速狹騰とは悪いことを言う婦人だ

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神功皇后(十四)速狹騰とは悪いことを言う婦人だ

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現代語訳

その時に神はその名を名乗りました。
「表筒雄(ウワツツノオ)・中筒雄(ナカツツノオ)・底筒雄(ソコツツノオ)」
とこの三柱の神の名を名乗って、重ねて言いました。
「私の名前は向匱男聞襲大歷五御魂速狹騰尊(ムカヒツオモソホフイツノミタマハヤサノボリノミコト)だ」
その時、天皇は皇后に語って言いました。
「聞きにくいことを言う婦人か!
どうして速狹騰(ハヤサノボリ)と言うのか」
それで神は天皇に言いました。
「汝王(イマシミコト天皇のこと)よ。
いま言ったことを信じないならば、必ずその国を得られない。ただし今、皇后の懐胎(ハラ)んだ子は得られるだろう」
この夜に天皇はたちまち病気になって崩御しました。
その後、皇后は神の教えのままに祀りました。皇后は男の束装(ヨソオイ)をして新羅を征伐しました。神は(神功皇后に)留まって導きました。それで隨船浪(フナナミ)が遠く新羅の国の中にたどり着きました。
新羅の王は宇流助富利智干(ウルソホリチカ)は参り迎えて跪(ヒザマヅ)いて、王船で頭を地面に叩きつけて言いました。
「臣(ヤッコ)、今より以後、日本国に居る神の御子に内官家(ウチツミヤケ=天皇の直轄領)として、絶えることなく朝貢します」
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解説

向匱男聞襲大歷五御魂速狹騰尊(ムカヒツオモソホフイツノミタマハヤサノボリノミコト)とは?
この名前が住吉三神の別名を指しているのか、それとも「神功皇后(二)天疎向津媛命と尾田吾田節之淡郡所居神と事代主」に登場した神々のどれかを指しているのか、それとも「神功皇后(二)天疎向津媛命と尾田吾田節之淡郡所居神と事代主」に登場した神の三柱全てを一言で表しているのか? それはなんともハッキリしません。

ただ、最後の速狹騰(ハヤサアガリ)という言葉を「悪いこと」と仲哀天皇が言っているのですから、この言葉には悪い意味があるのでしょう。ハヤアガリの「ハヤ」は英語で言うところのGreat とかveryという意味で強調です。「サ」は「稲霊」、「アガリ」は「死ぬ」という意味です。この「名前」を聞いた夜には仲哀天皇は死んでしまうのです。

ではどうして「アガリ」という言葉が入っていたのかというと、この名前自体は悪い名前ではありません。
というのも、日本人は春に山から穀物霊(穀物神)が降りてきて、それが里の畑に宿り、穀物を育てると考えていました。その穀物霊は冬になると、「死ぬ」のです(もしくは山に帰る)。穀物霊というのは季節を神格化しているもので、「冬=死」という手順を踏むものです。冬に死ぬことで、翌年の春に新しいピチピチした若い穀物霊を迎えることが出来るのです。別に「冬に死ぬ」ことは何ら悪いことではありません。古代では常識だった筈です。感覚として通常だった。ただ「アガリって言葉が不吉だな、おい、なんてこと言うんだよ、婦人」と仲哀天皇は思ったんです。結婚式のスピーチで「別れる」という言葉を避けるのと一緒です。そしてその不吉な言葉の通り、仲哀天皇はその夜に死んだんです。
宇流助富利智干(ウルソホリチカ)とは
これは新羅の将軍である昔于老(セキウロウ)とされます。昔于老は新羅10代王・奈解尼師今の子で「三国史記」によると3世紀の中頃の人物になります。仮にこの3世紀の中頃の人物というのが「正しい」とすると、神功皇后は3世紀の人物で、卑弥呼と同時代の人物となります。日本書紀にある「神功皇后は邪馬台国の卑弥呼」という記述は史実という可能性が高まります。ただ、神功皇后が4世紀の中頃の人物であることは間違いなく、3世紀ということは有り得ないので、昔于老(セキウロウ)も4世紀の人物と考えるべきでしょう。
⚫︎于老が兵を率いて浦上八国を破ったと三国史記にあるが、新羅が浦上八国を破ったのは6世紀。また于老が伽耶国を巡って百済と戦争した記述が三国史記にあるが、これも6世紀の話。
⚫︎以上のことから于老は6世紀の人物、というよりは于老の功績は後から付与されたものと考えたほうが自然。
⚫︎朝鮮の正式な歴史書である「三国史記」は高麗が編纂したもので成立は12世紀。政治的な意図が強い。

ちなみに朝鮮の歴史書「三国史記」では昔于老(セキウロウ)は何度も他国の侵略から新羅を守った名将軍ですが、ある日、倭国の使者の前で「倭の王を潮汲み人夫にし、王妃を炊事婦にする」と暴言を吐いたために、倭人の兵に焼き殺され、それがきっかけで新羅と倭国の戦争が始まったことで、あまり評価されなくなった将軍でもあります。
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原文

時、神稱其名曰「表筒雄・中筒雄・底筒雄。」如是稱三神名、且重曰「吾名、向匱男聞襲大歷五御魂速狹騰尊也。」時天皇謂皇后曰「聞惡事之言坐婦人乎、何言速狹騰也。」於是、神謂天皇曰「汝王如是不信、必不得其国。唯今皇后懷姙之子、蓋有獲歟。」是夜天皇忽病發以崩之。然後、皇后隨神教而祭、則皇后爲男束裝征新羅、時神留導之、由是隨船浪之遠及于新羅国中。於是、新羅王宇流助富利智干、參迎跪之、取王船卽叩頭曰「臣自今以後、於日本国所居神御子、爲內官家、無絶朝貢。」
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