古語拾遺22 崇神天皇

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古語拾遺22 崇神天皇

投稿日時:2019-08-28 12:31:22
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原文

至于磯城瑞垣朝 漸畏神威 同殿不安 故 更令齋部率石凝姥神裔天目一筒神裔二氏 更鑄鏡造釼 以爲護御璽 是 今踐祚之日 所獻神璽鏡釼也 仍 就於倭笠縫邑 殊立磯城神籬 奉遷天照大神及草薙釼 令皇女豊秋鍬入姫命奉齋焉 其遷祭之夕 宮人皆參 終夜宴樂 歌曰

  美夜比登能 於保與須我良爾 伊佐登保志 由伎能與呂志茂 於保與須我良爾 【今俗哥曰 美夜比止乃 於保與曾許志侶茂 比佐止保志 由伎乃與侶志茂 於保與曾許侶茂 詞之轉也】

 又 祭八十萬群神 仍 定天社国社及神地神戸 始令貢男弭之調 女手末之調 今神祇之祭 用熊皮鹿皮角布等 此縁也
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現代語訳

磯城(シキ)の瑞垣(ミヅカキ)の朝(ミカド)になりました。次第に神の霊威が畏れおおくなり、殿(オオトノ=天皇と神が同居する場所)を神と同居していることが安らかではなくなってきました。それで更に、斎部氏に石凝姥神(イシコリドメノカミ)の子孫と天目一筒神(アメノマヒトツメノカミ)の子孫の2氏族を率いて、鏡と鋳造し、剣を作らせ、護りの御璽(ミシルシ)としました。これは、現在、天皇即位の日に献上する神璽(ヒモロキ=神が宿る依り代)である鏡と剣です。
それで、倭の笠縫邑(カサヌイノムラ)で天皇に就任して、磯城の神籬(ヒモロキ=神が降りる場所)を立てて、天照大神と草薙剣を移動して、皇女(ヒメミコ)の豊鍬入姫命(トヨスキイリビメ=崇神天皇の娘)に命じて祀らせました。その移動して祀った夕に、宮人(ミヤビト=宮廷に仕える官人)は皆、参って終夜(ヨモスガラ)まで宴会をして歌い言いました。
宮人(ミヤビト)の大寄(オオヨ)すがらに いさとほし 行きの宜(ヨロ)しも 大寄すがらに
現在の俗の歌でいう「宮人の凡衣(オオヨソコロモ)膝通(ヒザトオ)し、裄(ユキ)の宜しも、凡衣(オオヨソコロモ)」というのはこの言葉が転訛したものです。

又、八十万の群神(カミガミ)を祭りました。それで天社・国社、また、神地・神戸を定めました。初めて、男の弭(ユハズ=弓で獲る狩猟による生産品…肉・皮・角など)と、女の手末(タナズエ=手による生産品…絹や布など)の調(ミツキ=税金)を献上させました。現在の神祇の祭りに熊の皮・鹿の皮・角・布などを用いるようになったのはこれが由縁です。
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解説

日本書紀にも似たようなことが書かれているんですが、内容がちょっと違う。日本書紀では崇神天皇の時代に国民の半数が死亡し、その対応策として神を別に祀るようになります。詳細は以下のページを参考に。

日本書紀では天皇と同じ場所に住んでいた天照大神(アマテラスオオミカミ)・倭大国魂(ヤマトノオオクニタマ)を別々に祀ったことは書いてあるんですが、
斎部氏に石凝姥神(イシコリドメノカミ)の子孫と天目一筒神(アメノマヒトツメノカミ)の子孫の2氏族を率いて、鏡と鋳造し、剣を作らせ、護りの御璽(ミシルシ)としました。

というのは書かれていない。古語拾遺によれば剣と鏡は「斎部氏」が作ったことになる。それにこの二つの神器は「天皇を守るもの」として作られていたことになっている。
宮人の大寄すがらに…
遷宮したときの宴会で歌った歌が歌い継がれて、古語拾遺が書かれた8世紀でも歌われているらしい。
その他の政策
崇神天皇の時代が大和朝廷にとって節目の時代だったという認識だったらしい。古語拾遺によると、狩猟から得られた物品や布を税として納めるようになった。一言で言うと「税制改革」です。
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