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古語拾遺24 景行天皇
投稿日時:2019-08-29 20:47:28TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket
原文
至於纏向日代朝 令日本武命征討東夷 仍 枉道詣伊勢神宮 辭見倭姫命 以草薙釼授日本武命而教曰 慎莫怠也 日本武命 既平東虜 還至尾張国 納宮簀媛 淹留踰月 解釼置宅 徒行登胆吹山 中毒而薨 其草薙釼 今在尾張国熱田社 未叙禮典也
現代語訳
纏向の日代の朝廷の時代になりました。日本武命(ヤマトタケルノミコト)に命じて、東の夷(エミシ=異民族)を征討させました。寄り道して伊勢神宮(イセノカミノミヤ)に参詣して、倭姫命(ヤマトヒメノミコト)に別れを言いに会ったときに、草薙剣(クサナギノツルギ)を日本武命に授けて、教えて
「慎みてな怠りそ(=油断するなよ)」
と言いました。
日本武命は東の虜(アタ=敵)を平定して帰ることになりました。尾張国に到着して、宮簀媛(ミヤズヒメ)と結納して、久しく留まって、月日が流れました。剣を解いて宅に置いて、手に何も持たずに胆吹山(イブキヤマ)に登り、毒(アシキイフキ)に当たって、死んでしまいました。その草薙剣は今、尾張国の熱田社(アツタノヤシロ=熱田神宮)にあります。礼典(マツリ)に叙(ツギ)てられず。
「慎みてな怠りそ(=油断するなよ)」
と言いました。
日本武命は東の虜(アタ=敵)を平定して帰ることになりました。尾張国に到着して、宮簀媛(ミヤズヒメ)と結納して、久しく留まって、月日が流れました。剣を解いて宅に置いて、手に何も持たずに胆吹山(イブキヤマ)に登り、毒(アシキイフキ)に当たって、死んでしまいました。その草薙剣は今、尾張国の熱田社(アツタノヤシロ=熱田神宮)にあります。礼典(マツリ)に叙(ツギ)てられず。
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解説
景行天皇は垂仁天皇の子供。13代目天皇。景行天皇自体も大和朝廷の領土の拡大をしているんですが、神話ではほぼほぼヤマトタケルに功績を取られている。
ここで書かれている話は古事記・日本書紀で書かれているものを簡略化したもの。
ここで書かれている話は古事記・日本書紀で書かれているものを簡略化したもの。
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