宇陀の血原・菟田血原(ウダノチハラ)

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ウダノチハラ

漢字・読み宇陀の血原・菟田血原
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宇陀の血原・菟田血原(ウダノチハラ)

古事記では宇陀の血原(ウダノチハラ)。
日本書紀では菟田血原(ウダノチハラ)。
奈良県宇陀市莵田野町宇賀志に比定されています。

神武天皇一行は東征で宇陀(ウダ)にたどり着きます。その宇陀の有力者だったエウカシオトウカシの兄弟は、恭順か抵抗かを迫られます。エウカシは抵抗することにして、兵を集めるのですが、兵が集まらず、仕方なく御殿を建てて、そこに神武天皇を誘い込み、罠にかけて暗殺することにします。しかし、弟のオトウカシはその策略を神武天皇一行に密告。その結果、兄は自らはった罠に追い込まれて死んでしまいます。その時、流れ出た血が、この「血原」という名前の由来です(記紀によれば、です)。
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チハラの意味

でも、チハラは当然ながら「茅原」が語源のはず。
つまり、茅萱(チガヤ)が生えているのが「ウダノチハラ」。
ではどうして「血」と結びついたのか?

周囲の人にとって茅萱はとても有難い植物でした。茅萱は家畜の餌にもなるし、燃料にもなるし、屋根などのいろんなものの材料になった。まず、連作障害を起こさず、毎年同じところにガンガン生えて来る。農作物を作る人たちにとって連作障害は最大のテーマ。連作障害を起こさないってのは、とんでもなくすごいことです。

で、古代の人は考えた。
どうして連作障害を起こさないのか?
かつてそこで大量の霊威のある何かの血が大量に流れたから…
そういう神話があった。
それを神武東征で取り込んだ。
つまり、神武東征よりも先に血原の神話があったんです。

ってところじゃないかと思います。
ま、推測ですが。
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古事記からの引用

宇陀の血原
エウカシをすぐに罠から引き出して、斬り散らしました。
それでこの土地を宇陀の血原(ウダノチハラ)といいます。
そうして弟宇迦斯(オトウカシ)が献上した大饗(=ご馳走)は、すべてイワレビコの軍に与えました。

日本書紀からの引用

秋八月甲午朔乙未(一)兄猾と弟猾
道臣命(ミチノオミノミコト)は剣の柄を握り、弓を引いて、兄猾(エウカシ)を追い立て小屋に無理矢理に脅して入れた。兄猾(エウカシ)は天に罪を見抜かれて、良い訳も出来ませんでした。兄猾(エウカシ)は自分から小屋で罠を踏んで、死んでしまいました。そのときに死体を引っ張り出して斬ったところ、血が流れ出、踝(ツブナギ=くるぶしのこと)まで浸かるほどだった。それで、この土地を菟田血原(ウダノチハラ)と言います。
弟猾(オトウカシ)は沢山の牛の肉と酒を献上して、皇軍をねぎらう宴会を開きました。天皇はこれらの酒と肉で兵に分けました。
それとき歌を歌いました。
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