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沙本毘売
漢字・読み | サホビメノミコト |
沙本毘売命(サホビメノミコト)
沙本毘売命(サホビメノミコト)は古事記・日本書紀に登場する人物。
古事記では沙本毘売命(サホビメノミコト)。
日本書紀では狹穗姫(サホヒメ)。
垂仁天皇(11代)の最初の皇后。
その後、同母兄のサホビコと反乱を起こし、死亡。
垂仁天皇との間に品牟都和気命(ホムツワケ・日本書紀では譽津別命)という皇子がいる。
出自に関する記述は古事記にのみ。
日本書紀では両親の名前や出自については見られない。
古事記によると父親は日子坐王(ヒコイマスミコ)。
母親は沙本の大闇見戸売(オオクラミトメ)。
同腹兄弟は
が見られます。
古事記では沙本毘売命(サホビメノミコト)。
日本書紀では狹穗姫(サホヒメ)。
垂仁天皇(11代)の最初の皇后。
その後、同母兄のサホビコと反乱を起こし、死亡。
垂仁天皇との間に品牟都和気命(ホムツワケ・日本書紀では譽津別命)という皇子がいる。
出自に関する記述は古事記にのみ。
日本書紀では両親の名前や出自については見られない。
古事記によると父親は日子坐王(ヒコイマスミコ)。
母親は沙本の大闇見戸売(オオクラミトメ)。
同腹兄弟は
が見られます。
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物語・由来
古事記の物語
日本書紀の物語の箇条書き
●ヒコイマスの娘として生まれる。
●垂仁天皇の皇后になる。
●兄サホビコに「天皇と兄とどちらが好きか」と聞かれる。サホビメが「兄が好きかもしれない」と答える。
●サホビコが「愛しているなら、天皇を殺して、一緒に天下を治めよう」と小刀を渡される。
●サホビメが垂仁天皇を膝枕して、垂仁天皇が眠っている間に小刀で殺そうとするが、殺せず、涙を流す。
●垂仁天皇が目をさます。夢を見ていて、沙本の方角から雨が降り、錦色の蛇が首に絡みついた、と言うとサホビメは観念して告白した。
●サホビコは稲城を作り、立てこもる。サホビメは宮を抜け出して、稲城に逃げ込む。この時点で妊娠していた。
●サホビメはホムツワケを生む。
●ホムツワケは垂仁天皇の子なので、サホビメは引き渡すことにした。
●垂仁天皇は引き渡しの時に、赤ん坊だけでなくサホビメも拘束しようとした。
●しかしサホビメは頭を剃り、カツラにし、服も玉の紐も腐らせておいたために、捕まえようとしても、解けて捕まえられず、ホムツワケは受け取れたが、サホビメは取り逃がした。
●垂仁天皇は玉造を憎んで土地を奪った。
●サホビメは子供に本牟智和気御子(ホムチワケノミコ)と名付けた。
●乳母と大湯坐(オオユエ)・若湯坐(ワカユエ)をつけるように進言。
●旦波比古多々須美智宇斯王(タニハノヒコタタスミチノウシ)の姉妹を次の后妃に勧めた。
●垂仁天皇の皇后になる。
●兄サホビコに「天皇と兄とどちらが好きか」と聞かれる。サホビメが「兄が好きかもしれない」と答える。
●サホビコが「愛しているなら、天皇を殺して、一緒に天下を治めよう」と小刀を渡される。
●サホビメが垂仁天皇を膝枕して、垂仁天皇が眠っている間に小刀で殺そうとするが、殺せず、涙を流す。
●垂仁天皇が目をさます。夢を見ていて、沙本の方角から雨が降り、錦色の蛇が首に絡みついた、と言うとサホビメは観念して告白した。
●サホビコは稲城を作り、立てこもる。サホビメは宮を抜け出して、稲城に逃げ込む。この時点で妊娠していた。
●サホビメはホムツワケを生む。
●ホムツワケは垂仁天皇の子なので、サホビメは引き渡すことにした。
●垂仁天皇は引き渡しの時に、赤ん坊だけでなくサホビメも拘束しようとした。
●しかしサホビメは頭を剃り、カツラにし、服も玉の紐も腐らせておいたために、捕まえようとしても、解けて捕まえられず、ホムツワケは受け取れたが、サホビメは取り逃がした。
●垂仁天皇は玉造を憎んで土地を奪った。
●サホビメは子供に本牟智和気御子(ホムチワケノミコ)と名付けた。
●乳母と大湯坐(オオユエ)・若湯坐(ワカユエ)をつけるように進言。
