第九段一書(一)―5男も女も猨女君と呼ぶ理由

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第九段一書(一)―5男も女も猨女君と呼ぶ理由

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原文

已而且降之間、先驅者還白「有一神、居天八達之衢。其鼻長七咫、背長七尺餘、當言七尋。且口尻明耀、眼如八咫鏡而赩然似赤酸醤也。」卽遣從神往問。時有八十萬神、皆不得目勝相問。故特勅天鈿女曰「汝是目勝於人者、宜往問之。」天鈿女、乃露其胸乳、抑裳帶於臍下、而咲㖸向立。是時、衢神問曰「天鈿女、汝爲之何故耶。」對曰「天照大神之子所幸道路、有如此居之者誰也、敢問之。」衢神對曰「聞天照大神之子今當降行、故奉迎相待。吾名是猨田彦大神。」時天鈿女復問曰「汝將先我行乎、抑我先汝行乎。」對曰「吾先啓行。」天鈿女復問曰「汝何處到耶。皇孫何處到耶。」對曰「天神之子、則當到筑紫日向高千穗槵觸之峯。吾則應到伊勢之狹長田五十鈴川上。」因曰「發顯我者汝也。故汝可以送我而致之矣。」天鈿女、還詣報狀。皇孫、於是、脱離天磐座、排分天八重雲、稜威道別道別、而天降之也。果如先期、皇孫則到筑紫日向高千穗槵觸之峯。其猨田彦神者、則到伊勢之狹長田五十鈴川上。卽天鈿女命、隨猨田彦神所乞、遂以侍送焉。時皇孫勅天鈿女命「汝、宜以所顯神名爲姓氏焉。」因賜猨女君之號。故、猨女君等男女、皆呼爲君、此其緣也。(高胸、此云多歌武娜娑歌。頗傾也、此云歌矛志。)
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現代語訳

第九段一書(一)―5
ニニギが地上に)降りる前に、先に様子を見に行ったものが帰って来て、報告しました。
「一柱の神が居ました。
天八達之衢(アマノヤチマタ=幾つもの別れ道の辻)のところに居ます。
鼻の長さが七咫(ナナアタ=指七本分)。
背の高さは七尺(ナナサカ=210センチ)以上。
まさに七尋(ナナヒロ=大きいという意味)です。

また口の端は明るく光っている。
目は八咫鏡(ヤタノカガミ)のように光り輝いている。まるで赤酸醤(アカカガチ=ホオズキ)に似ていました。

それで同伴した神を派遣してその神に尋ねようとしました。八十萬神(ヤオヨロズノカミ=沢山の神)がいたのですが、誰も目を合わすのが怖くて尋ねられませんでした。

そこで天鈿女(アメノウズメ)に命じました。
「お前は物怖じしない。だから行って訪ねて来なさい」
天鈿女(アメノウズメ)はその乳房をあらわにして、上着の紐をヘソまで押し下げて、嘲笑(アザワラ)いながら、向かって行きました。

衢神(チマタノカミ=別れ道に立つ神のこと)は天鈿女(アメノウズメ)に問いました。
「天鈿女(アメノウズメ)よ。
どうしてそんなことをするのですか?」

天鈿女(アメノウズメ)は答えました。
「天照大神(アマテラスオオミカミ)の子(ミコ=ニニギ…実際は孫)が通る道路(ミチ)に居るものがあるというが、お前は誰だ?」

衢神(チマタノカミ)は答えました。
「天照大神(アマテラスオオミカミ)の子(ミコ)が地上に降りると聞きました。そこで迎えに来て、お会いしようと待っておりました。わたしの名は猨田彦大神(サルタヒコノオオカミ)です」

天鈿女(アメノウズメ)はまた問いました。
「お前が私より先を行くか?
それとも私がお前より先を行くか?」

猨田彦大神(サルタヒコノオオカミ)は答えました。
「わたしが先に行き、道案内をしましょう」

天鈿女(アメノウズメ)はまた問いました。
「お前はどこに行こうとしている?
皇孫(スメミマ)はどこに行くのだ?」

猨田彦大神(サルタヒコノオオカミ)は答えました。
「天神(アマツカミ)の子は筑紫の日向の高千穂の槵觸之峯(クジフルノタケ)に行くべきでしょう。わたしは伊勢の狹長田(サナダ)の五十鈴(イスズ)の川上に行きます」

