古語拾遺28 雄略天皇

MENU
TOP>古語拾遺(現代語訳)>古語拾遺28 雄略天皇
スポンサードリンク

古語拾遺28 雄略天皇

投稿日時:2019-08-31 22:35:23
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

原文

至於長谷朝倉朝 秦氏分散 寄隷他族 秦酒公進仕蒙寵 詔聚秦氏 賜於酒公 仍 率領百八十種勝部 蠶織貢調 充積庭中 因賜姓宇豆麻佐 【言 隨積埋益也 所貢絹綿 軟於肌膚 故 訓秦字謂之波陀 仍 以秦氏所貢絹 纏祭神釼首 今俗猶然 所謂秦機織之縁也】 自此而後 諸国貢調 年年盈溢 更立大藏 令蘇我麻智宿禰 檢校三藏 【齋藏 内藏 大藏】 秦氏出納其物 東西文氏勘録其簿 是以 漢氏賜姓 爲内藏大藏 今 秦漢二氏爲内藏大藏主鎰藏部之縁也

現代語訳

長谷(ハッセ)の朝倉(アサクラ)の朝廷の時代。秦氏は分かれて散って、他の氏族に隷属することになった。秦酒君公(ハダノサケノキミ)は宮仕えをして寵愛を受けました。天皇が詔をして秦氏を集めて、酒公に与えました。百八十種の勝部(スグリベ)を率いて、蚕を育てて、機織りして、調(ミツキ=税)を貢ぎ、朝廷の中に積み上げました。それで姓として「宇豆麻佐(ウズマサ)」を賜りました。
こう言われるは積み上げて埋(ウズ)め増すことから。献上した絹や綿は肌(ハダ)に柔らかなものでした。それで秦の文字を読んで「ハダ」と言います。秦氏の献上した絹で神を祀る剣の首(=柄)を巻きました。現在の世でもそうです。所謂、秦氏の機纏(ハタマキ)の由縁です。

これより後。諸国の貢物は年々、満ち溢れて行きました。さら大蔵(オオクラ)を立てて、蘇我麻智宿禰(ソガノマチノスクネ)に命じて、三蔵(=斎蔵・内蔵・大蔵)を検校(=調査)させて、秦氏にその品物の出納(アゲオロシ)をさせ、東西(ヤマトコウチ)の文氏に命じて、その帳簿を調べて記録させました。それで漢氏に姓を与えて内蔵・大蔵としました。今、秦・漢の二氏を内蔵・大蔵の主鎰(カギツカサ)・蔵部(クラヒトベ)としているのはこれが由縁です。
スポンサードリンク

解説

秦氏
秦氏は分裂して、他の氏族に隷属することになったが、雄略天皇の時代に秦酒君公の元に、また集合することになりました。もちろん全員じゃないでそうが、それから絹などの布を織って高く積み上げたことが「ウズマサ」と呼ばれる由縁だということが書かれています。同様のことは日本書紀にも見られます。

蔵の管理
内蔵・大蔵の管理を帰化氏族が行ったことが書かれている。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

SNSボタン

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

ページ一覧

スポンサードリンク

管理人リンク

編集