●旦波比古多々須美智宇斯王(タニハノヒコタタスミチノウシ)の姉妹を次の后妃に勧めた。
日本書紀の物語の箇条書き
●垂仁天皇の皇后になる(ここが初登場)。譽津別命(ホムツワケノミコト)が生まれる。
●実家で兄のサホビコに「美貌が失われたら寵愛を失う。それより兄と一緒に天下を奪おう」と誘われ、小刀を渡され、暗殺をもとめられる。小刀を懐にしまう。サホビメはたしなめようとするが出来なかった。
●即位5年冬10月1日。 來目の高宮で垂仁天皇を膝枕して眠っていて、暗殺しようとするが涙が流れる。
●垂仁天皇が目を覚まし、夢を語る。「狭穂(サホ)から雨が飛んできて、錦の小蛇が首に絡まった」。サホビメが観念して自白する。
●垂仁天皇は八綱田(ヤツナダ)に命じてサホビコを討伐させる。サホビコは稲城にこもってしまう。翌月(11月)になっても籠城したまま。
●サホビメがホムツワケとともに稲城に合流する。
●八綱田が稲城を焼く。
●サホビメとホムツワケが稲城から出てきて、ホムツワケを引き渡し、次の后妃に「丹国の五(イツトリ)の婦人(オミナ)」を推薦し、稲城に帰って、そのまま死ぬ。
●実家で兄のサホビコに「美貌が失われたら寵愛を失う。それより兄と一緒に天下を奪おう」と誘われ、小刀を渡され、暗殺をもとめられる。小刀を懐にしまう。サホビメはたしなめようとするが出来なかった。
●即位5年冬10月1日。 來目の高宮で垂仁天皇を膝枕して眠っていて、暗殺しようとするが涙が流れる。
●垂仁天皇が目を覚まし、夢を語る。「狭穂(サホ)から雨が飛んできて、錦の小蛇が首に絡まった」。サホビメが観念して自白する。
●垂仁天皇は八綱田(ヤツナダ)に命じてサホビコを討伐させる。サホビコは稲城にこもってしまう。翌月(11月)になっても籠城したまま。
●サホビメがホムツワケとともに稲城に合流する。
●八綱田が稲城を焼く。
●サホビメとホムツワケが稲城から出てきて、ホムツワケを引き渡し、次の后妃に「丹国の五(イツトリ)の婦人(オミナ)」を推薦し、稲城に帰って、そのまま死ぬ。
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古事記と日本書紀の違いなど
全体的には古事記と日本書紀はほぼ同じです。いくつか違うポイントがあります。一つはホムツワケ(ホムチワケ)の出産のタイミングです。日本書紀では「反乱の前」には生まれていますが、古事記では稲城に立てこもって以降です。古事記によれば「ホムチワケ」は稲城が炎(ホムチ)に包まれたことから付いた名前なので、少なくとも稲城ができる前に「ホムチワケ」という名前がつくのはおかしいです。
このサホビコ・サホビメの物語は神話で、神話を大和朝廷が取り込んだ結果でしょう。
後の違う大きなポイントは古事記にある、サホビメの衣服を腐らせて、垂仁天皇の拘束から逃れるという部分です。これもどういう意味なのか分からないけど神話くさい。案外、天の岩戸でのアメノウズメが裸になったような、宴会儀式の神話化なのかも。
他の違うポイントは
●日本書紀には八綱田が登場する。
●日本書紀では垂仁天皇が昼寝する場所が來目の高宮。
など。
他にもあると思うけど割愛。
禁じられた愛?
サホビメの最大の事件は、同母兄サホビコとの愛と、サホビコと起こした反乱です。日本神話の中でも同母兄妹の恋愛は「ご法度」とも取れる記述があるのですが、このサホビメ・サホビコの恋愛は、結末は悲劇的ではあるんですが、このサホビコ・サホビメの恋愛に関していえば「社会通念上許されないものだ」という書き方ではありません。そういう不道徳の因果の結果で二人ともが死ぬんだよ!ってことではないんです。
このサホビコ・サホビメの物語は神話で、神話を大和朝廷が取り込んだ結果でしょう。
後の違う大きなポイントは古事記にある、サホビメの衣服を腐らせて、垂仁天皇の拘束から逃れるという部分です。これもどういう意味なのか分からないけど神話くさい。案外、天の岩戸でのアメノウズメが裸になったような、宴会儀式の神話化なのかも。
他の違うポイントは
●日本書紀には八綱田が登場する。
●日本書紀では垂仁天皇が昼寝する場所が來目の高宮。
など。
他にもあると思うけど割愛。
禁じられた愛?
