古事記の天皇のあらすじ内容のまとめ

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古事記の天皇のあらすじ内容のまとめ

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欠史八代と崇神天皇・垂仁天皇

欠史八代の天皇
綏靖天皇は45歳で崩御。安寧天皇は49歳で崩御。威徳天皇は45歳で崩御。孝昭天皇は93歳で崩御。孝安天皇は123歳で崩御。孝霊天皇は106歳で崩御。孝元天皇は57歳で崩御。開化天皇は63歳で崩御。ここまでの天皇は子息子女と年齢と墓くらいしか記録がありません。
崇神天皇大物主の祟り
10代目の崇神天皇の時代に疫病が蔓延し国民が全滅し掛かりました。崇神天皇は神床(カムトコ)で夢を見て神託を受けました。神託によると、疫病を流行らせているのは大物主(オオモノヌシ)という神で、意富多々泥古(オオタタネコ)という大物主の子孫に祀らせれば疫病が治ると知り、その通りに三輪山に祀ったことで疫病はおさまりました。
崇神天皇四道将軍の派遣と建波邇安王の謀反
大毘古命・建沼河別命・日子坐王などを各地に派遣して平定する中、少女の歌で謀反が予言される。建波邇安王の謀反を感じ取った崇神天皇は大毘古命に討伐を命じ、謀反は鎮圧される。国がとても栄えたため、崇神天皇は初めて国を治めた天皇と称えられました。
崇神天皇は168歳で崩御。
垂仁天皇サホビメとサホビコ
垂仁天皇の妻となったサホビメは兄であるサホビコと愛し合い、サホビコに誘われるままに垂仁天皇の暗殺計画を実行しますが、垂仁天皇を殺すことは出来ませんでした。垂仁天皇はすぐにサホビコに討伐軍を向かわせ、稲で作った城を取り囲みました。サホビメは妊娠していて城の中で出産し、子供(ホムチワケ)を残して火の付いた城で死んでしまいました。
垂仁天皇ホムチワケ
サホビメはホムチワケとその教育方針を遺言として残して死にました。垂仁天皇はその遺言通りに御子の身の回りの世話をしました。しかしホムチワケは成長しても言葉を話せませんでした。白鳥を見たときに言葉を発したので、白鳥を捉えさせました。ホムチワケに白鳥を見せたのですが言葉を発しないままでした。
ある日、垂仁天皇の夢に神託がありました。出雲の神の神殿を天皇の宮と同じように綺麗に立て替えればホムチワケは話せるようになるというのです。その通りにするとホムチワケはスラスラと話せるようになりました。
垂仁天皇タチバナ
垂仁天皇はタジマモリを常世の国に派遣して、タチバナの実を探させました。タジマモリが発見して帰国した時、垂仁天皇はすでに崩御していました。タジマモリは悲しみのあまり自殺しました。
垂仁天皇は153歳で崩御。
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景行天皇・成務天皇

景行天皇オオウスオウス
景行天皇は美しい姉妹を呼び寄せようと、息子のオオウスに呼びに行かせたのですがオオウスは姉妹を自分のものとして別の女性を父の景行天皇にあてがいました。景行天皇とオオウスは不仲になりました。
ある日、景行天皇はオオウスの双子の弟のオウスにオオウスを説得するように命ずると、曲解したオウスは兄のオオウスを殺害してしまいます。
景行天皇クマソタケルとヤマトタケル
景行天皇はオウスの激しい性質が恐ろしくなり、クマソタケルの討伐を命じます。オウスは叔母のヤマトヒメから女物の服と剣をもらい受け、クマソに向かいます。クマソは強固な警備を敷いていたので、オウスは女装し宴会に忍び込み、隙を見てクマソタケルを殺害。その際、クマソタケルから「ヤマトタケル」の名前を授けられます。
景行天皇イズモタケルとヤマトタケル
ヤマトタケルは出雲でイズモタケルと知り合います。ヤマトタケルは木刀を作り、それを帯刀し、「刀を取り替えよう」と提案します。ヤマトタケルはイズモタケルの真剣でイズモタケルを斬り殺してしまいました。
景行天皇ヤマトタケルの東国遠征
続けて景行天皇はヤマトタケルに東国遠征を命じます。遠征に行く前に伊勢神宮ヤマトヒメの元に訪れたヤマトタケルは「父は私に死ねというのか」と弱音を吐きます。ヤマトヒメはヤマトタケルに草薙の剣を渡します。
焼津で火攻めに合うのですが、草薙の剣で草をなぎ払って迎え火をしてなんとかピンチを脱し、騙した国造を斬り殺しました。
海を渡ろうとしたら暴風雨に遭いました。海を鎮めるためにオトタチバナヒメが海に入水。ヤマトタケルは無事に海を渡りました。
新たに結婚したミヤズヒメの元に草薙の剣を置いて次の伊吹山へと向かいました。山道で大きなイノシシと出会うのですが、これを神ではなく神の使者を勘違いし、無礼な言葉を吐いたために、呪いによって弱り、ついには死んでしまいました。
死後、ヤマトタケルは白鳥となって飛び立ちました。
景行天皇は137歳で崩御しました。
成務天皇
景行天皇の子の若帯日子天皇が政務天皇となりました。
成務天皇は95歳で崩御しました。
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仲哀天皇・神功皇后

