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古語拾遺25 神功皇后
投稿日時:2019-08-29 21:08:51TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket
原文
現代語訳
磐余(イワレ)の稚桜(ワカザクラ)の朝廷の時代になりました。住吉大神(スミノエノオオカミ)が姿をあらわしました。新羅(シラキ)を征伐して三韓(ミツノカラクニ=新羅・百済・高麗)が初めて朝廷に参りました(朝貢した)。百済国の王(コニキシ)は懇(ネモコロ=心を尽くして)に、その誠意を示し、欺弐(フタゴコロ)無し(=裏の心のない状態のこと)でした。
解説
磐余稚桜は現在の奈良県桜井氏池之内で、そこが神功皇后の宮跡とされるのでこのページで扱っているのは「神功皇后」。前のページの「古語拾遺24 景行天皇」の次が神功皇后ですが、実際には景行天皇の次が成務天皇、成務天皇の次が仲哀天皇。その仲哀天皇は神功皇后の夫。当時の朝廷でも、神功皇后は特別であったし、省略された天皇は小物という感覚があったんだろうなぁ。…特に仲哀天皇が省略されているのはなぁ。
それはやはり神功皇后の時代に朝鮮征伐があり、これ以降に朝鮮を経由して文化が入ってきて発展したというのもある。もしくは神功皇后の時代に発展して、その結果、朝鮮半島を勢力下においたから、特別な時代=神功皇后という認識があったのでしょうね。
それはやはり神功皇后の時代に朝鮮征伐があり、これ以降に朝鮮を経由して文化が入ってきて発展したというのもある。もしくは神功皇后の時代に発展して、その結果、朝鮮半島を勢力下においたから、特別な時代=神功皇后という認識があったのでしょうね。
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