日本神話で隠岐島が早くに生まれた理由

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日本神話で隠岐島が早くに生まれた理由

投稿日時:2017-07-22 09:15:37
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概要

まとめ
●隠岐島は古事記ではかなり初期に生まれた島として登場する。
●隠岐島には4つの名神大社があった。小さな島に4つあるのはすごい。
●隠岐島は重要な土地だった。
●隠岐島では黒曜石が取れる。
●隠岐島が黒曜石はロシアにまで交易によって取引で移動している。
●隠岐島は海上貿易で重要な土地であり、朝廷で重要視されていた。だから古事記で初期に生まれたのだと思われる。

隠岐島

隠岐島は島根県の北にある諸島。
古事記によれば3番目に生まれた「島」。
古事記では「隠伎之三子島」。日本書紀では「億岐三子洲」「隠岐洲(オキノシマ)」と表記されていています。

今では日本一田舎な島根県の沖に浮かぶ、有名じゃない島なんですが、延喜式によれば隠岐島にある水若酢神社・由良比女神社・宇受賀命神社・伊勢命神社と四つが「名神大社」となっています。名神大社は畿内だと多いのですが、例えば島根県だと出雲大社(=杵築大社)・熊野大社(=熊野坐神社)の二つしかありません。それが小さな島の中に4つ。これだけでも如何に隠岐島が特別な島なのか分かりますよね。
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隠岐島と黒曜石

隠岐島からは黒曜石という石が産出されていました。そんなものはただの石だ、百歩譲ってただの鏃、なんて考えがちですが、この黒曜石は非常に便利なものでした。石が薄いナイフのようにペキペキと割れるのです。たとえば、薄く切って使い、キレが悪くなったら、また薄く切って刃を更新して切れ味を戻すのです。今でいうカッターナイフのようなものです。
これが非常に重要な「交易品」として流通しました。日本国内のみならず、遠くロシアまで隠岐島の黒曜石は取引されていたことが成分の分析から分かっています。

これは縄文時代にかなり広範囲で「交易があった」ことを示していて、かなり活発な経済活動があったってことです。そこらへんをチョコチョコと移動していただけでは説明がつきません。
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隠岐島は貿易の要衝

応神天皇が名前を交換した気比神社の神が特別視されていたり、敦賀には朝鮮出身の神アメノヒボコ(天日槍)が関係していたり、垂仁天皇の時代に海の向こうの常世の国へ橘を取りに行った多遅摩毛理も兵庫県豊岡市で日本海側。隠岐島の前後はどうも「海外貿易」の土地という認識があったよう。

隠岐島はかなりの重要な土地だった。古事記・日本書紀を編纂した時代にどの程度の認識だったかは疑問ですが、それでもかなり評価が高かっただろうし、過去の評価を神話化したものが伝わっていたのだと思います。それが隠岐島が早い段階で「生まれた」理由だろうと思われます。
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