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宗像三女神の一覧・出生順
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まとめ
●日本書紀本文をひっくり返せば、一書1と一書3は同じ。
●実際の宗像大社の順番と本文と一書1と一書3は一致する。
●記紀の順番の違いは、宗像の神が「海運の神」というそもそもの性質と、その後の「農業の神」という性質が混ざり合った結果ではないかと。
●日本書紀本文をひっくり返せば、一書1と一書3は同じ。
●実際の宗像大社の順番と本文と一書1と一書3は一致する。
●記紀の順番の違いは、宗像の神が「海運の神」というそもそもの性質と、その後の「農業の神」という性質が混ざり合った結果ではないかと。
一覧を読む前に
●女神ごとに色分けをしています。その場合、「タキツヒメ」と「タギツヒメ」を同一としています。また、「タキリヒメ」「タゴリヒメ」「タコリヒメ」も同一としています。これは消去法で考えれば、自然なことではあります。
●それでも、「タキリヒメ」「タゴリヒメ」「タコリヒメ」を本当に同一神としてみていいのかは疑問。
●日本書紀一書1の「オキツシマヒメ」も消去法で「イチキシマヒメ」と同一と見て色分けしました。
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宗像三女神の記紀での一覧
第一子 | 第二子 | 第三子 | |
古事記 | 多紀理毘売命 タキリヒメノミコト 別名:奥津嶋比売命 オキツシマヒメノミコト | 市寸嶋比売命 イチキシマヒメオミコト 別名:狭依毘売命 サヨリビメノミコト | 多岐都比売命 タキツヒメノミコト |
日本書紀本文 | 田心姫 タコリヒメ | 湍津姫 タギツヒメ | 市杵嶋姫 イチキシマヒメ |
日本書紀一書1 | 瀛津嶋姫 オキツシマヒメ | 湍津姫 タギツヒメ | 田心姫 タゴリヒメ |
日本書紀一書2 | 市杵嶋姫命 イチシキシマヒメ 沖つ宮の神 | 田心姫命 タコリヒメ 中つ宮の神 | 湍津姫命 タギツヒメ 辺つ宮の神 |
日本書紀一書3 | 瀛津嶋姫命 オキツシマヒメ 別名:市杵嶋姫命 イチキシマヒメ | 湍津姫命 タギツヒメ | 田霧姫命 タキリヒメ |
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解説
順番はバラバラで一貫性は薄いが、日本書紀ではともかく「イチキシマヒメ」が「最初か最後」という点では一致している。つまりイチキシマヒメは、両端なわけです。そういう意味では日本書紀の本文をひっくり返せば、一書1と一書3と同じ順番になるので、この三つは系統としては近いと言えるのかもしれません。
問題はオキツシマヒメ
オキツシマヒメというのは「奥の島」「沖の島」という意味です。記紀ではこの「オキツシマヒメ」という名前は「特別な意味」を持っていると考えていたのでしょう。この名前だけが頻出しています。
宗像大社には宮が三つあり、そこに祀られている神は以下の通りです。
これを出生順と考えると、順番と名前が完全に一致するのは「日本書紀本文」なのです。しかし、おかしいですよね。日本書紀では「イチキシマヒメ=オキツシマヒメ」という描かれ方が多いのに、実際の宗像大社ではイチキシマヒメは辺津宮は陸地の宮なんです。
こういうことじゃないでしょうか
そもそも宗像の女神はそもそもは海の神でした。海運の神で、海の航行の安全を願う神でした。ところが、どうも宗像の人たちは、その後、海を伝い、「水耕稲作」の技法を日本の各地に伝えたようなのです。そうなると、その農業技術が伝わった土地では宗像の神は海運の神ではなく、「農業の神」となります。この宗像の人たちが住んでいたのが現在の辺津宮の近辺の人だった。そこで「イチキシマヒメ」が特別視されるようになった。
宗像大社の沖津宮は現在でも、関係者以外は上陸禁止の禁足地です。この沖津宮には縄文時代からの遺物がゴロゴロと転がっていて、大昔からの神の特別な島だった。だから本来は「田心姫神」が最も神聖な特別な神だった。それが農業伝播の経緯から、ひっくり返って「イチキシマヒメ」が格上になったんじゃないかと思います。
