大和国造の先祖サオネツヒコ

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大和国造の先祖サオネツヒコ

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原文

また「従ひて仕へ奉らむや」と問ひたまへば、「仕へ奉らむ」と答へ曰しき。かれここに、槁機を指し渡し、その御船に引き入れて、即ち、名を賜ひて槁根津日子と号けたまひき。こは倭国造等の祖なり。

現代語訳

その亀に乗って釣りをしていた人に
「わたしたちに従い、仕えないか?」
と尋ねると

「お仕えしましょう」
と答えました。

その人に槁機(=竿)を差し渡して、兄弟神の船へと引き入れました。
そして槁根津日子(サオネツヒコ)という名前を授けました。
この人は倭国造(ヤマトノクニノミヤツコ)などの先祖です。
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解説

つまり兄弟神に海路を道案内した人
兄弟神は海流の激しいところで立ち往生していました(たぶんね)。そこに道案内を申し出たか、させたか――それが「サオネツヒコ」です。物語では亀に乗って釣りをしている「サオネツヒコ」の元に(兄弟神が)竿を差し渡して――つまり竿を渡り板にして、船に移動させています。

サオネツヒコが大和国造の先祖になったと書いてあります。

瀬戸内海にしても、四国と九州の間にしても、内陸ですから穏やかな海――だとされますが、意外と海流が激しいのです(例えば平家物語の壇ノ浦の合戦など)。ところが、この海流の向きを理解していれば、本州の端の関門海峡から、大阪の辺りまでは、船を漕ぐ必要もさほどなく簡単に移動できます。もちろん逆向きの場合もです。「海流」をしっていること――それは軍事・貿易の面で強力な知識だったはずです。神を支えるのは「人の知恵」とは興味深い話です。
海の民である槁根津日子(サオネツヒコ)が倭国造?
海の道を知り、亀に乗って釣りをしていた槁根津日子が、功績があるとはいえ、内陸の大和の国造になるなんて、不思議ですね。
古事記では槁根津日子はここ以降に名前は出ないのですが、日本書紀では海での出会い後も、ちょくちょく登場して重要な役割を果たします。
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