百済の朝貢

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百済の朝貢

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現代文訳

応神天皇の時代に海部・山部・山守部・伊勢部が定められました。

また剣池を作りました。

また新羅の人がやって来てきました。

そこで建内宿禰が新羅人を率いて、百済池を作りました。
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解説

海部・山部・山守部・伊勢部
海部は漁民や航海の部民。海産物の管理なども起こっていたか??
山部と山守部は山の管理や山の珍味を管理していた。山部と山守部の区別は不明。似たようなものではないか??
伊勢部は伊勢の海部のこと? 伊勢は常世の国から風が届くとされていたし、海産物も多い。伊勢神宮もあるので特別視されていたか、はっきりしたことは不明。

剣の池
奈良県橿原市石川町にある池。灌漑用水のための池と思われるが、なぜ剣の池か。金属加工のための池なのかもしれない。

渡の堤池(ワタリノツツミノイケ)
不明の語句。「ワタリ」は海を渡るという意味で、百済の地を指しているとしてもよく分からない。大体新羅人を率いて作ったのが「百済池」というのはどういう意味か。
もしかすると、当時の日本人にとって「朝鮮半島」とは「百済」だったのかもしれない。
例えば戦国時代に日本にトウガラシが来た。伝えたのはポルトガル人だし原産地は南米。でも「唐」「辛子」と日本人が名づけた。それは「外国=唐」というイメージが強いからです。
似たようなケースで「狛犬」がある。狛犬のルーツは沖縄のシーサー。シーサーのルーツは東南アジア。ライオンが元ネタで、実はスフィンクスと関わりがあるのでは?とも言われる。ところが「狛犬」の「コマ」とは「朝鮮半島の高句麗」のこと。狛犬が広がった時代の「日本にとってのザ・外国」が当時中国の文化を日本に伝えた(まぁ、通過しただけなんだけど)朝鮮半島だったから、と思われる。

そんな風にこの応神天皇の時代において「朝鮮半島といえば百済」というイメージが強かったんじゃないかと推測します。
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原文

この御世に海部・山部・山守部(ヤマモリベ)・伊勢部(イセベ)を定めたまひき。また剣池(ツルギノイケ)を作りき。また新羅人(シラギビト)参渡り来つ。ここを以ちて建内宿禰命(タケシノウチノスクネノミコト)引き率て、渡の堤池(ツツミノイケ)として百済池(クダラノイケ)を作りき。
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