羽太玉・足高玉・鵜鹿々赤石玉・出石小刀・出石桙・日鏡・熊神籬

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垂仁天皇(五)羽太玉・足高玉・鵜鹿々赤石玉・出石小刀・出石桙・日鏡・熊神籬

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原文

三年春三月、新羅王子、天日槍來歸焉、將來物、羽太玉一箇・足高玉一箇・鵜鹿々赤石玉一箇・出石小刀一口・出石桙一枝・日鏡一面・熊神籬一具、幷七物、則藏于但馬国、常爲神物也。

現代語訳

垂仁天皇が即位して3年の春3月。
新羅の王子(コキシノコ)の天日槍(アメノヒボコ)が来ました。持ってきた物は羽太玉(ハフトノタマ)ひとつ・足高玉(アシタカノタマ)ひとつ・鵜鹿々赤石玉(ウカカノアカシノタマ)ひとつ・出石小刀(イヅシノコカタナ)ひとつ・出石桙(イヅシノホコ)一枝・日鏡(ヒカガミ)一面・熊神籬(クマノヒモロギ)一具、以上で7種です。
これらを但馬国に献上して、それ以降、神宝としました。
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解説

古事記では「アメノヒボコ」は応神天皇の時代にみられます。これはアメノヒボコ応神天皇の母親の神功皇后の先祖にあたるからです。

アメノヒボコとツヌガアラシトは別人じゃないか?
ツヌガアラシトは日本書紀で「垂仁天皇(二)皇后と皇子、任那の新羅への恨み」「垂仁天皇(三)任那の由来」で任那に帰っていますし、そもそも新羅人ではありません。新羅に恨みを持っていると書かれています。
羽太の玉
端が太い玉、という意味ではないかと。
足高の玉
玉に足がついていたか、足が長い台座にのっていたか、「アシタカ」という地名か? わかりません。備中国窪屋郡足高神社が岡山倉敷市にあります。
鵜鹿々赤石玉
ウは「ム」であり「身」という意味で「カカ」は「輝く」の「カガ」…室町時代までは「カカヤク」と読んでいました。それで、赤く輝く石という意味ではないかと言われています。
出石
出石は地名。播磨の国にあった。兵庫県には明石郡と出石郡があった。現在は消滅しています。
以上を考えると7種の宝は
本当に朝鮮由来だったのか?という疑問があります。アシタカも地名で、出石も地名、その他のものも朝鮮が特産というわけではない。これらの宝はもともと、この地域の宝で、由来をアメノヒボコに結びつけただけなんじゃないでしょうか? なぜ結びつけたか? 日本人が「海洋来訪神」を特別視するからです。思えば、恵比寿で有名な西宮神社も兵庫県。
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