宇陀の血原

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宇陀の血原

漢字・読みウダノチハラ
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原文

ここに即ち控き出して斬り散りき。故、其地を宇陀の血原と謂ふ。然してその弟宇迦斯が献りし大饗は、悉にその御軍に賜ひき。

現代語訳

エウカシをすぐに罠から引き出して、斬り散らしました。

それでこの土地を宇陀の血原(ウダノチハラ)といいます。

そうして弟宇迦斯(オトウカシ)が献上した大饗(=ご馳走)は、すべてイワレビコの軍に与えました。

解説

ところでエウカシ
道臣命と大久米命の関係は?

前のページで突然登場した道臣命と大久米命は、エウカシとはどういったご関係なのでしょうか。道臣命と大久米命の子孫である大伴氏と久米氏は古代での軍事を司る氏族です。しかし、ニニギを先導して降り立ったはずのアメノオシヒ命とアマツクメ命の子孫がなぜ、紀伊半島の山奥にいるのか??

日の皇子が海の向こうからやってくるのが前提
高天原が遣わせたヤタガラス熊野由来の信仰。ニニギ共に光臨したはずの神々の子孫である道臣命と大久米命が畿内に居る。矛盾していると思います。その原因は、物語の主観が「イワレビコ」側から描かれているためです。実際には畿内の人が描いているのに――です。

畿内には「海の向こうから神が来る」という考えがあり、神の子である皇子が日向から――つまり海の向こうから――やってくるというのがこの物語の大事なベースなわけです。だから、ニニギと共に降りたはずの神の子孫が畿内にいても何ら不思議じゃないわけです。多分。

個人的コラム

チハラとは
チハラはここでは「血の原」とありますが、本来は「茅原」でしょう。茅萱の生える原っぱのことです。古代では茅(カヤ)を特別視していました。茅は毎年、これといった世話もなく、連作障害を起こさずに生えてくる強い植物だからです。古代では茅を家畜の餌にもするし、屋根にしたり、とにかく重宝していました。なので、茅をありがたがった。夏越の祓で茅で輪っかを作るのはそういう霊威に頼んでです。

で、どうして茅にそんな霊威があるのか?
と古代の人は考えた結果、「誰かが死んだから」と考えたのだろうと思います。誰かが死に、その血が染み込んだ土に生えているから茅は霊威がある。それはつまり、エウカシは単なる人間ではなく、神のような存在だったということにもなります。
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