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飯日比売命
漢字・読み | イヒヒヒメノミコト |
別名 | 賦登麻和訶比売命(フトマワカヒメノミコト)・飯日媛(イイヒヒメ)・泉媛(イズミヒメ) |
飯日比売命(イヒヒヒメノミコト)
飯日比売命(イヒヒヒメノミコト)は古事記に登場する人物名。
女性。
懿徳天皇(4代天皇)の皇后。
孝昭天皇(5代天皇)の母。
記述
古事記では懿徳天皇(4代天皇)の皇后の賦登麻和訶比売命(フトマワカヒメノミコト)の別名。
記述は飯日比売命(イヒヒヒメノミコト)。
日本書紀では異説の中での懿徳天皇の皇后。
記述は飯日媛(イイヒヒメ)とほぼ同じ名前が見られる。
女性。
懿徳天皇(4代天皇)の皇后。
孝昭天皇(5代天皇)の母。
記述
古事記では懿徳天皇(4代天皇)の皇后の賦登麻和訶比売命(フトマワカヒメノミコト)の別名。
記述は飯日比売命(イヒヒヒメノミコト)。
日本書紀では異説の中での懿徳天皇の皇后。
記述は飯日媛(イイヒヒメ)とほぼ同じ名前が見られる。
出自
古事記の飯日比売命は
師木県主(シキノアガタヌシ)の先祖。
日本書紀の飯日比売命は
磯城縣主太眞稚彦(シキノアガタヌシフトマワカヒコ)の娘。
どちらにしても磯城が関係している。
ちなみに磯城の始祖は神武東征で見られる「弟磯城(オトシキ)」。
師木県主(シキノアガタヌシ)の先祖。
日本書紀の飯日比売命は
磯城縣主太眞稚彦(シキノアガタヌシフトマワカヒコ)の娘。
どちらにしても磯城が関係している。
ちなみに磯城の始祖は神武東征で見られる「弟磯城(オトシキ)」。
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子供
解説
飯日比売命(イヒヒヒメノミコト)という名前は穀物神で太陽の女神か、穀物神・太陽神に使える巫女のこと。日本書紀は飯日媛(イイヒヒメ)の父親として磯城縣主太眞稚彦(シキノアガタヌシフトマワカヒコ)の名前がある。飯日比売命(イヒヒヒメノミコト)の古事記での古事記の本名が賦登麻和訶比売命(フトマワカヒメノミコト)で名前が似てることを考えると、同一と考えて問題ないでしょう。飯日比売命(イヒヒヒメノミコト)は磯城(シキ)地域の女神か巫女だったのでしょう。
ちなみに安寧天皇(3代天皇)の皇后も異伝によれば磯城の関係者です。と、考えるとかなり磯城は初期の朝廷に強く関わっていたってことでしょう。
ちなみに安寧天皇(3代天皇)の皇后も異伝によれば磯城の関係者です。と、考えるとかなり磯城は初期の朝廷に強く関わっていたってことでしょう。
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古事記からの引用
日本書紀からの引用
懿徳天皇(日本書紀)
2月の11日。天豊津媛命爲皇后(アマトヨツヒメノミコト)を立てて皇后(キサキ)としました。
ある書によると磯城縣主葉江(シキノアガタヌシノハエ)の弟の猪手(イテ)の娘の泉媛(イズミヒメ)といいます。
また、ある書によると磯城縣主太眞稚彦(シキノアガタヌシフトマワカヒコ)の娘の飯日媛(イイヒヒメ)といいます。
后は觀松彦香殖稻天皇(ミマツヒコカエシネノスメラミコト=孝昭天皇)を生みました。
ある書によると弟は武石彦奇友背命(タケシヒコアヤシトモセノミコト)です。
ある書によると磯城縣主葉江(シキノアガタヌシノハエ)の弟の猪手(イテ)の娘の泉媛(イズミヒメ)といいます。
また、ある書によると磯城縣主太眞稚彦(シキノアガタヌシフトマワカヒコ)の娘の飯日媛(イイヒヒメ)といいます。
后は觀松彦香殖稻天皇(ミマツヒコカエシネノスメラミコト=孝昭天皇)を生みました。
ある書によると弟は武石彦奇友背命(タケシヒコアヤシトモセノミコト)です。
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