古事記の近親婚のカップル

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古事記の近親婚のカップル

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概要

日本神話で話題になる「近親婚」を集めてみました。
もしかしたら漏れているのもあるかもしれません。
あと、例えば天皇の場合、姉と妹が二人とも嫁いだ場合、現在の常識でいうと「おかしい」ですが。もう、そこはカウントしませんでした。面倒だし、古事記・日本書紀を読む限り、それは当時の常識で言えばごくごく普通だからです。
以下の一覧を読む前に
●神話では近親婚は珍しくない。どこの世界でもある。
●古代の日本では現在のように「男性社会」ではなく、女性の家が権力を支える社会だったと思われる。前の権力者の妃を、次の権力者が引き継いで妃にしているのは、どうやら権力移譲をスムーズに行うためのよう。
●サホビメとサホビコ、カルノミコとカルノイイラツメという、名前がほとんど同じ兄妹に至っては兄妹ではなくて、「そういう氏族」がいただけなんじゃないかと個人的には思っている。ここにあげた二つの例はどちらも朝廷に謀反を起こし、失敗している。謀反をした氏族を「兄妹」で象徴したのではないか?
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神代のカップル

イザナギ(兄)
イザナミ(妹)

日本創生の神様。日本の島々と神々はこの夫婦(兄妹)が作り出したと言っていいでしょう。

ハヤアキツヒコノカミ(兄)
ハヤアキツヒメカミ(妹)

イザナギイザナミの子供たち。どちらも水戸神(ミナト神)で川や海に関わる髪を生み出しました。

アマテラス(姉)
スサノオ(弟)

二人を誓約をして女神3柱と男神5柱を生み出しています。誓約はいわば裁判であって「性交」ではないのですが、これをそういう風に捉える人もいます。

ヤシマジヌミノカミ(義理の甥)
コノハナチルヒメ(義理の叔母)

ヤジマジヌミノカミはスサノオクシナダヒメの子。スサノオクシナダヒメとは別にカムオオイチヒメとも結婚しています。このカムオオイチヒメの妹がコノハナチルヒメ。つまりヤシマジヌミノカミから見ればコノハナチルヒメは父親の後妻の妹(=義母の妹)にあたり、血縁関係はないですが甥と叔母の関係になります。

ウガヤフキアエズ(甥)
タマヨリヒメ(叔母)

ウガヤフキエアズはホオリ(山幸彦)とトヨタマヒメの子。トヨタマヒメの妹がタマヨリヒメ。よってウガヤフキアエズから見れば叔母です。それだけではなく、タマヨリヒメウガヤフキアエズの「養育係」であるので、単なる叔母というだけではなく「育ての母」というおまけ付き。
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神武天皇以降のカップル

タギシミミ(義理の息子)
ヒメタタライスケヨリヒメ(義理の母)

ヒメタタライスケヨリヒメ神武天皇の皇后で後妻。タギシミミは前妻の子。神武天皇の死後、タギシミミがヒメタタライスケヨリヒメを妻に。タギシミミはイスケヨリヒメの子供たち、つまり義理の弟たちに殺されてしまいます。

開化天皇
イカガシコメ(義理の母)

伊迦賀色許売命(イカガシコメノミコト)は前の天皇で、開化天皇の父親である孝元天皇の妃。義理の母を引き継ぎ妃にしたということです。

サホビコ(兄)
サホビメ(妹)

垂仁天皇の皇后だったサホビメですが、兄サホビコに「どちらを愛しているか」と迫られ、断りきれず、兄妹で謀反を起こし天皇に弓を引きました。結局、稲を積み上げた城に火をつけて死亡。

景行天皇
カグロヒメ(?)

倭建命ヤマトタケル)の曾孫の須売伊呂大中日子王(スメイロオオナカツヒコ)の娘が訶具漏比売(カグロヒメ)。そしてヤマトトアケルは景行天皇の息子。つまり景行天皇は自分の息子の玄孫を妃にしたというSFちっくな設定。おそらくこのヤマトタケルという人物が二人居たってだけだと思いますが。

ワカノケフタマタノミコ(甥)
モモシキイロベ(叔母)

若野毛二俣王(ワカノケフタマタノミコ)が母の妹(つまり叔母)である百師木伊呂弁(モモシキイロベ)を娶ったとある。でも記述はそれだけ。
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允恭天皇の子供たち

キナシノカルノミコ(兄)
カルノオオイラツメ(妹)

木梨之軽王(キナシノカルノミコ)と軽大郎女(カルノオオイラツメ)は同腹の兄と妹。二人は恋に落ちたようで、この不義の恋を理由に本来、長子で天皇になってもおかしくない木梨之軽王は人望を失い、穴穂命(=安康天皇)に捕らえられ島流しに会う始末。しかし、その安康天皇は実の妹を皇后にしているわけで、おかしなお話です。

安康天皇(兄)
ナガタノオオイラツメ(妹)

長田大郎女(ナガタノオオイラツメ)は安康天皇の「同腹の妹」で皇后。そして皇后にしちゃう経緯がすごい。安康天皇の弟には「大泊瀬皇子」がいました。彼はのちに雄略天皇になる人物。彼が「嫁が欲しい!」というものですから妹の長田大郎女が嫁に行った大日下王に、安康天皇が、大日下王の妹の「若日下王」を大泊瀬皇子に嫁がせろ!と命令するんですね。大日下王は快諾するんですが、入れ違いがあって拒絶されたと伝わったので怒った安康天皇は大日下王を殺して、なんと大日下王の妻だった実の妹のナガタノオオイラツメを妻にしてしまいます。それだけではありません。ナガタノオオイラツメはすでに大日下王との間に子供(マヨワ王)をもうけていて、実の父を安康天皇に殺されたことを知った幼いマヨワ王はなんと安康天皇を暗殺してしまうのです。いやー劇的です。

ちなみに「木梨之軽王(キナシノカルノミコ)と軽大郎女(カルノオオイラツメ)・安康天皇(兄)・ナガタノオオイラツメ(妹)」の四人は允恭天皇と忍坂大中津比売命(オシサカノオオナカツヒメノミコト)との間に生まれた、同腹兄妹です。四人ともがですよ。すごい確率で恋に落ちるものですね。
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その後

雄略天皇(甥)
ワカクサカベノキミ(叔母)

若日下部王(ワカクサカベノキミ)は安康天皇のところで登場した大日下王の妹。ちなみに大日下王は仁徳天皇の孫にあたる人物。天皇の即位には天皇の血を引く皇女を皇后にするのが条件だったんじゃないかと思います。

欽明天皇(叔父)
石比売(姪)

石比売(イシヒメノミコト=イワヒメノミコト)は宣化天皇の娘。欽明天皇から見ると宣化天皇は異母兄。つまり欽明天皇は異母兄の娘を皇后にしたわけです。宣化天皇・欽明天皇はどちらも継体天皇の子で、継体天皇は武烈天皇の時に子供が途絶えたから越国からかなり遠縁の天皇な訳で、薄い血統をどうにかしたいという思いがあったのではないかと思います。ちなみに石比売は仁賢天皇の皇女と宣化天皇の娘です。

敏達天皇(兄)
推古天皇(妹)

敏達天皇は欽明天皇と石比売の子。推古天皇は欽明天皇と蘇我堅塩媛の子。つまり二人は腹違いの兄妹になります。

用明天皇(兄)
穴穂部間人皇女(妹)

用明天皇は欽明天皇と蘇我堅塩媛の子。穴穂部間人皇女は欽明天皇と蘇我稲目宿禰の女の子。二人は腹違いの兄妹になります。
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