第九段一書(二)—5磐長姫の呪い

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第九段一書(二)—5磐長姫の呪い

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原文

時皇孫因立宮殿、是焉遊息。後遊幸海濱、見一美人。皇孫問曰「汝是誰之子耶。」對曰「妾是大山祇神之子、名神吾田鹿葦津姫、亦名木花開耶姫。」因白「亦吾姉磐長姫在。」皇孫曰「吾欲以汝爲妻、如之何。」對曰「妾父大山祇神在。請、以垂問。」皇孫因謂大山祇神曰「吾見汝之女子、欲以爲妻。」於是、大山祇神、乃使二女、持百机飲食奉進。時皇孫、謂姉爲醜不御而罷、妹有国色引而幸之、則一夜有身。故磐長姫、大慙而詛之曰「假使天孫、不斥妾而御者、生兒永壽、有如磐石之常存。今既不然、唯弟獨見御、故其生兒、必如木花之移落。」一云、磐長姫恥恨而唾泣之曰「顯見蒼生者、如木花之、俄遷轉當衰去矣。」此世人短折之緑也。
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現代語訳

第九段一書(二)—5
皇孫(スメミマ=ニニギ)は宮殿を建てて、ここで休みました。その後、海辺に遊びに行くと、一人の美人(オトメ)を見ました。皇孫(スメミマ)はその少女に尋ねました。

「お前は、誰の子だ?」
少女は答えました。
「わたしは大山祇神(オオヤマズミ)の子で、名前を神吾田鹿葦津姫(カムアタカシツヒメ)、別名を木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)と言います」
更に
「また私には姉が居ます。
磐長姫(イワナガヒメ)といいます」

皇孫は言いました。
「私は、お前を妻にしたいと思うが、どうか?」

木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)は答えました。
「わたしの父の大山祇神(オオヤマズミ)が居ます。
父に相談してください」

皇孫(スメミマ)は大山祇神(オオヤマズミ)に言いました。
「わたしは、お前の娘を見た。
妻にしたいと思う」

大山祇神(オオヤマズミ)は二人の娘(=コノハナサクヤヒメとイワナガヒメ)に百机飮食(モモトリノツクエモノ=たくさんの御馳走)を皇孫の元へと送りました。

皇孫(スメミマ)は、姉(=イワナガヒメ)は醜いと思って、拒否して避けました。妹(=コノハナサクヤヒメ)は有国色(カオヨシ=美人)として近くに置いて可愛がりました。

それで一晩で妊娠しました。
磐長姫(イワナガヒメ)は恥ずかしく思い、呪いの言葉を吐きました。
「もしも、天孫(スメミマ)が私を斥(シリゾ)けず、かわいがれば、生まれる子供は命が長く、磐石(イワ)のようになったでしょうが、今、そうは成りませんでした。妹だけを可愛がったことで、生まれた子の命は必ず木の花のように、(美しい花が時間とともに変わるように)変わり、(木から花が落ちるように)落ちてしまうでしょう。
ある書によると、磐長姫(イワナガヒメ)は恥ずかしく思い、恨んで唾を吐いて泣いて、「顯見蒼生(ウツシキアオヒトクサ=地上の人間)は木の花のように移ろいやすく、衰えてしまうでしょう」と言いました。
これが世の中の人の命が短い所以(ユエン)です。
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解説

オオヤマヅミは男か女か
第九段本文―9 事勝国勝長狹の国」ではコノハナサクヤヒメは「天神(アマツカミ)が大山祇神(オオヤマツミノカミ)を娶って生んだ子」とされているので、オオヤマヅミは女です。

でも、ここではハッキリと「父」と書かれています。男なのやら、女なのやら。
●ただ、山の神は本来女神です。

イワナガヒメの呪い
美人の妹を選んだ事で「寿命」が生まれました。古事記では呪いではなく、オオヤマヅミが「姉妹を送ったのは、花のように長く、花のように栄えるようにと願ったからなのに。妹だけを娶ったから、長生きは出来ないなぁ」と語っただけで、呪いではなく、オオヤマヅミから与えられる予定だった「岩のように長い命」が「与えられなかった」という物語になっています。

しかし、この書ではハッキリとイワナガヒメによる呪いと書かれています。まぁ、呪われてもしょうがない気もするのですが。
顯見蒼生(ウツシキアオヒトクサ)について
ウツシキは、霊力が高まることで見えなかったものが現れるという意味です。「青人草」は「人民」という意味の言葉です。

日本人は「人間」も霊力が高まった「モノ」と考えていたようです。つまり、人間も「神」の一種ということです。

個人的コラム

サクヤヒメとイワナガヒメで美人の妹を選んだら、寿命が短くなったという話は、東南アジアにある「バナナ型神話」と言われています。

バナナ型神話は、バナナと岩だったり、バナナとエビという選択肢で、岩はイワナガヒメと同じ。エビは脱皮を繰り返して延々と生きるので、イメージが違いますが、やはり長い寿命を表しています。

バナナ型神話は、聖書(アダムとイブのリンゴ)、ギリシャ神話、沖縄、ギルガメッシュ叙事詩(紀元前2600年メソポタミア)、東南アジアと広範囲にあります。

これらは中東・インド・東南アジア・日本を結ぶ海運航路の中で伝わったのではないか?と私は思っています。
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