ところで古事記では第二子がイチキシマヒメと成っているのは、「真ん中が偉い」という感覚が勝ったからじゃないかと。宗像の世界観の本来は「一番遠い神が偉い」というだったのでしょうね。その違いが出たと。どうしてこの世界観の違いが生まれたのかというと…。
海の民が島を特別視するのは座標になるからです。島が見えれば、今、自分がどの位置がわかる。安心しますよね。だから、陸地に近い島ではなく、多少離れていて、目印にした時に頼れる島の方が助かる。だから「オキツシマヒメ(沖の島という意味)」は特別だった。離れていることが神聖な条件になるわけです。海運の目線では遠いところの島が神聖なんです。
しかし農業はそんな考えは一切はありません。日本人は海の向こうや山から神がやってきて、それが稲を育てると考えていました。だけど「遠いほど良い」などという考えはありません。そうなると王様と家来の配置から考えても「真ん中が偉い」という感覚が勝つ。それが古事記と日本書紀の順番の違いの一つじゃないかと考えています。
その証拠となるかは分かりませんが、古事記ではイチキシマヒメの別名に「サヨリヒメ」とあります。「サ」は稲霊のことで、「サヨリ」で稲の霊が憑依するという意味になります。日本人の農業は神が畑に宿って生育するというものですから、その稲霊として「イチキシマヒメ」を特別視するのは完全に「農業の目線」なんですね。「海運の目線」じゃないんです。
そういう海運の神と農業の神での目線がごっちゃに混じり合った結果が記紀の順番の違いでしょうね。
問題はオキツシマヒメ
オキツシマヒメというのは「奥の島」「沖の島」という意味です。記紀ではこの「オキツシマヒメ」という名前は「特別な意味」を持っていると考えていたのでしょう。この名前だけが頻出しています。
宗像大社には宮が三つあり、そこに祀られている神は以下の通りです。
これを出生順と考えると、順番と名前が完全に一致するのは「日本書紀本文」なのです。しかし、おかしいですよね。日本書紀では「イチキシマヒメ=オキツシマヒメ」という描かれ方が多いのに、実際の宗像大社ではイチキシマヒメは辺津宮は陸地の宮なんです。
こういうことじゃないでしょうか
そもそも宗像の女神はそもそもは海の神でした。海運の神で、海の航行の安全を願う神でした。ところが、どうも宗像の人たちは、その後、海を伝い、「水耕稲作」の技法を日本の各地に伝えたようなのです。そうなると、その農業技術が伝わった土地では宗像の神は海運の神ではなく、「農業の神」となります。この宗像の人たちが住んでいたのが現在の辺津宮の近辺の人だった。そこで「イチキシマヒメ」が特別視されるようになった。
宗像大社の沖津宮は現在でも、関係者以外は上陸禁止の禁足地です。この沖津宮には縄文時代からの遺物がゴロゴロと転がっていて、大昔からの神の特別な島だった。だから本来は「田心姫神」が最も神聖な特別な神だった。それが農業伝播の経緯から、ひっくり返って「イチキシマヒメ」が格上になったんじゃないかと思います。
ところで古事記では第二子がイチキシマヒメと成っているのは、「真ん中が偉い」という感覚が勝ったからじゃないかと。宗像の世界観の本来は「一番遠い神が偉い」というだったのでしょうね。その違いが出たと。どうしてこの世界観の違いが生まれたのかというと…。
海の民が島を特別視するのは座標になるからです。島が見えれば、今、自分がどの位置がわかる。安心しますよね。だから、陸地に近い島ではなく、多少離れていて、目印にした時に頼れる島の方が助かる。だから「オキツシマヒメ(沖の島という意味)」は特別だった。離れていることが神聖な条件になるわけです。海運の目線では遠いところの島が神聖なんです。
しかし農業はそんな考えは一切はありません。日本人は海の向こうや山から神がやってきて、それが稲を育てると考えていました。だけど「遠いほど良い」などという考えはありません。そうなると王様と家来の配置から考えても「真ん中が偉い」という感覚が勝つ。それが古事記と日本書紀の順番の違いの一つじゃないかと考えています。