サホビメの最大の事件は、同母兄サホビコとの愛と、サホビコと起こした反乱です。日本神話の中でも同母兄妹の恋愛は「ご法度」とも取れる記述があるのですが、このサホビメ・サホビコの恋愛は、結末は悲劇的ではあるんですが、このサホビコ・サホビメの恋愛に関していえば「社会通念上許されないものだ」という書き方ではありません。そういう不道徳の因果の結果で二人ともが死ぬんだよ!ってことではないんです。
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出自と子孫
出自
古事記では
夫日子坐王(ヒコイマスミコ)
妻沙本の大闇見戸売(オオクラミトメ)…建国勝戸売(タケクニカツトメ)の娘
日本書紀では出自の記述はない。
子孫
古事記によると
夫垂仁天皇
妻沙本毘売命(サホビメ命)
日本書紀によると
夫垂仁天皇
妻狹穗姫(サホヒメ)
古事記では
夫日子坐王(ヒコイマスミコ)
妻沙本の大闇見戸売(オオクラミトメ)…建国勝戸売(タケクニカツトメ)の娘
沙本毘古王(サホビコ王)…日下部連(クサカベノムラジ)・甲斐国造(カヒノクニノミヤツコ)の祖先
袁耶本王(オザホ王)…葛野之別(カヅノワケ)・近淡海(チカツアフミ)の蚊野之別(カノノワケ)
沙本毘売命(サホビメ命)…別名を佐波遅比売(サワジヒメ)・垂仁天皇との間に品牟都和気命をもうける。
室毘古王(ムロビコ王)…若狭(ワカサ)の耳別(ミミノワケ)の祖先
袁耶本王(オザホ王)…葛野之別(カヅノワケ)・近淡海(チカツアフミ)の蚊野之別(カノノワケ)
沙本毘売命(サホビメ命)…別名を佐波遅比売(サワジヒメ)・垂仁天皇との間に品牟都和気命をもうける。
室毘古王(ムロビコ王)…若狭(ワカサ)の耳別(ミミノワケ)の祖先
日本書紀では出自の記述はない。
子孫
古事記によると
夫垂仁天皇
妻沙本毘売命(サホビメ命)
日本書紀によると
夫垂仁天皇
妻狹穗姫(サホヒメ)
譽津別命(ホムツワケノミコト)
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古事記からの引用
開化天皇の孫たち
垂仁天皇の后妃と御子
日本最古の兄妹愛物語
垂仁天皇の夢
サホビメの告白
垂仁天皇の沙本毘古王討伐
垂仁天皇のサホビメ奪還作戦
サホビメの覚悟
サホビメを取り逃がす 垂仁天皇は玉作りを恨む
本牟智和気御子の養育方法
サホビメの死
またヒコイマス王が春日の建国勝戸売(タケクニカツトメ)の娘の沙本の大闇見戸売(オオクラミトメ)を娶って産んだ子が沙本毘古王(サホビコ王)、袁耶本王(オザホ王)、沙本毘売命(サホビメ命)――別名を佐波遅比売(サワジヒメ)です。このサホビメ命は伊久米天皇の后となりました。次に室毘古王(ムロビコ王)の4柱です。
垂仁天皇の后妃と御子
垂仁天皇は沙本毘古命(サホビコ)の妹の佐波遅比売命(サハジヒメ=サホビメ)を娶って産んだ子供が、品牟都和気命(ホムツワケ)の1柱です。
日本最古の兄妹愛物語
垂仁天皇がサホビメを妻としたときのことです。
サホビメの兄であるサホビコが妹に問いました。
「夫(=垂仁天皇)と兄(サホビコ)のどちらを愛しているか??」
「兄を愛しています」
とサホビメが答えました。
サホビコは
「お前が本当に私を愛しているならば
お前と私で天下を治めよう」
と言い、すぐに何度も鍛えた小刀を作って、妹に渡しました。
「この小刀で垂仁天皇が寝ているところを刺し殺せ」
垂仁天皇はそんな企みなど知らず、サホビメに膝枕して眠っていました。
サホビメの兄であるサホビコが妹に問いました。
「夫(=垂仁天皇)と兄(サホビコ)のどちらを愛しているか??」
「兄を愛しています」
とサホビメが答えました。
サホビコは
「お前が本当に私を愛しているならば
お前と私で天下を治めよう」
