。そのセリフの冒頭に「韓国と対峙している」というのは、何故でしょうか??
朝鮮半島と日本の関係が当時どういったものだったのか?というのが大事な問題となるのですが、この辺りがイマイチハッキリしません。

古代において日本は朝鮮半島から多くの文化を吸収していた、とされるのですが、わたしは「ホンマかいな」と疑っています。というのも朝鮮半島で前方後円墳が発見されるからです。この前方後円墳は大和朝廷の専売特許とも言うべき古墳で、朝鮮半島では5世紀前後に集中し、日本では当然ながら3世紀から8世紀の間です。日本発祥の前方後円墳がなぜ韓国で見つかるか?

結局は朝鮮半島の南側の多くが「日本」もしくは「日本側」というべき文化圏だったと考える方が適しています。ただし、当時の朝鮮半島は朝鮮人・北方民族・中国人・日本人が住む土地。誰のものというわけではなく、割拠していたのでしょう。

ところが歴史が進み、日本が新羅・唐の連合軍に敗れて、「くそ!」という恨みが韓国・新羅憎しの感情になっていたと思われます。

半島から文化を吸収していたという話は他の点でもちょっと疑問に思っています。それは稲です。稲の遺伝子が半島の稲のそれとは決定的に違うからです。日本の稲は中国南部の稲と同じもの。朝鮮半島を経由していないのです。残念なのは朝鮮半島に文献らしいものがほとんど無く、検証が難しいこと。
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