罰を与える八百万の神々

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罰を与える八百万の神々

漢字・読みバツヲアタエルヤオヨロズノカミガミ
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原文

是に八百万の神共に議りて、建速須佐之男命に千位の置戸を負せ、亦鬚を切り、手足の爪も抜かしめて、神夜良比夜良比岐。

現代語訳

八百万の神は話し合って、、建速須佐之男命(タケハヤスサノオミコト)に沢山の品物を罰として納めさせ、髭を切り、手足の爪を抜いて、追放してしまった。
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解説

神々の話し合いの結果、罰せられ追放されるスサノオスサノオはこの後、出雲でヤマタノオロチを退治する英雄となり、国津神の祖となりますが、この時点では三貴神とはいえ、ほとんど邪神。高天原に混乱を呼んだ諸悪です。

そのスサノオが髭を切られたことは、清める「禊(ミソギ)」の役割もあったのでしょうし、髭が男性の象徴だった――もしくは髭が男性の象徴という中国の風習から来たのかもしれません。
また、古代において男性と女性の明確な違いはヒゲくらいのものです。
性差はヒゲで表現
男女の違いが解剖学的にハッキリしたのは19世紀以降で、知識として専門家は持っていたとしても一般的になったのは最近の話です。女性と男性の違いは何か?というと、男性器・女性器と卵巣・精巣といったものですが、そのほとんどが内臓で、外部からの違いはごく僅かなもの。それに性器は人に見せるものではありませんから、「ヒゲ」のあるなしは大事なものでした。
ところで
関係あるような、ないような話です。中国の司馬遷の肖像画にはヒゲがありません。これは司馬遷が宦官(=男性器を去勢した人)だったためです。ただし司馬遷は無実の罪を着せられて、(刑として)宦官になったとされます。

仮に髭を剃るという表現が「去勢」の意味だとしても、その後の展開と矛盾します。ですが高天原でのスサノオと出雲での英雄譚では随分と性格が違うことから、別の物語・別の神を繋げたという説もあり、意外と当たっているかもしれませんよ。

個人的コラム

爪を剥ぐのは本当に償いか?
日本書紀の「第七段一書(二)-2 吉棄物・凶棄物・白和幣・青和幣」では
手の爪を吉棄物(ヨシキライモノ)、足の爪を凶棄物(アシキライモノ)、唾を白和幣(シラニキテ=木綿の布)、鼻水を青和幣(アオニキテ)として出させ、それで罪を祓ったとし、そして高天原から追放するべきとして、追放してしまいました。

とあります。

爪と唾と鼻水を「罪をあがなう」意味で奪ったとされています。爪は剥がすときに痛いから「罰」という感じがしますが、唾や鼻水を差し出すことがなぜ「罰」や「罰金」のようなものになるのか? それに涎や鼻水が変化した「和幣(ニキテ)」はサカキの枝に下げる布や紙のことです。

物語上、スサノオは爪や唾・鼻水を「罪を償う」意味で「差し出した・奪われた」とされますが、これはイザナギが目をすすいでアマテラスツキヨミが生まれたり、服を脱いで・帯を脱いで神が生まれるように、スサノオの霊威があまりに強いことを指しているのではないか? と思います。
●山幸彦がワダツミ神の元へと行ったときのこと、山幸彦が玉を口に含んで吐き出すと、その玉がくっついて器から離れなくなります。わたしは古代の日本人が「唾」に霊力があると考え居たのではないか?と思っています。参考:首飾りの玉が離れない不思議

日本のヒーローは鬼
この後、スサノオは出雲でヤマタノオロチを退治します。スサノオは罪人として高天原を追い出された後に英雄となるわけです。普通はおかしい。スサノオは罪に穢れているのです。前科者が世界を救うのです。

日本のヒーロー像はヤマトタケルやスサノオのように子供のころは「はみ出し者」で、後に英雄となるというパターンです。桃太郎はそもそも人間ではありません。一寸法師も人間ではありません。金太郎の母親は山姥です。

日本ではふつうで無いもの――「鬼」が世界を救います。もしかしたら日本のヤクザ映画の根底にあるのはこの日本のヒーロー像かもしれない。
ま、どこの国でもダークヒーローというのは居るのですが、日本みたいにヤクザ映画が一つのジャンルとして成立するのはなかなか無いんじゃないか?と。


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