と言い、すぐに何度も鍛えた小刀を作って、妹に渡しました。
「この小刀で垂仁天皇が寝ているところを刺し殺せ」
垂仁天皇はそんな企みなど知らず、サホビメに膝枕して眠っていました。
垂仁天皇の夢
サホビメは小刀を持って、膝枕で眠る垂仁天皇の首を刺そうとして三度も振り上げたのですが、ためらい、刺すことが出来ず、涙を流しました。
すると垂仁天皇は驚いて起き、サホビメ命に尋ねました。
「わたしは妙な夢を見た。
沙本の方角から、にわか雨が振り
私の顔を濡らした。
錦色の蛇がわたしの首に巻きついた。
これは何の兆候だろうか」
すると垂仁天皇は驚いて起き、サホビメ命に尋ねました。
「わたしは妙な夢を見た。
沙本の方角から、にわか雨が振り
私の顔を濡らした。
錦色の蛇がわたしの首に巻きついた。
これは何の兆候だろうか」
サホビメの告白
サホビメは言い逃れできないと思い、すぐに垂仁天皇に打ち明けました。
「わたしの兄 サホビコ王が私に言ったのです。
『夫(=垂仁天皇)と兄のどちらを愛しているか?』
面と向かって言うので、わたしは『兄の方が愛しいかもしれません』と答えてしまいました。
すると兄は
『二人で天下を治めよう。天皇を殺しなさい』と言い、小刀を作ってわたしに渡したのです。それで、あなたの首を刺そうと三度、小刀を振り上げたのですが、悲しくて、刺せず、涙がこぼれて、(垂仁天皇の)顔を濡らしてしまったのです。夢はその兆候なのでしょう」
とサホビメは言いました。
「わたしの兄 サホビコ王が私に言ったのです。
『夫(=垂仁天皇)と兄のどちらを愛しているか?』
面と向かって言うので、わたしは『兄の方が愛しいかもしれません』と答えてしまいました。
すると兄は
『二人で天下を治めよう。天皇を殺しなさい』と言い、小刀を作ってわたしに渡したのです。それで、あなたの首を刺そうと三度、小刀を振り上げたのですが、悲しくて、刺せず、涙がこぼれて、(垂仁天皇の)顔を濡らしてしまったのです。夢はその兆候なのでしょう」
とサホビメは言いました。
垂仁天皇の沙本毘古王討伐
サホビコ王は稲を束ねて壁を作り、垂仁天皇の軍勢を待ち構えていました。サホビメは兄を想い、宮の裏門から抜け出して兄の稲で出来た城に入ってしまいました。そのときサホビメは妊娠していました。
垂仁天応はサホビメが妊娠していることと、三年もの間に育んだ愛情ゆえに思い悩み、サホビコの稲城を攻めきれず、周囲を囲むばかりで、膠着しました。
そうしている間に、サホビメの腹の中の子は生まれてしまいました。
垂仁天応はサホビメが妊娠していることと、三年もの間に育んだ愛情ゆえに思い悩み、サホビコの稲城を攻めきれず、周囲を囲むばかりで、膠着しました。
そうしている間に、サホビメの腹の中の子は生まれてしまいました。
垂仁天皇のサホビメ奪還作戦
子供が生まれたサホビメは、その子供を稲城の外に置いて、垂仁天皇に言いました。
「もし、この赤ん坊を垂仁天皇の子供だと思われるならば、引き取って育ててください」
すると垂仁天皇は
「兄であるサホビコは恨んでいるが、后であるあなたは愛しく、失いたくない」と言いました。
垂仁天皇はサホビメを取り返そうと考え、軍勢の中の腕力があるが、俊敏なものを選りすぐり集めて
「赤ん坊を受け取るときに、母サホビメも連れ帰るのです。髪でも手でも掴んで、こちらへと引っ張り出すのです」と言いました。
「もし、この赤ん坊を垂仁天皇の子供だと思われるならば、引き取って育ててください」
すると垂仁天皇は
「兄であるサホビコは恨んでいるが、后であるあなたは愛しく、失いたくない」と言いました。
垂仁天皇はサホビメを取り返そうと考え、軍勢の中の腕力があるが、俊敏なものを選りすぐり集めて
「赤ん坊を受け取るときに、母サホビメも連れ帰るのです。髪でも手でも掴んで、こちらへと引っ張り出すのです」と言いました。
サホビメの覚悟
