高千穂の鬼八退治…ミケヌノミコト(ミケイリノミコト)の高千穂の伝承

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高千穂の鬼八退治

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高千穂の鬼八退治…ミケヌノミコト(ミケイリノミコト)の高千穂の伝承

まとめ
高千穂神社では神武天皇の兄ミケヌノミコトが東征の途中で離脱して九州に帰って来て、鬼八なる鬼を退治した物語がある。
阿蘇神社には鬼八が登場する伝承があるが、そちらで鬼八を退治するのはタケイワタツという神武天皇の「孫」という設定の人物。微妙にお話が違う。
●ミケヌは鬼八を退治し、鬼八がさらった「ウノメヒメ」なる女神を娶っている。
●鬼八はバラバラにされても一晩で復活した。
●ミケヌは鬼八を頭・胴・手足の三つにして、それを三か所に埋めた。それで復活しなくなった。
●しかし、鬼八の祟りは残っていて、怒ると遅い霜を降らせる。
●その鬼八の鎮魂のために建てられたのが霜宮神社。
●鬼八の伝承はバージョン違いがいくつかある。

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ミケヌの帰国と鬼八

九州の宮崎県高千穂町の伝承によるとミケヌノミコト神武天皇の東征の途中、熊野(紀伊半島)で暴風雨にあって神武天皇たちから離脱してしまいます。そして仕方なく、九州に帰って来ました。
●古事記・日本書紀では「海を渡って常世の国へ行った」とある。これは暗に「死んだ」ことを表すと捉えるのが普通。

兄弟たちがいない間に住んでいた土地を支配していたのは鬼八(キハチ)でした。鬼八は二上山の乳ヶ岩屋(チチガイワヤ)に住んでいる鬼です。この鬼が乱暴狼藉を働いていました。

ミケヌが高千穂の近くの五ヶ瀬川のほとりを歩いていると「七つが池」という池があり、その池の水が綺麗に反射して鏡のようになっていました。これを水鏡と言います。この水鏡に美しい女性が写り込んでいました。少女の名前は鵜之目姫(ウノメヒメ)です。ウノメヒメが言うには二上山の乳ヶ岩屋の鬼八がウノメヒメをさらって、妻としていて、助けて欲しいと言いました。
●ミケヌの父はウガヤフキアエズ。鵜之目姫とは「鵜」で繋がっています。九州は鵜を特別視する感覚があったのでしょう。
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ミケヌの鬼八退治

ミケヌはウノメヒメを助けようと44人の家来を引き連れて、乳ヶ岩屋へと向かいました。鬼八は昼間しか活動しません。日が暮れて来たのでミケヌは
「日を!
今しばらく、照らせ」
と言うと太陽がまたしばらく沈みませんでした。そうして鬼八を待っていると二上山の乳ヶ岩屋に帰って来ました。ミケヌの一団と鉢合わせた鬼八は驚いて逃げ出しました。三ヶ所、諸塚、米良、さらに肥後に入り八代、阿蘇に入り、鬼八は祖母山に隠れていましたが、しばらくすると二上山の乳ヶ岩屋に帰って来ました。そこをミケヌの一団に襲われて、ついにはミケヌに殺されてしまいます。鬼八の死体の上に大きな石を置いて封印しましたが、一晩で鬼八は生き返って、石を押しのけて復活します。
●鬼八とミケヌノミコトは出会うと岩を持ち上げて力比べをしたと言う伝承があります。出雲神話のタケミカヅチタケミナカタの力比べとよく似ています。
●鬼八が昼間しか活動しないってのは鬼八がそもそもは太陽神だったから……かもしれない。

ミケヌは鬼八をもう一度退治し、死体を頭・胴・手足の三つにバラバラにして、別々に埋めてしまいました。これで復活することはありませんでした。
●頭・胴・手足を埋めた場所が塚があり、これは鬼八塚として現在も残っています。
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結末

ミケヌは鬼八がさらっていたウノメヒメを妻に娶り、高千穂神社に妻子ととも祀られました。
鬼八は復活しませんでしたが、祟りは残りました。鬼鉢は遅霜を下ろすなどして、民を苦しめました。民は鬼八の体を丁寧に祭りました。すると遅霜はなくなり作物がよく実るようになりました。
高千穂神社で「猪掛祭」として旧暦の12月3日に鬼八を鎮魂する祭りがあります。鬼八は実質「農業神」です。
●鬼八塚は鬼八の祟りがあってから鎮魂のために作った。
●霜が降りると春から夏にかけて生育する植物…稲も……が一発で枯れてしまいます。遅い霜は集落を全滅しかねないものです。
●鬼八の伝承は阿蘇にもありますが、阿蘇でも「霜」と関わっています。鬼八は農業神だったのでしょう。ミケヌも当然ながら農業関係の神様です。
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