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河俣毘売
漢字・読み | カハマタビメ |
河俣毘売(カハマタビメ)
表記
古事記では河俣毘売(カハマタビメ)。
日本書紀では川派媛(カワマタヒメ)。
出自
古事記でも日本書紀でも「師木県主・磯城縣主(シキノアガタヌシ)」の子孫。
立場・子孫
古事記では綏靖天皇(2代)の皇后で、師木津日子玉手見命(シキツヒコタマデミノミコト=安寧天皇【3代】)の母。
日本書紀では異説という扱いですが…綏靖天皇の皇后が川派媛(カワマタヒメ)であるとされます。仮に異説の通りに皇后は五十鈴依媛(イスズヨリヒメ)ではなく川派媛(カワマタヒメ)なのであれば、川派媛(カワマタヒメ)は磯城津彦玉手看天皇(シキツヒコタマテミノスメラミコト=安寧天皇)の母親ということになります。磯城津彦玉手看天皇の名前に磯城があることを考えると、磯城縣主の子孫である川派媛が母親って方が筋は通りますよね(古事記ではその通りに描かれているわけですが)。
古事記では河俣毘売(カハマタビメ)。
日本書紀では川派媛(カワマタヒメ)。
出自
古事記でも日本書紀でも「師木県主・磯城縣主(シキノアガタヌシ)」の子孫。
立場・子孫
古事記では綏靖天皇(2代)の皇后で、師木津日子玉手見命(シキツヒコタマデミノミコト=安寧天皇【3代】)の母。
日本書紀では異説という扱いですが…綏靖天皇の皇后が川派媛(カワマタヒメ)であるとされます。仮に異説の通りに皇后は五十鈴依媛(イスズヨリヒメ)ではなく川派媛(カワマタヒメ)なのであれば、川派媛(カワマタヒメ)は磯城津彦玉手看天皇(シキツヒコタマテミノスメラミコト=安寧天皇)の母親ということになります。磯城津彦玉手看天皇の名前に磯城があることを考えると、磯城縣主の子孫である川派媛が母親って方が筋は通りますよね(古事記ではその通りに描かれているわけですが)。
●ちなみに五十鈴依媛は事代主の娘。
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カワマタの意味
カワマタというのは川が別れている場所のこと。古代では船でものを運ぶわけで、川は現在で言うところの「バイパス」です。その川が別れているところ、というのは十字路というか、インターチェンジというか、ともかく交通の要衝にあたります。ここで通行税を取っていたのかも。
となるとカワマタヒメはそういう土地の氏族が進行する河の神というか土地神の性質を持った人物…つまり神を祀る巫女?なのかと思います。
となるとカワマタヒメはそういう土地の氏族が進行する河の神というか土地神の性質を持った人物…つまり神を祀る巫女?なのかと思います。
古事記からの引用
綏靖天皇
安寧天皇
カムヌナカワミミ命は葛城の高岡宮で天下を治めました。この天皇は師木県主(シキノアガタヌシ)の祖先となる河俣毘売(カハマタビメ)を娶って、産んだ子供が、「師木津日子玉手見命(シキツヒコタマデミノミコト)」の1柱です。
安寧天皇
この天皇は河俣毘売(カハマタビメ)の兄の県主(アガタヌシ)波延(ハエ)の娘の阿久斗比売(アクトヒメ)を娶って産んだ子が常根津日子伊呂泥命(トコネツヒコイロネノミコト)、大倭日子鉏友命(オオヤマトヒコスキトモノミコト)、師木津日子命(シキツヒコノミコト)です。
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日本書紀からの引用
綏靖天皇(四)婚姻と系譜
即位2年の春1月に五十鈴依媛(イスズヨリヒメ)を皇后としました。
ある書によると磯城縣主(シキノアガタヌシ)の娘の川派媛(カワマタヒメ)とも言われます。
またある書によると春日縣主大日諸(カスガノアガタヌシノオオヒモロ)の娘の絲織媛(イトリヒメ)とも言われます。
ある書によると磯城縣主(シキノアガタヌシ)の娘の川派媛(カワマタヒメ)とも言われます。
またある書によると春日縣主大日諸(カスガノアガタヌシノオオヒモロ)の娘の絲織媛(イトリヒメ)とも言われます。
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