サホビメは垂仁天皇の想いを知っていて、髪を全て剃ってしまい、その髪で頭を覆い、カツラにして被り、首飾りの糸を腐らせて手に巻き、衣服を酒で腐らせて、それを普通の衣服と分からないように着込んで、準備して、赤ん坊を抱いて城の外へと出ました。
サホビメを取り逃がす 垂仁天皇は玉作りを恨む
集められた兵士達は、赤ん坊を受け取ると、その母親であるサホビメを捕らえようとしました。
髪を掴めば、髪は取れ落ちました。手を握れば、手に巻いた玉緒は切れてしまいました。衣服を掴みましたが、簡単に破れてしまいました。それで赤ん坊は得られたのですが、サホビメを捕まえることは出来ませんでした。
兵士達は軍に変えると天皇に報告しました。
「髪は取れ、服は簡単に破れ、手に巻きつけた玉緒は切れました。赤ん坊は受け取りましたが、母サホビメは連れてくることが出来ませんでした」
垂仁天皇は悔やみ、恨んで――逆恨みというべきものですが――玉作りの民から土地を取り上げてしまいました。
こうして「地得ぬ玉作り」という諺を言うようになりました。
髪を掴めば、髪は取れ落ちました。手を握れば、手に巻いた玉緒は切れてしまいました。衣服を掴みましたが、簡単に破れてしまいました。それで赤ん坊は得られたのですが、サホビメを捕まえることは出来ませんでした。
兵士達は軍に変えると天皇に報告しました。
「髪は取れ、服は簡単に破れ、手に巻きつけた玉緒は切れました。赤ん坊は受け取りましたが、母サホビメは連れてくることが出来ませんでした」
垂仁天皇は悔やみ、恨んで――逆恨みというべきものですが――玉作りの民から土地を取り上げてしまいました。
こうして「地得ぬ玉作り」という諺を言うようになりました。
本牟智和気御子の養育方法
垂仁天皇は后のサホビメに言いました。
「子供の名前は母親が名づけるものだ。
何と名前をつけるとよいだろう」
するとサホビメが答えました。
「今、火(ホムラ)のついた稲城を焼いているときに生まれました。だから、本牟智和気御子(ホムチワケノミコ)と名付けてください」
また垂仁天皇は
「どうやって育てればいいか?」
と問うと
「乳母をつけてください。
大湯坐(オオユエ)・若湯坐(ワカユエ)をつけて育ててください」
それで垂仁天皇は言われたとおりに育てたのです。
「子供の名前は母親が名づけるものだ。
何と名前をつけるとよいだろう」
するとサホビメが答えました。
「今、火(ホムラ)のついた稲城を焼いているときに生まれました。だから、本牟智和気御子(ホムチワケノミコ)と名付けてください」
また垂仁天皇は
「どうやって育てればいいか?」
と問うと
「乳母をつけてください。
大湯坐(オオユエ)・若湯坐(ワカユエ)をつけて育ててください」
それで垂仁天皇は言われたとおりに育てたのです。
サホビメの死
垂仁天皇はサホビメに尋ねました。
「お前が固く結んだ衣の紐は、誰がほどくというのだ」
サホビメは答えました。
「旦波比古多々須美智宇斯王(タニハノヒコタタスミチノウシ)の娘の兄比売(エヒメ)・弟比売(オトヒメ)は貞節な民ですから、使ってください」
ついにサホビコ王を殺し、その妹のサホビメも死んでしまった。
「お前が固く結んだ衣の紐は、誰がほどくというのだ」
サホビメは答えました。
「旦波比古多々須美智宇斯王(タニハノヒコタタスミチノウシ)の娘の兄比売(エヒメ)・弟比売(オトヒメ)は貞節な民ですから、使ってください」
ついにサホビコ王を殺し、その妹のサホビメも死んでしまった。
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日本書紀からの引用
垂仁天皇(二)皇后と皇子、任那の新羅への恨み
垂仁天皇(七)兄と妹の謀反
垂仁天皇(八)皇后狹穗姫の告白
垂仁天皇(九)倭日向武日向彦八綱田
