天平瓮と嚴瓮と酒と嚴呪詛

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九月甲子朔戊辰(一)天平瓮と嚴瓮と酒と嚴呪詛

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現代語訳

9月5日。神武天皇は菟田(ウダ)の高倉山(タカクラヤマ)の嶺に登って、国中を眺めました。そのときに国見丘(クニミノオカ)の上に敵の八十梟帥(ヤソタケル)が居ました。
梟帥は多稽屢(タケル)と読みます。

また、八十梟帥(ヤソタケル)は女坂(メサカ)に女軍(メイクサ=女子の軍隊)を置きました。男坂(オサカ)に男軍(オイクサ=男の軍隊)を置きました。墨坂(スミサカ)に焃炭(オコシズミ=炭火)を置きました。この女坂・男坂・墨坂の地名はこういう由来です。また敵対する兄磯城軍(エシキノイクサ)が磐余邑(イワレノムラ)に大勢、滞在していました。
磯は志(シ)と読みます。

賊虜(アタ=敵軍)が陣を張った所は、要衝でしたから、道路は塞がって通ることが出来ません。
神武天皇は困りました。
この晩、天皇誓約(ウケイ)をして眠りました。
夢に天神(アマツカミ)が現れ、言いました。
天香山(アマノカグヤマ)の神社の土(ハニ)を取って、天平瓮(アマノヒラカ=酒杯)を八十枚作り、嚴瓮(イツヘ=酒瓶)を造り、天津神国津神を祀り、嚴呪詛(イツカノカシリ=強い呪い)をかけなさい。それで敵軍は自然と従うだろう」
香山は介遇夜摩(カグヤマ)と読みます。
平瓮は毗邏介(ヒラカ)と読みます。
嚴呪詛は怡途能伽辭離(イツノカシリ)と読みます。
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解説

ヤソタケルのヤソは「沢山」という意味で、タケルは「強い」で「沢山の強い男」という意味とされます。ですが、次のページに「磯城のヤソタケル」「赤銅のヤソタケル」と出て来ることを考えるとヤソタケルは「とても強い男」という意味で、名前ではなく「武人」といった意味合いかと思われます。
誓約天皇
例えば、戦争の前に「わたしが戦争に勝つなら、狩りがうまく行く」と宣言してから、狩りをします。その狩りの獲物の次第で戦争の吉凶を占うといったものが「誓約」です。
誓約は言葉が現実化する「言霊信仰」を根本にしています。霊威が強いほどに言葉は現実化しやすいので、誓約によって自分の霊威を計るわけです。
ちなみに誓約に負けたらどうなるか?
神功皇后が朝鮮征伐から帰って来ると本妻の息子たちが皇后と応神天皇を殺そうと仕掛けて来ます。その仕掛けるまえに誓約をして狩りで吉凶を占っています。結果はなんと「逆にイノシシに食い殺される」というもの。
参考:忍熊王の反逆香坂王を咋ひ食みき
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個人的コラム

ヒラカとイツヘと酒
酒を入れる杯と、酒瓶を作って、神様を祭る。
酒は米から作られます。
稲はニニギによってアマテラスから地上へと運ばれたもの。その稲から米が出来ます。また酒を飲んで巫女はトランス状態になり神をその身に降ろしていたのではないか?とも思われます。それに酒は神社が作っていました。
あと大事なポイントとして米は大和朝廷にとって根本でした。米を税金として通貨のように徴収して、それで朝廷を運営していたのです。米があってこその大和朝廷です。

そんな中では酒は単なる「飲み物」ではなく、朝廷の存在理由であり、神聖であり、祀りには欠かせない、そしてもしかするとそれが朝廷の「権威」だったのではないか?と思うのです。

大和朝廷は神社に「酒」を納めています。なぜ酒を納めるのか? 納めた事を記録として残したのか?? 濃い酒を造る技術を特別に持っていたのではないでしょうか? つまり「旨い」が、朝廷の権威を高めていたのではないか? と思うのです。

神楽や歌や踊りが神を感動させ、それで豊穣をもたらしたり、天変地異を鎮めます。同様に「美味しい食べ物」も神を感動させる貢ぎ物だったはずです。ならば、おいしい食べ物を作ることが出来る氏族は、この世界を変える力があるに等しい。

それが料理担当の久米氏だったのでしょう。

原文

九月甲子朔戊辰、天皇陟彼菟田高倉山之巓、瞻望域中。時、国見丘上則有八十梟帥(梟帥、此云多稽屢)、又於女坂置女軍、男坂置男軍、墨坂置焃炭。其女坂・男坂・墨坂之號、由此而起也。復有兄磯城軍、布滿於磐余邑。(磯、此云志。)賊虜所據、皆是要害之地、故道路絶塞、無處可通。天皇惡之、是夜自祈而寢、夢有天神訓之曰「宜取天香山社中土(香山、此云介遇夜摩)以造天平瓮八十枚(平瓮、此云毗邏介)幷造嚴瓮而敬祭天神地祇(嚴瓮、此云怡途背)、亦爲嚴呪詛。如此、則虜自平伏。」(嚴呪詛、此云怡途能伽辭離。)
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