その証拠となるかは分かりませんが、古事記ではイチキシマヒメの別名に「サヨリヒメ」とあります。「サ」は稲霊のことで、「サヨリ」で稲の霊が憑依するという意味になります。日本人の農業は神が畑に宿って生育するというものですから、その稲霊として「イチキシマヒメ」を特別視するのは完全に「農業の目線」なんですね。「海運の目線」じゃないんです。
そういう海運の神と農業の神での目線がごっちゃに混じり合った結果が記紀の順番の違いでしょうね。
まぁ、そんなややこしい理屈を立てなくても、宗像大社の沖津宮は田心姫神ですから、古事記で第一子を多紀理毘売命(タキリヒメノミコト=田心姫神)と書いたのはむしろ正確なんですよね。
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引用したページ
宗像三女神の誕生
第六段本文-3 赤心を証明するための誓約
第六段一書(一)天孫によって祀られなさい
第六段一書(二)羽明玉と瑞八坂瓊之曲玉
第六段一書(三)六柱の男神
その息吹から生まれた神の名は
多紀理毘売命(タキリヒメノミコト)。別名は奥津嶋比売命(オキツシマヒメノミコト)です。
次が市寸嶋比売命(イチキシマヒメオミコト)。別名は狭依毘売命(サヨリビメノミコト)。
次が多岐都比売命(タキツヒメノミコト)です。
多紀理毘売命(タキリヒメノミコト)。別名は奥津嶋比売命(オキツシマヒメノミコト)です。
次が市寸嶋比売命(イチキシマヒメオミコト)。別名は狭依毘売命(サヨリビメノミコト)。
次が多岐都比売命(タキツヒメノミコト)です。
第六段本文-3 赤心を証明するための誓約
それでアマテラスはスサノオが持っていた十拳釼(トツカノツルギ)を受け取り、これを三段に折って、天眞名井(アメノマナイ)の井戸水で濯(すす)いで清めて、カリカリと噛んで砕いてフっと噴出しました。すると生まれたのが
田心姫(タコリヒメ)
湍津姫(タギツヒメ)
市杵嶋姫(イチキシマヒメ)
の三姉妹です。
田心姫(タコリヒメ)
湍津姫(タギツヒメ)
市杵嶋姫(イチキシマヒメ)
の三姉妹です。
第六段一書(一)天孫によって祀られなさい
そう言ってまず、腰の十拳剣を噛んで生んだ子供が瀛津嶋姫(オキツシマヒメ)です。九拳剣を噛んで生まれた子供は湍津姫(タギツヒメ)です。八拳剣を噛んで生まれた子供は田心姫(タゴリヒメ)です。以上三柱の女神です。
第六段一書(二)羽明玉と瑞八坂瓊之曲玉
アマテラスは八坂瓊之曲玉(ヤサカニノマガタマ)を天眞名井(アメノマナイ)に浮かべて洗い、勾玉の端を噛み切って噴き出すと、その中に神が生まれました。
神の名前は市杵嶋姫命(イチシキシマヒメ)です。この神は遠瀛(オキツミヤ=沖つ宮)に居る神です。
次に勾玉の中央を噛み切って噴き出すと、神が生まれました。神の名前は田心姫命(タコリヒメ)です。この神は中瀛(中つ宮)に居る神です。
次に勾玉の尾を噛み切って噴き出すと、神が生まれました。神の名前は湍津姫命(タギツヒメ)です。この神は海濱(ヘツミヤ=辺つ宮)に居る神です。
以上三柱の女神です。
神の名前は市杵嶋姫命(イチシキシマヒメ)です。この神は遠瀛(オキツミヤ=沖つ宮)に居る神です。
次に勾玉の中央を噛み切って噴き出すと、神が生まれました。神の名前は田心姫命(タコリヒメ)です。この神は中瀛(中つ宮)に居る神です。
次に勾玉の尾を噛み切って噴き出すと、神が生まれました。神の名前は湍津姫命(タギツヒメ)です。この神は海濱(ヘツミヤ=辺つ宮)に居る神です。
以上三柱の女神です。
第六段一書(三)六柱の男神
日神はまず十拳釼(トツカノツルギ)を食べて生まれた子は瀛津嶋姫命(オキツシマヒメ)、別名を市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)といいます。また九拳釼(ココノツカノツルギ)を食べて生まれた子は湍津姫命(タギツヒメ)です。八握劒(ヤツカノツルギ)を食べて生まれた子が田霧姫命(タキリヒメ)です。
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