さらに

「わたしを發顯(アラワ)したのはあなたです。
あなたは私を(伊勢まで)送ってください」

天鈿女(アメノウズメ)は帰って状況を報告しました。

皇孫(スメミマ)は天磐座(アメノイワクラ=天にある石の台座)から離れて、天八重雲(アメノヤエグモ=幾重にも重なる雲)を押し分けて、幾つもの別れ道を通り、天から降りました。

天孫は猨田彦大神(サルタヒコノオオカミ)が約束した通り、筑紫の日向の高千穂の槵觸之峯(クジフルノタケ)に着きました。

その猨田彦大神(サルタヒコノオオカミ)は伊勢の狹長田(サナダ)の五十鈴(イスズ)の川上に着きました。

天鈿女命(アメノウズメノミコト)は猨田彦神(サルタヒコノカミ)が願うままに送って行ったのです。

その時、皇孫(スメミマ)は天鈿女命(アメノウズメノミコト)に命じました。
「お前は顯(アラワ)した神の名を姓氏(ウジ)としなさい」
それで猨女君(サルメノキミ)という名を授けました。猨女君(サルメノキミ)は(本来は女の氏族名だが)、男も女も皆、猨女君(サルメノキミ)と呼ぶのはこういった理由からです。
高胸は多歌武娜娑歌(タカムナサカ)と読みます。頗傾也は歌矛志(カブシ)と読みます。

古事記の対応箇所
サルタヒコが名乗る
古語拾遺の対応箇所
古語拾遺13 天孫の降臨
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解説

發顯…あらわすとは?
日本人にとって神は「見えないもの」です。神を偶像と言う形で表現するようになったのは仏教が伝来してからえす。それまで日本人には神に明確な「人格」も無かったとされます。

しかし、神の意志を伺わないといけません。なにか天変地異が起きたり、疫病が流行して死者が増えたら、これを鎮めるために神の理由を聞き、対処法を教えてもらわないといけません。そのときに神の声を聞くのが「巫女」です。

巫女に神が宿った状態なら、神を見ることが出来ます。神の言葉を聞く事が出来ます。「カミガカリ」の状態がおそらく「發顯(アラワ)す」ということです。

つまり、猨田彦大神(サルタヒコノオオカミ)と天鈿女命(アメノウズメノミコト)は最初からセットでした。天鈿女命(アメノウズメノミコト)は元々が猨田彦大神(サルタヒコノオオカミ)の巫女だったのでしょう。それが、天鈿女命(アメノウズメノミコト)の地位が上がり、重要な役割をするようになったのだと思われます。

個人的コラム

サルタヒコの正体
サルタヒコの「サ」は「穀霊」を指しています。「早乙女」「早苗」「皐月」の「サ」と同じものです。「早苗」の「サ」は具体的には「稲霊」ですが、「サ」は元々は「穀物」全体の霊だったのだと思います。

ヒコは「日」「子」で、太陽神を表わしています。
ではサルタヒコとはどういう神だったのか??
道祖神としてのサルタヒコ
日本人は田畑に「神」「霊」が宿り、その「神」「霊」が穀物を実らせると考えていました。その「神」「霊」は毎年、山からやってきて、また山に帰って行きます。その「神」「霊」は毎年、違う「神」「霊」です。つまり、同じ「神」「霊」なんですが、個体が違うのです。

例えば犬。
犬にはポメラニアンとかプードルとかチワワとかいます。
そのポメラニアンという犬はこの世に一匹しかいないのではなく、何千何万匹もこの世に居ます。わたしの家に居るポメラニアンと、知り合いの家に居るポメラニアンとは犬種が同じでも個体が違います。だから性格も違うし、毛色も同じように見えて違います。

これと日本人の「神」「霊」の感覚は同じです。去年、田畑に宿った「神」「霊」と今年の「神」「霊」は同じ種類であっても、個体が違うのです。

だから同じ「神」「霊」が宿っているように見えても、毎年、収穫物の出来不出来が違うのです。そう古代の人は考えていました。

それならば、出来るだけ優秀な「神」「霊」を田畑に宿らせたいものです。それに、山から神をスムーズに田畑に連れてきてほしい。早くに田畑に来てくれれば、よく生育するでしょう(何度も言うようですが、古代の人はそう考えていました)。

そこでより良い「神」「霊」を、スムーズに集落に連れてくる「導きの神」にお願いするようになりました。それが猨田彦大神(サルタヒコノオオカミ)です。

サルタヒコに穀霊の「サ」があり、導きの神(=道祖神)であるのはそういう理由からでしょう。サルタヒコに太陽神の要素があるのは、太陽がその導きの役割を果たしていたか、穀物神としての役割が大きく成った結果ではないかと思います。
個人的には「導きの役割」説が適しているような。
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