即位2年の春2月9日。狹穗姫(サホヒメ)を皇后としました。皇后は譽津別命(ホムツワケノミコト)を生みました。天皇はその皇子を愛し、常に左右(モトコ=側に)に置いていました。大きくなりましたが、言葉を発しませんでした。
垂仁天皇(七)兄と妹の謀反
即位4年秋9月23日。
垂仁天皇の皇后(=サホビメのこと)の同母兄の狹穗彦王(サホビコノミコ)が謀反(ミカドカタブケムトハカリ)し、社稷(クニ)を危ぶめようとしました。
皇后が家でくつろいでいるところに狹穗彦王が来て、言いました。
「お前は、兄と夫(=垂仁天皇)と、どちらが愛しいか?」
皇后は本当の心を隠して
「兄を愛しています」
と答えました。
狹穗彦王は皇后を焚きつけました。
「色(カオ)で仕えるということは、色(カオ)が衰えると寵(メグミ=天皇からの寵愛)は無くなってしまう。今、天下には佳人(カオヨキヒト=美人)は沢山いる。それぞれが寵(メグマレムコト=天皇からの寵愛)を求めている。どうして永遠に色(カオ)に頼れるか。
私に皇位を得させてくれれば、必ずお前と天下を治めよう。それで枕を高くして永遠に100年を過ごすのも悪くないだろう。頼むから、私のために天皇を殺してくれ」
それで匕首(ヒモカタナ=あいくち=小刀)を取り出し、皇后に授けて言いました。
「この匕首を衣の中に隠して、天皇が寝ているときに、首を刺して殺してくれ」
皇后は心の中で恐れ震えて戦慄いて、どうすればいいか分かりませんでした。しかし、兄の志を見ると、簡単に諌めることはできそうにありません。それでその匕首を受け取り、独りで隠し切れそうにもなく、衣の中にしまいました。ついに兄を諌めることはできませんでした。
垂仁天皇の皇后(=サホビメのこと)の同母兄の狹穗彦王(サホビコノミコ)が謀反(ミカドカタブケムトハカリ)し、社稷(クニ)を危ぶめようとしました。
皇后が家でくつろいでいるところに狹穗彦王が来て、言いました。
「お前は、兄と夫(=垂仁天皇)と、どちらが愛しいか?」
皇后は本当の心を隠して
「兄を愛しています」
と答えました。
狹穗彦王は皇后を焚きつけました。
「色(カオ)で仕えるということは、色(カオ)が衰えると寵(メグミ=天皇からの寵愛)は無くなってしまう。今、天下には佳人(カオヨキヒト=美人)は沢山いる。それぞれが寵(メグマレムコト=天皇からの寵愛)を求めている。どうして永遠に色(カオ)に頼れるか。
私に皇位を得させてくれれば、必ずお前と天下を治めよう。それで枕を高くして永遠に100年を過ごすのも悪くないだろう。頼むから、私のために天皇を殺してくれ」
それで匕首(ヒモカタナ=あいくち=小刀)を取り出し、皇后に授けて言いました。
「この匕首を衣の中に隠して、天皇が寝ているときに、首を刺して殺してくれ」
皇后は心の中で恐れ震えて戦慄いて、どうすればいいか分かりませんでした。しかし、兄の志を見ると、簡単に諌めることはできそうにありません。それでその匕首を受け取り、独りで隠し切れそうにもなく、衣の中にしまいました。ついに兄を諌めることはできませんでした。
垂仁天皇(八)皇后狹穗姫の告白
即位5年冬10月1日。
垂仁天皇は來目(クメ=地名・大和国高市郡)に行って高宮(タカミヤ=地名か高い宮か不明)にいました。そのときに、天皇は皇后の膝枕をして昼寝をしていました。皇后は事(=兄に頼まれた天皇暗殺)を遂げられずにいました。
虚しく思い、「兄王(コノカミノオオキミ)が謀反を起こすのは今」と思うと、涙が流れて帝(ミカド=天皇)の顔に落ちました。天皇は驚いて、皇后に言いました。
「わたしは今日、夢を見た。錦の小蛇(スコシキオロチ)がわたしの首に絡まった。また、雨が狭穂(サホ)から飛んできて顔を濡らすという夢を見た。これはどういう意味だろうか」
皇后は謀反の計画を隠せないと知り、怖気付いて地面に伏して、曲(ツマビラカ=詳細)に兄王の反状(ソムクコト)を話しました。
