日本最初の男の娘…ヤマトタケルの女装は古代では珍しくなかった?

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日本最初の男の娘…ヤマトタケルの女装は古代では珍しくなかった?

投稿日時:2017-11-17 00:11:06
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日本最初の男の娘…ヤマトタケルの女装は古代では珍しくなかった?

まとめ
ヤマトタケルは女装して熊襲の宴会に紛れ込み、クマソタケル(川上梟師)を殺害した。
ヤマトタケルの女装の衣装は叔母の倭姫から贈られた。ってことはこの衣服は巫女服の可能性があり、女装は宗教的な意味があった。
日本書紀によれば川上梟師は女装したヤマトタケルをまさぐっている。
●弄っていて、ヤマトタケルが剣でクマソタケル(川上梟師)を刺しても、クマソタケル(川上梟師)は「女装した男であること」には驚いていない。
●少年が女装することは珍しいことではなかったのではないか?
●少年が女装することは一般的であり、少年が女装してお酌することも特殊なことではなかったのかも。
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ヤマトタケルと女装

日本神話の最大のヒーローのヤマトタケルは女装して熊襲の宴会に紛れ込み、クマソタケル(川上梟師)を殺害します。
古事記によれば、女装の衣服は叔母の「倭姫(ヤマトヒメ)」から貰い受けます。倭姫は伊勢神宮の斎宮であることを考えると、この衣服は「巫女服」なのかもしれません。この時、同時に剣も貰い受けていますから、ヤマトタケルの熊襲討伐で使用するアイテムは倭姫が用意したということになります。ということは、熊襲討伐は伊勢神宮との強いつながりがあったと思われます。
ただし、これは古事記の話で、日本書紀ではヤマトヒメから服・剣を貰い受ける記述はありません。

となれば、女装は伊勢神宮のアイデアとなりますよね。ヤマトタケルの女装は宗教的な意味があったのでしょう。少年に女性の格好をさせることに「強い霊威」があるという感覚があったのかもしれません。個人的には女の子よりも病気に弱い少年に女装して女の子として育てることで病気を防ぐという感覚があって、それが伊勢神宮の宗教儀式としてあったのではないかと。
●昭和30年代まで日本でも少年に女の子の格好をさせて育てる風習があった。

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女装は珍しいことではない?

日本書紀では、川上梟師が女装したヤマトタケルを「戯弄」したとあります。戯弄は「たわむれて、まさぐる」ということなんですが、これが果たして、どの程度の「まさぐり」なのかはハッキリとはしません。腿を触る程度のことかもしれません。

もしも、少年に女装させることが一般的な風習であるならば、女装した少年にお酌をさせることは何も珍しいことではなく、少年をまさぐること自体は何も問題はないのかもしれません。少年の股間を触って、男性器があったとしても、そこには問題がないという認識だったのかもしれない。

証拠にはなりませんが、古事記でも日本書紀でも、お酌をしていた少女(=ヤマトタケル)に刺されたクマソタケル(川上梟師)が「え! お前! 男だったの??」と驚く記述はありません。突然、刺されたことが驚きで、刺した少年がヤマトの皇子だったことが驚きだっただけです。

古代では少年が女装することは珍しいことではなかった可能性はあると思います。
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引用

古事記
オウス命は倭比売命から援助を受ける
「西に熊曽建(クマソタケル)というものが二人居る。彼らは従わないものどもだ。お前は西に向かい、彼らを討て」
と言い、オウス命を派遣しました。
このとき、オウス命は神を額に結っている子供でした。
小碓命(オウスミコト)は叔母の倭比売命ヤマトヒメミコト)の衣服をもらいうけ、剣を懐に入れていきました。

クマソタケル兄弟を征伐
宴会の日になりました。
オウス命は少女の髪のように櫛で梳き、垂らして結んで叔母からもらった服を着て、少女のようになり、宴会の女性達の中に混じって家に入っていきました。
すると熊曽建(クマソタケル)の兄弟の二人はオウス命が化けた少女を見て気に入り、兄弟の間に座らせて、酒盛りしました。
宴もたけなわとなったとき、オウス命は懐より剣を取り出し、熊曽の兄の服の衿(エリ)を掴んで、引き寄せて剣を胸に突き刺しました。

日本書紀
景行天皇(二十五)川上梟師の宴会と暗殺
(川上梟師は)すべての親族(ウガラヤカラ)を集めて宴会をしようとしていました。そこで日本武尊は髪を解いて、童女の姿と成って密かに川上梟師の宴会に参加しました。そして剣を裀(ミソ=敷物)の裏に隠しておきました。川上梟師が宴会の部屋に入って、女たちの中に混じりました。川上梟師はその童女の容姿を愛でて、すぐに手を取って同席して、杯を挙げて酒を飲みつつ、戯れて弄(マサグ)りました。それで夜は更けて、参加者もまばらになりました。川上梟師はまだ酒に酔っていました。それで日本武尊は敷物の裏に隠した剣を抜き出し、川上梟師の胸を刺しました。
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