日子寢間命(ヒコサメマノミコト)

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日子寢間命

漢字・読みヒコサメマノミコト
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日子寢間命(ヒコサメマノミコト)

日子寢間命(ヒコサメマノミコト)は古事記に登場する人物。
孝霊天皇の皇子。
おそらく男性。
記述
古事記では日子寢間命(ヒコサメマノミコト)・日子寤間命(ヒコサメマノミコト)。
日本書紀では彦狹嶋命(ヒコサシマノミコト)と同一人物と思われる。
崇神天皇の子の豊城命(トヨキノミコト)の孫に「彦狭嶋王(ヒコサシマノミコ)」なる、ほとんど同じ名前の人物がいる。時代的に同一人物ではあり得ないが、名前が近い以上、何かしら理由があるのかもしれない。
参考景行天皇(四十八)東山道の十五国の都督

活動
これといった活躍はないが、子孫に「針間の牛鹿臣(ウシカノオミ)」があげられている。
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物語・由来

出自
古事記では母親は蝿伊呂杼(ハエイロド)。
日本書紀では名前は書かれておらず「妃」としかないが、おそらく同一人物と思われる。
同腹の弟に若日子建吉備津日子命(ワカヒコタケキビツヒコノミコト=日本書紀では稚武彦命)がいる。古事記では、この若日子建吉備津日子命は異腹の兄の比古伊佐勢理毘古命(=吉備津彦=桃太郎の元ネタ)と西へ遠征に行っており、吉備を平定したとある。
性質
名前の「ヒコサメマ」のうち、ヒコは「太陽の使者」「太陽の子」という意味で、これがこの時代に宗教的に意味がある名前だったか、形式的に男性の有力者を指した言葉なのかはなんとも言えないです。その後のサメマは漢字から推察するに、「神床」……夢の中で神託を受ける儀式のことではないかと。古事記・日本書紀では眠っている間に神様からお告げがあるというシーンがあります。日子寢間命(ヒコサメマノミコト)はその儀式をしていたものか、それの神格化かと思います。

ただ、そうなると日本書紀で同一視される「彦狹嶋命(ヒコサシマノミコト)」と繋がらない。ヒコサシマは漢字から考えると、「サ」が稲霊で、その稲霊が住んでいる島が「狹嶋」と考えるのが自然です。その稲霊を呼び寄せる役割が彦狹嶋命にはあったのかもしれませんが、「ヒコサメマ」とは着眼点が違う。当時としては同一と考えて不思議のないものだったのかもしれないけど、よくわかりません。
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出自と子孫

出自
古事記
孝霊天皇
蝿伊呂杼(ハエイロド
日子寢間命(ヒコサメマノミコト)…子孫に針間の牛鹿臣(ウシカノオミ)
若日子建吉備津日子命(ワカヒコタケキビツヒコノミコト)…吉備の下道臣(シモツミチノオミ)・笠臣(カサノオミ)の祖先。

日本書紀
孝霊天皇(日本書紀)
妃…名前はないが子供の名前から古事記のハエイロドと同一と見られる。
彦狹嶋命(ヒコサシマノミコト)
稚武彦命(ワカタケヒコノミコト)…吉備臣(キビノオミ)の始祖


子孫と子
古事記では
針間の牛鹿臣(ウシカノオミ)

日本書紀ではなし
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引用

古事記からの引用
孝霊天皇
阿礼比売命(=オオヤマトクニアレヒメのこと)の妹の蝿伊呂杼(ハエイロド)を娶った産んだ子供が
日子寢間命(ヒコサメマノミコト)
若日子建吉備津日子命(ワカヒコタケキビツヒコノミコト)
のニ柱です。

日子寤間命(ヒコサメマノミコト)は針間の牛鹿臣(ウシカノオミ)の祖先です。

日本書紀からの引用
孝霊天皇(日本書紀)
また別の妃が(上記の皇子と妃の)弟として、彦狹嶋命(ヒコサシマノミコト)と稚武彦命(ワカタケヒコノミコト)を生みました。稚武彦命(ワカタケヒコノミコト)は吉備臣(キビノオミ)の始祖(ハジメノオヤ)です。
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