仲哀天皇
仲哀天皇神功皇后を娶り、九州の熊襲征伐へと向かいました。そこで仲哀天皇が琴を引き、建内宿禰と共に、神功皇后に神を下ろして神託を得ました。神は「西に国があり、金銀がある。そこを与えよう」と言うのですが、天皇は嘘だと思って、琴を弾くのをやめてしまいました。すると神は怒り、仲哀天皇は死んでしました。建内宿禰が神にもう一度訪ねると、神功皇后は子供を宿していて、国はその子供のものだと言いました。神の名を尋ねるとアマテラス住吉三神でした。
神功皇后朝鮮征伐
朝鮮に征伐に。船の波が津波となって新羅の国の半分に達した。新羅王は
「馬飼となってい、船で何度もお仕えします」と誓った。百済は海の出張所に。住吉三神の荒御魂を新羅の国王の家の門に鎮座させた。子供が生まれそうになったが石で出産を抑え、筑紫で出産(応神天皇)。
大和に帰ろうとするが謀反を察知し、「ホンダワケ(=応神天皇)は死んだ」と伝えて帰国。応神天皇の異母兄の香坂王忍熊王が神功皇后を殺害しようとする。そこで斗賀野で誓約のための狩をするが香坂王は猪に食べられた死んでしまう。
忍熊王は単独で神功皇后を襲うが、結局奇策によって敗北。
建内宿禰とホンダワケは越前の敦賀へ行き、神託を受けて伊奢沙和気大神と名前を交換する。
応神天皇
応神天皇は矢河枝比売と出会い、守遅能和紀郎子を設ける。大山守命と大雀命に年上と年下の子はどちらが可愛いか?と問う。年少者の守遅能和紀郎子を次の天皇にしたかったため。髪長比売を娶ろうとするが大雀命が願い出たので与えた。百済が和邇吉師と論語と千字文を献上。大山守命が宇遅能和紀郎子を殺そうとするが逆に殺される。
大雀命と宇遅能和紀郎子がお互いを譲り合うが、最後は宇遅能和紀郎子が自殺し、大雀命が仁徳天皇となる。
仁徳天皇
国に釜の煙が出ていないので3年の課役を免除。皇后の石之日売命の嫉妬がひどく、黒日売は嫉妬を恐れて吉備に帰流。仁徳天皇は黒日売が恋しくて歌を歌ったり、淡路島に行くフリをして吉備に行く。
皇后が紀伊の国へ行っている間に八田若郎女(仁徳天皇の妹)とまぐわい、それがバレて揉める。皇后が帰ってこないので、蚕を見に行くという体裁で迎えに行く。
仁徳天皇の妹の女鳥王と速総別王が結ばれて反逆する。
履中天皇
仁徳天皇と石之日売の長男の大江伊邪本和気命が履中天皇となる。難波宮で酔っていると同腹弟の墨江中王に襲われる。しかし阿知直が履中天皇を助けて逃げる。同腹弟の水歯別命に「墨江中王を誅殺すれば信じよう」と約束すると水歯別命は墨江中王の部下の曾婆加理を離反させて墨江中王を殺害した。その曾婆加理を水歯別命が酒席で殺害。
反正天皇
ほぼ記載がない。
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