境丘宮(サカイオカノミヤ)

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境丘宮

漢字・読みサカイオカノミヤ
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境丘宮(サカイオカノミヤ)

古事記では境丘宮(サカイオカノミヤ…境岡宮・軽之境岡宮)。
日本書紀では曲峽宮(マガリオノミヤ…軽曲峡宮)。
比定地
奈良県橿原市大軽町付近

その他

境丘宮(サカイオカノミヤ)は奈良県橿原市大軽町周辺が比定地とされる。ちなみに軽の宮は威徳天皇の他に、「第8代孝元天皇の軽境原宮(カルノサカイハラのミヤ)」「第15代応神天皇の軽嶋明宮(カルシマアキラノミヤ・日本書紀では軽島豊明宮)」があり、どの宮も奈良県橿原市大軽町周辺とされる。
名前から考える
日本書紀の「曲峽宮」の「峽」は「はざま」とか「境」という意味で、細かく言えば違うが「境丘宮」とニュアンスは同じ。なぜ呼び名が違うのかは分からない。
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古事記からの引用

懿徳天皇
大倭日子鉏友命(オオヤマトヒコスキトモミコト懿徳天皇)は軽(カル)の境丘宮(サカイオカノミヤ)に来て、天下を治めました。

日本書紀からの引用

懿徳天皇(日本書紀)
2年の春1月5日。都を軽(カル=奈良県橿原市大軽町)に移しました。これを曲峽宮(マガリオノミヤ)といいます。2月の11日。天豊津媛命爲皇后(アマトヨツヒメノミコト)を立てて皇后(キサキ)としました。
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