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古語拾遺26 応神天皇
投稿日時:2019-08-31 19:44:37TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket
原文
至於輕嶋豊明朝 百濟王貢博士王仁 是河内文首始祖也 秦公祖弓月 率百廿縣民而歸化矣 漢直祖阿知使主 率十七縣民而來朝焉 秦漢百濟内附之民 各以萬計 足可褒賞 皆有其祠 未預幣例也
現代語訳
軽嶋(カルシマ)の豊明(トヨアキラ)の朝廷の時代になりました。百済の王(コニキシ)が博士の王仁(ワニ)を貢ぎたてまつりました。王仁は河内文首(コウチノフミノオビト)の始祖です。秦公(ハダノキミ)の先祖の弓月(ユヅキ)は百二十県の民を率いて帰化しました。漢直(アヤノアタイ)の先祖の阿知使主(アチノオミ)は十七県の民を率いて来て朝貢しました。秦・漢・百済の国に従う民はそれぞれが非常に人数が多かった。その功績は褒賞(ホ)むべきものです。その祠(ヤシロ)はあるのだが、まだ幣(=神社に納めるもの)を納められてはいない。
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解説
神功皇后のときに朝鮮征伐を行い、朝鮮が日本の勢力下になった。応神天皇は神功皇后の子供。その時代に王仁と弓月君(=秦氏の先祖)と阿知使主(=漢直の先祖)が日本に渡来した。その人数が多く、そのことを非常に評価している。その氏族の社があったのだが、その社に朝廷から奉納されていないというわけで、評価はされているが「そこまででもない」というのが現実かな。
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