那賀須泥毘古との戦い

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那賀須泥毘古との戦い

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原文

故、その国より上り行でましし時、浪速の渡を経て、青雲の白肩津に泊てたまひき。この時、登美の那賀須泥毘古、軍を興して待ち向へて戦ひき。

現代語訳

その国から出発して東へと向かいました。
浪速の渡(ナミハヤノワタリ)を通って白肩津(シラカタノツ)に船を泊めました。
そのときに、登美(トミ)の那賀須泥毘古(ナガスネヒコ)が兵を集めて待ち受けていて、戦争になりました。

性格・能力

その国っていうのは多分に吉備(=岡山県)です。ナミハヤ(浪速)は波の早い港のことで、このナミハヤが転訛して「ナニワ(=浪速→難波)」になりました。つまり現在の大阪です。
白肩津と登美
白肩津は東大阪市日下あたりにあったとされる船着場のこと。登美は現在の生駒山の西の「鳥見郷(トミノサト)」のことで、奈良県富雄町のこと。
那賀須泥毘古
ナガスネヒコはナガスネは地名。ナガスネヒコはナガスネの族長とかそんな感じ。ところが「トミ」も地名で、後にはナガスネヒコの別名として「トミビコ」というのが出てきます。
困難が
日向(宮崎県)の地から、「やっぱ日本を治めるなら東だよね」と始まった兄弟神の東征でした。最初はウサツヒコウサツヒメに歓迎されたり、安芸(広島県)で7年、吉備(岡山)で8年も長居してのんびりとしていたのですが、ついに戦争が。
今までも揉め事はありましたが、兄弟喧嘩や怪物退治ばかり、個人的な話だったのが、ここではついに戦争。神話ではなくなっています。
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