天武天皇(日本書紀28)

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天武天皇(日本書紀28)

投稿:2016年01月26日 更新:2016年01月26日

要約

天智天皇即位1年 大海人皇子は皇太子に。
天智天皇即位4年10月 天智天皇が病気に。蘇賀安麻侶を派遣して大海人皇子(皇太子)を呼び寄せる。蘇賀臣安麻侶が密かに皇太子に「注意して発言してください」と進言。天智天皇は皇太子に天皇を譲ると言うが、皇太子は固辞した。皇太子は出家して吉野宮へ。ある人が「虎に翼をつけて放った」と言った。吉野で出家すると舎人の半分が大挙した。
天智天皇即位4年12月 天智天皇が崩御。

天武天皇即位1年3月 天皇の死を中国の使者の郭務悰に伝える。郭務悰は品物を献上。
即位1年5月 郭務悰に鎧兜・弓矢・その他の品を与える。高麗が使者を派遣して貢調した。郭務悰が帰国。美濃で天智天皇の墓を作っているが、兵士を集めいているのではないか?と朴井連雄君が天武天皇に報告。別の人が近江京から倭京で監視を置き、大海人皇子の食料補給路を遮断しようとしていると報告。天武天皇が危機感を覚える。
即位1年6月22日 不破道を塞げと、部下に軍隊を起こす命令をする。
即位1年6月24日 高坂王に駅鈴を求めるが断られる。大海人皇子は東国へ。この時の従者は少数。大野で民家の垣根を壊して火をつけて明かりを取った。隱郡でも隱駅家を焼いた。ここでは民が合流しなかった。横河で黒雲が見えた。大海人皇子が占うと、「天下が二つに分かれるが、最後は自分が勝つ」と言った。伊賀郡で伊賀駅家を焼いた。伊賀では郡司の兵が合流した。夜明け、莿萩野に止まって食事した。高市皇子が鹿深で合流。伊勢の鈴鹿に到着。鈴鹿山道を塞ごうとする。川曲の坂下に到着。夜になり雷雨になる。三重郡家で家を焼いて暖をとる。鈴鹿関司が使者を派遣して山部王・石川王が関にいると報告したので、天武天皇が呼び寄せる。
即位1年6月26日 関にいたのは山部王・石川王ではなく、大津皇子だった。大分君恵尺などが合流する。村国連男依が不破道を塞いだと報告した。高市皇子が軍を管理。山背部小田・安斗連阿加布が東海の軍隊を起こす。稚桜部臣五百瀬・土師連馬手が東山の軍を起こす。天武天皇は桑名郡家に宿泊する。近江朝廷は天武天皇が東国に入ったと知って騒ぎになる。大友皇子は、すぐに軍を起こし後を追うように進言されるがしなかった。大友皇子は東国・倭・筑紫・吉備に派遣する。筑紫の栗隅王と吉備の当摩公広嶋は天武天皇に親しかったので、殺そうとする。当摩公広嶋を殺すが、栗隅王は逃れる。韋那公磐鍬は襲われるが逃げる。大伴連馬来田と吹負の兄弟は天武天皇が勝利するだろうと考えて、兵を集めた。
即位1月6月27日 高市皇子が桑名郡家の天武天皇に使者を派遣して「そこにいては政治は不便ですから、御所から近いところへ行くべきです」と言う。天武天皇は皇后を置いて不破に。尾張国司守の小子部連鉏鉤が2万の軍を率いて帰属した。その軍で不破の道を塞いだ。野上に天武天皇が到着すると高市皇子が関ヶ原から来て言いました。「近江朝廷の駅使を捕らえると書直薬・忍坂直大麻呂っだった。彼らが言うには『吉野の大海人皇子対策のために東国の兵を起こすために派遣した韋那公磐鍬は近江王朝の味方です。だから磐鍬は東国の兵が大海人皇子側になったと思って逃げたのです』と」。天武天皇は高市皇子に「近江王朝には知謀の臣下がいるが、自分には無い」と弱音を吐いた。高市皇子は天皇を激励し、自分が軍を率いると言う。天皇は皇子に全軍を任せた。皇子は関ヶ原の和蹔に帰る。天皇は野上に滞在した。その夜に雷電が鳴る。天皇は誓約をすると雷雨が止まる。
即位1年6月28日 天皇が和蹔にいき、軍の状態を調べる。
即位1年6月29日 天皇は和蹔に行き、軍に号令をかける。天皇は野上に帰る。大伴連吹負は留守司の坂上直熊毛と話し合い、漢直たちと話し合う。「高市皇子のふりをして飛鳥寺の北から出て行くから内応しろ」。百済の家で用意して、南門から出て秦造熊を褌だけにして馬に乗せて走り、寺の西の陣営で「高市皇子が不破から到着した! 軍隊が従った!」と言わせた(実際には高市皇子は現在関ヶ原にいる)。留守司の高坂王は飛鳥寺の西に集まり、陣を作る。穗積臣百足は武器を近江に運んでいて不在だった。陣営はパニックになり逃げた。大伴連吹負は数十騎で坂上直熊毛たちと合流。その後、高市皇子の命令と称して穂積臣百足を呼び寄せ、飛鳥寺の西の槻の下で殺した。穗積臣五百枝・物部首日向を監禁。その後、許して軍に組み込む(飛鳥の軍が天武天皇側になった)。大伴連安麻呂・坂上直老・佐味君宿那麻呂を不破宮(野上)の天武天皇に勝利の報告させる。吹負をこれらの軍の将軍に。近江を襲う計画を立てる。
即位1年7月1日 軍は乃楽(奈良市)へ。
即位1年7月2日