「わたしは兄王の志(ココロ=謀反の考え)を間違っていると言えませんでした。また天皇の恩(ミウツクシビ)に背くことも出来ませんでした。言わなければ兄王が死んでしまいます。言わなければ社稷(クニ)を傾けてしまいます。これまで、あるいは恐れ、あるいは悲しみました。伏せたり、天を仰いでむせび泣き、行くことも退くこともできず泣いていました。昼も夜も言葉にできないほどに鬱々としていました。
そして今日、天皇がわたしの膝枕で寝ていました。それでわたしは思ったのです。もしもわたしが狂った女で、兄の志(ココロ=謀反の意思)を成すならば、ただいまこの時に簡単に成し遂げるしかない、と。そんな決心がまだつかないうちに、涙が自然と流れておちました。すぐに袖を挙げて涙を拭いたのですが、袖から漏れて、天皇の顔を濡らしました。(天皇が)今の夢を見たのは、この事でしょう。錦の小蛇はわたしに授けられた匕首(ヒモカタナ=あいくち=小刀)です。大雨(ヒサメ)がたちまち降ったのは、わたしの涙です」
垂仁天皇は來目(クメ=地名・大和国高市郡)に行って高宮(タカミヤ=地名か高い宮か不明)にいました。そのときに、天皇は皇后の膝枕をして昼寝をしていました。皇后は事(=兄に頼まれた天皇暗殺)を遂げられずにいました。
虚しく思い、「兄王(コノカミノオオキミ)が謀反を起こすのは今」と思うと、涙が流れて帝(ミカド=天皇)の顔に落ちました。天皇は驚いて、皇后に言いました。
「わたしは今日、夢を見た。錦の小蛇(スコシキオロチ)がわたしの首に絡まった。また、雨が狭穂(サホ)から飛んできて顔を濡らすという夢を見た。これはどういう意味だろうか」
皇后は謀反の計画を隠せないと知り、怖気付いて地面に伏して、曲(ツマビラカ=詳細)に兄王の反状(ソムクコト)を話しました。
「わたしは兄王の志(ココロ=謀反の考え)を間違っていると言えませんでした。また天皇の恩(ミウツクシビ)に背くことも出来ませんでした。言わなければ兄王が死んでしまいます。言わなければ社稷(クニ)を傾けてしまいます。これまで、あるいは恐れ、あるいは悲しみました。伏せたり、天を仰いでむせび泣き、行くことも退くこともできず泣いていました。昼も夜も言葉にできないほどに鬱々としていました。
そして今日、天皇がわたしの膝枕で寝ていました。それでわたしは思ったのです。もしもわたしが狂った女で、兄の志(ココロ=謀反の意思)を成すならば、ただいまこの時に簡単に成し遂げるしかない、と。そんな決心がまだつかないうちに、涙が自然と流れておちました。すぐに袖を挙げて涙を拭いたのですが、袖から漏れて、天皇の顔を濡らしました。(天皇が)今の夢を見たのは、この事でしょう。錦の小蛇はわたしに授けられた匕首(ヒモカタナ=あいくち=小刀)です。大雨(ヒサメ)がたちまち降ったのは、わたしの涙です」
垂仁天皇(九)倭日向武日向彦八綱田
天皇は皇后に言いました。
「これは、お前の罪ではない」
すぐに近くの縣(コオリ)の卒(ツワモノ=兵士)を派遣して、上毛野君(カミツケノキミ)の遠祖の八綱田(ヤツナダ)に命じて狹穗彦(サホビコ)を討たせました。狹穗彦は師(イクサ=軍)を起こして、迎え撃ちました。たちまち稲を積み上げて城を作りました。それが固くて破れません。これを稲城(イナキ)といいます。
翌月になっても従いません。
皇后は悲しんで言いました。
「わたしは皇后といっても、兄王を失っては面目(オモテ)がありません。世間に顔向けできません」
そして王子の譽津別命(ホムツワケノミコト)を抱いて、兄王の稲城に入りました。天皇はさらに軍衆(イクサビトドモ)を増やして、完全にその城を囲んでしまいました。そして城の中に向かって言いました。
「すみやかに皇后と皇子を出せ」
しかし出てきません。
