針間之伊那毘大郎女(ハリマノイナビノオオイラツメ)

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針間之伊那毘大郎女

投稿日時:2017-08-05 12:08:23
漢字・読みハリマノイナビノオオイラツメ
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針間之伊那毘大郎女(ハリマノイナビノオオイラツメ)

針間之伊那毘大郎女(ハリマノイナビノオオイラツメ)は古事記に登場する人物。日本書紀では播磨稻日大郎姫と表記する。
古事記によると父親は若建吉備津日子(ワカタケキビツヒコ若日子建吉備津日子命)。日本書紀では出自に関しては書かれていない。
ヤマトタケルの母親
景行天皇の后となり、古事記では五柱の子供を産み、そのうち3番目が小碓命(オウス)でヤマトタケルです。
日本書紀では大碓皇子(オオウスノミコ)と小碓尊(オウスミコト)の二柱のみ。異説の中で「稚倭根子皇子(ワカヤマトネコノミコ)」を産んでいて三柱というのもある。
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名前で考える

播磨+稲+日+郎女で、播磨地域の穀物神だと思われます。「日」は太陽神の性質かもしれないし、「霊」を表す言葉かもしれないです。仮に太陽神の性質を持っているとするとアマテラスに限りなく近い女神だと思われます。
その父親の名前が「若建吉備津日子」なわけです。吉備と播磨は隣国同士で、古代では大国同士。二国が融和した結果がこの親子関係なのかもしれません。

出自

古事記によると
若建吉備津日子孝霊天皇(7代)の皇子=若日子建吉備津日子命
配偶者記述なし
針間之伊那毘大郎女(ハリマノイナビノオオイラツメ)

日本書紀には出自の記述がない
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婚姻と子孫

古事記によると
景行天皇
針間之伊那毘大郎女
櫛角別王(クシツヌワケ)…茨田下連(マムタノシモノムラジ)の祖先
大碓命オオウス…守君(モリノキミ)・大田君(オホタノキミ)・島田君(シマダノキミ)の祖先
小碓命(オウス…別名が倭男具那命(ヤマトオグナ)
倭根子命(ヤマトネコ)
神櫛王(カムクシ)…木国(キノクニ)の酒部阿比古(サカベノアヒコ)・宇陀の酒部の祖先

日本書紀によると
景行天皇
播磨稻日大郎姫…別名が稻日稚郎姫
大碓皇子(オオウスノミコ)
小碓尊(オウスノミコトヤマトタケル
異伝によると、稚倭根子皇子(ワカヤマトネコノミコ)
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引用

古事記からの引用
景行天皇の皇后と皇子
景行天皇は吉備臣たちの祖先にあたる若建吉備津日子(ワカタケキビツヒコ)の娘の針間之伊那毘大郎女(ハリマノイナビノオオイラツメ)を娶って産んだ子供が
櫛角別王(クシツヌワケ)
大碓命(オオウス)
小碓命(オウス)…別名が倭男具那命(ヤマトオグナ)
倭根子命(ヤマトネコ)
神櫛王(カムクシ)
の五柱です。

日本書紀からの引用
景行天皇(二)大碓と小碓の出産
景行天皇即位2年春3月3日。
播磨稻日大郎姫(ハリマノイナビノオオイラツメ)
ある伝によると稻日稚郎姫(イナビノワキイラツメ)といいます。
郎姫は異羅菟咩(イラツメ)と読みます。

は皇后になりました。
皇后は二人の男の子を産みました。
第一子は大碓皇子(オオウスノミコ)といいます。
第二子は小碓尊(オウスノミコト)といいます。
ある書によると、皇后は三人の男の子を産みました。その第三子は稚倭根子皇子(ワカヤマトネコノミコ)といいます。
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