古語拾遺27 履中天皇

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古語拾遺27 履中天皇

投稿日時:2019-08-31 19:57:25
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原文

至於後磐余稚櫻朝 三韓貢獻 奕世無絶 齋藏之傍 更建内藏 分收官物 仍 令阿知使主與百濟博士王仁 計其出納 始更定藏部

現代語訳

後の磐余(イワレ)の稚桜(ワカザクラ)の朝廷の時代になりました。三韓(ミツノカラクニ)は貢を献上しました。何代も絶えることありませんでした。斎蔵(イミクラ=神の宝を管理する場所)の傍(カタワラ)にさらに内蔵を建てて、官物(ミヤケノモノ=天皇の持ち物)を分けて収めるようにしました。阿知使主(アチノオミ)と百済博士の王仁(ワニ)に、その出納(アゲオロシ)を記述させました。初めて、さらに蔵部を定めました。
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解説

後の磐余の稚桜
「後の」は神功皇后が磐余の稚桜に宮を構えていて、その跡に履中天皇が宮を建てたことから。

蔵と帰化系氏族
古語拾遺20 斎蔵と斎部」では神と天皇の持ち物は別れておらず、同じ場所で管理していましたが、履中天皇の時代に蔵の中に蔵を作ってそこに天皇の持ち物を管理するようになったと。神と天皇の分離は徐々に行われていたのかも。

その蔵の管理をしたのが帰化系氏族。元々は朝鮮に氏族で彼らは文字の読み書きができた。だから出納帳が書け、蔵の管理ができた。このころに日本に文字が渡来した…というか一般的に政治(=統治)で利用されはじめた。

個人的には日本人は穢れを嫌い、動物の死体から作られる「筆」は使えなかったのではないかと思う。それで帰化系氏族が文字関係の仕事をするようになったが、日本人からはずっと「穢れた氏族」と見られていたのではないかと思う。「古語拾遺26 応神天皇」で帰化氏族の功績を評価しながらも彼らの社に御幣を奉納されていないのは、そこにあるんじゃないかと。
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