「天武天皇(日本書紀28)」のページ一覧

Page1 天武天皇(一)出自と正妃
Page2 天武天皇(二)蘇賀臣安麻侶の忠告・東宮は出家する
Page3 天武天皇(三)虎に翼を着けて放った
Page4 天武天皇(四)阿曇連稲敷が郭務悰に天智天皇の崩御を伝える
Page5 天武天皇(五)朝廷は美濃と尾張で兵を集める・候を置いて食料を絶つ
Page6 天武天皇(六)美濃で兵を集める・不破道を塞ぐ
Page7 天武天皇(七)留守司の高坂王の駅鈴
Page8 天武天皇(八)東国へ・最初から従っていた臣・合流した臣・隱駅家を焼く
Page9 天武天皇(九)横河に黒雲・伊賀→莿萩野→積殖→鈴鹿
Page10 天武天皇(十)鈴鹿→川曲→三重郡
Page11 天武天皇(十一)朝明郡の迹太川・不破道を塞ぐ・桑名郡家で宿泊
Page12 天武天皇(十二)近江朝廷の対応
Page13 天武天皇(十三)当摩公広嶋の暗殺・栗隅王の暗殺未遂
Page14 天武天皇(十四)大伴連馬來田と吹負は近江王朝を捨てる
Page15 天武天皇(十五)高市皇子に軍を授ける
Page16 天武天皇(十六)和蹔と往復し、軍を検校
Page17 天武天皇(十七)飛鳥寺の陣営の内応・穂積臣百足の殺害・軍を整備し乃楽へ
Page18 天武天皇(十八)倭と近江へ兵を・赤色を衣の上に着る
Page19 天武天皇(十九)近江は軍を犬上へ・山部王は蘇我果安と巨勢臣比等に殺される
Page20 天武天皇(二十)乃楽山の攻防・古京の盾
Page21 天武天皇(二十一)田辺小隅の夜襲・合言葉は金
Page22 天武天皇(二十二)息長の戦い・鳥籠山の戦い・安河の戦い
Page23 天武天皇(二十三)瀬田の攻防・橋の板・将軍の智尊と大分君稚臣
Page24 天武天皇(二十四)大友皇子は山前で自殺
Page25 天武天皇(二十五)7月1日に戻る・坂本臣財たちの奮戦
Page26 天武天皇(二十六)墨坂→金綱井→当麻→葦池・勇士の来目と壱岐史韓国
Page27 天武天皇(二十七)上道と中道での戦い・犬養連五十君と廬井造鯨
Page28 天武天皇(二十八)事代主神と生霊神と村屋神の神託
Page29 天武天皇(二十九)官鑰と駅鈴と伝印・大友皇子の頭を献上
Page30 天武天皇(三十)重罪の8人を極刑・大臣たちの子孫を配流・鉏鉤の自殺について
Page31 天武天皇(三十一)飛鳥浄御原宮へ・論功行賞・韋那公高見の死