吉野川の鵜飼

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吉野川の鵜飼

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原文

かれ、その教へ覚しの随に、その八咫烏の後より幸行せば、吉野河の河尻に到りましし時、筌を作りて魚を取る人あり。ここに天つ神の御子、「汝は誰ぞ」と問ひたまへば、「僕は国つ神、名は贄持之子と謂ふ」と答へ白しき。こは阿陀の鵜養の祖なり。

現代語訳

イワレビコがタカギ神の教えどおりに、ヤタガラスの後をついて行くと、吉野川の川下に付きました。

そこには筌(ウエ)を作って魚を取る人がいました。
天津神の皇子が「あなたは誰ですか?」と聞くと
「私は国津神です。
名前は贄持之子(ニヘモツノコ)といいます」
と答えました。

ニヘモツノコは阿陀(アダ)の鵜飼の祖先です。
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解説

ニヘモツノコとカタカナで書くと分かりにくいですが「贄持之子」と書くと分かりやすいです。「二へ」は生贄の「にえ」。神に捧げる食物のことを指しています。つまり、「神に捧げる食物を納める人」という意味合いです。

ウエは竹で編んだ魚やエビやカニを追い込む罠です。一旦中に入ると、弁があって外に出られなくなります。「筌」で画像検索すると「あーあれか」と思うはずです。
鵜飼について
現在でも鵜飼で取った魚を鵜匠が宮家に納めています。この鵜飼というのがかなり歴史が深いものです。中国の随書には日本を訪れた際に鵜飼を見かけて驚いています。この隋の使者が日本に来たのが600年。鵜飼はこれより古いということになります。

個人的コラム

鵜飼
「鵜の目鷹の目」という言葉があります。
これは全てをしっかりと見て、探すという意味なんですが、どうして「鵜の目鷹の目」という言い方になるのかというと、鷹は「天からの目」で、鵜は「水上からの目」で、この二つを合わせて、「この世界の全てを見る」という意味になります。

鷹が天の主…というか天から見ているものの代表であるのは、なんとなく分かると思いますが、鵜が「鷹と対になる存在」となるとピンと来ないですよね。でも、まぁ、古代の人は水上の代表は「鵜」だと思っていたわけです。

鵜は特別な存在だった。
その鵜によって捕まえた魚は、神に捧げられるにふさわしいわけです。
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