将軍(イクサノカミ)の八綱田(ヤツナダ)は火をつけてその城を焼きました。皇后は皇子を抱いて、城の塀を越えて出て来ました。そして言いました。
「わたしが始めに兄の城に逃げ入った理由は、もしわたしと皇子がいることで兄の罪を許されることがあるかもしれないと思ったからです。今、許されないと、知り、わたしにも罪があると分かりました。本当に申し訳なく思っています。あとは自殺するだけです。それでもわたしが死んでも、天皇の恩は忘れません。おねがいですから、わたしの担当した後宮(キサキノミヤ)のことは良い仇(オミナドモ)に授けてください。丹国の五(イツトリ)の婦人(オミナ)がいます。心も体も清らかです。この人たちは丹波道主王(タニハノチヌシノオオキミ)の娘です。
道主王は、稚日本根子太日々天皇(ワカヤマトネコフトヒヒノスメラミコト=開化天皇)の孫で、彦坐王(ヒコイマスノミコ)の子です。ある伝によると彦湯産隅王(ヒコユムスミノミコ)の子です。
掖庭(ウチツミヤ=後宮に使える女性が居る場所)に召し入れて、後宮の人員に仕えさせてください」
天皇は聞き入れました。
そのとき火の勢いが増し、城が崩れました。
軍衆(イクサヒトドモ)はことごとく走って逃げました。
狹穗彦(サホビコ)と妹はともに城の中で死んでしまいました。天皇は将軍の八綱田(ヤツナダ)の功を褒め、その名を倭日向武日向彦八綱田(ヤマトノヒムカタケヒムカヒコヤツナダ)としました。
「これは、お前の罪ではない」
すぐに近くの縣(コオリ)の卒(ツワモノ=兵士)を派遣して、上毛野君(カミツケノキミ)の遠祖の八綱田(ヤツナダ)に命じて狹穗彦(サホビコ)を討たせました。狹穗彦は師(イクサ=軍)を起こして、迎え撃ちました。たちまち稲を積み上げて城を作りました。それが固くて破れません。これを稲城(イナキ)といいます。
翌月になっても従いません。
皇后は悲しんで言いました。
「わたしは皇后といっても、兄王を失っては面目(オモテ)がありません。世間に顔向けできません」
そして王子の譽津別命(ホムツワケノミコト)を抱いて、兄王の稲城に入りました。天皇はさらに軍衆(イクサビトドモ)を増やして、完全にその城を囲んでしまいました。そして城の中に向かって言いました。
「すみやかに皇后と皇子を出せ」
しかし出てきません。
将軍(イクサノカミ)の八綱田(ヤツナダ)は火をつけてその城を焼きました。皇后は皇子を抱いて、城の塀を越えて出て来ました。そして言いました。
「わたしが始めに兄の城に逃げ入った理由は、もしわたしと皇子がいることで兄の罪を許されることがあるかもしれないと思ったからです。今、許されないと、知り、わたしにも罪があると分かりました。本当に申し訳なく思っています。あとは自殺するだけです。それでもわたしが死んでも、天皇の恩は忘れません。おねがいですから、わたしの担当した後宮(キサキノミヤ)のことは良い仇(オミナドモ)に授けてください。丹国の五(イツトリ)の婦人(オミナ)がいます。心も体も清らかです。この人たちは丹波道主王(タニハノチヌシノオオキミ)の娘です。
道主王は、稚日本根子太日々天皇(ワカヤマトネコフトヒヒノスメラミコト=開化天皇)の孫で、彦坐王(ヒコイマスノミコ)の子です。ある伝によると彦湯産隅王(ヒコユムスミノミコ)の子です。
掖庭(ウチツミヤ=後宮に使える女性が居る場所)に召し入れて、後宮の人員に仕えさせてください」
天皇は聞き入れました。
そのとき火の勢いが増し、城が崩れました。
軍衆(イクサヒトドモ)はことごとく走って逃げました。
狹穗彦(サホビコ)と妹はともに城の中で死んでしまいました。天皇は将軍の八綱田(ヤツナダ)の功を褒め、その名を倭日向武日向彦八綱田(ヤマトノヒムカタケヒムカヒコヤツナダ)としました。
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