広瀬大忌神と竜田風神の記事の一覧

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広瀬大忌神と竜田風神の記事の一覧

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概要

まとめ
●広瀬と竜田の神は天武天皇が祀った。
●天武天皇は自ら行幸して広瀬の神を祀っている。
●持統天皇も継続して祀っている。
●4月と7月に祀っている。
●持統天皇は即位4年で「即位」していて、即位4年目から広瀬と竜田の神に使者を送って祭らせている。

解説

広瀬と竜田
広瀬と竜田の神は、天武天皇が即位4年で祭らせた神で、天武天皇はその後、ほぼ毎年4月と7月に祀っています。また自ら広瀬に行幸して祀ったこともあります。

持統天皇は最初の3年は祀っていませんが、即位4年目からは毎年2回、キッチリと使者を派遣して祭らせています。なぜ最初の3年は祀っていないのかはハッキリとは分かりませんが、持統天皇が即位したのは「即位4年目」という記事がありますので

持統天皇が即位したから、「広瀬と竜田の神を祀る義務が発生した」と考えた方が自然に思えます。ちなみに持統天皇の吉野行きは即位3年目からあります。

広瀬という地名には本来は深い意味はありませんが、日本書紀を見ると「広瀬」という地名は何度か出てきます。
一つは敏達天皇の墓として

一つは崇峻天皇の時代に蘇我vs物部の戦いの時

一つは蘇我氏が先祖を祀る祖廟を立てて歌った歌に

また「広瀬王」という人物名としても登場します。

竜田の場合は地名として登場しますが、中でも壬申の乱で「竜田山」の道を塞いだことが戦局を左右する要素で特別視した?のかも知れませんが、この竜田山と「竜田風神」が同じ土地かは分かりません。
でもねぇ農業神事だと思うんだよね
4月と7月に祀るってことは農業神事だと考えた方が「自然」だと思います。4月は現在でいうところの5月。稲の苗を植える時期。7月は現在の8月。稲が実り始める時期です。

持統天皇が天皇に即位してから使者を送るようになっているので、広瀬と竜田の神は「天皇」の存在に関わる性質を持っていたのかもしれない…という推理だって成り立つのだけど、農業関係と考えた方が自然。でも、単なる「農業神事」ならこれだけ記述をするだろうか?とも思うのです。「天神地祇」で一括りにすれば済む話でしょう。

私は日本書紀までしか読んでないのですが、次の文武天皇はこれらの神を祀っているんでしょうか?ここいら辺のことはもうちょっと調べないと分からないので、また続きは別に書きたいと思います。
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広瀬大忌神と竜田風神の記事のまとめ

祭った日付備考1備考2
天武天皇(即位4年)夏4月10日竜田と広瀬に神を祭る
(即位5年)夏4月4日
(即位5年)秋7月16日
(即位6年)秋7月3日
(即位8年)夏4月9日
(即位8年)秋7月14日
(即位9年)夏4月10日
(即位9年)秋7月8日
(即位10年)夏4月2日
(即位10年)秋7月10日
(即位11年)夏4月9日
(即位11年)秋7月11日
(即位12年)夏4月21日
(即位12年)秋7月20日
(即位13年)夏4月13日
(即位13年)秋7月4日天武天皇が広瀬に行幸
(即位14年)夏4月12日
(即位14年)秋7月21日
(即位15年)秋7月16日
持統天皇(即位4年)夏4月3日使者を派遣
(即位4年)秋7月18日使者を派遣
(即位5年)夏4月11日4月16日に吉野行幸使者を派遣
(即位5年)秋7月15日7月3日に吉野行幸使者を派遣
(即位6年)夏4月19日使者を派遣
(即位6年)秋7月11日7月9日に吉野行幸使者を派遣
(即位7年) 夏4月17日使者を派遣
(即位7年)秋7月12日7月7日に吉野行幸使者を派遣
(即位8年) 夏 4月13日4月7日に吉野行幸使者を派遣
(即位8年) 秋7月15日使者を派遣
(即位9年) 夏4月9日使者を派遣
(即位9年)秋7月23日使者を派遣
(即位10年)夏4月10日4月28日に吉野行幸使者を派遣
(即位10年)秋7月8日使者を派遣
(即位11年)夏4月7日吉野行幸と同日使者を派遣
(即位11年)秋7月12日8月1日に文武天皇に禅譲使者を派遣
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天武天皇紀からの引用

天武天皇(四十四)貸税・竜田の立野の風神・広瀬の河曲の大忌神
(即位4年)4月10日。小紫(ショウシ)の美濃王(ミノノオオキミ)・小錦下の佐伯連広足(サエキノムラジヒロタリ)を派遣して、風神を竜田(タツタ)の立野(タツノ)に祭らせました。小錦中の間人連大蓋(ハシヒトノムラジオオフタ)・大山中の曾禰連韓犬(ソネノムラジカライヌ)を派遣して、大忌神(オオイミノカミ)を広瀬(ヒロセ=現在の奈良県北葛城郡河合村川合)の河曲(カワワ)に祭らせました。

天武天皇(五十)不思議な鶏・封戸の税を東国へ・紀臣訶佐麻呂の子を東国で百姓に
(即位5年)夏4月4日。竜田(タツタ)の風神・広瀬の大忌神(オオイミノカミ)を祭りました。

天武天皇(五十三)村国連雄依の死・星が天を渡る
(即位5年)7月16日。竜田の風神・広瀬の大忌神(オオイミノカミ)を祭りました。

天武天皇(六十一)親王と諸王に出家人を与える・浮浪人に二重に課役
(即位6年)秋7月3日。竜田の風神・広瀬の大忌神を祭りました。

天武天皇(七十)寺の食封
(即位8年)4月9日。広瀬・竜田の神を祀りました。

天武天皇(七十二)迹驚淵の宴会・縵造忍勝の稲
(即位8年)7月14日。広瀬・竜田の神を祭りました。

天武天皇(七十七)橘寺の失火・寺は官司が治めてはいけない・寺の食封の禁止
(即位9年)4月10日。広瀬・竜田の神を祭りました。

天武天皇(七十九)飛鳥寺の西の槻が折れる・犬養連大伴の病・弘聡僧と三宅連石床と舎人王の死
(即位9年)7月8日。広瀬・竜田の神を祭りました。

天武天皇(八十六)禁式九十二条・14人に姓を与える
(即位10年)夏4月2日。広瀬・竜田の神を祭りました。

天武天皇(八十八)大解除と祓柱の奴婢・皇后は誓願して大斎
(即位10年)秋7月10日。広瀬・竜田の神を祭りました。

天武天皇(九十五)蝦夷の伊高岐那・男女が髪を結う
(即位11年)夏4月9日。広瀬・竜田の神を祭る。

天武天皇(九十七)隼人の相撲・膳臣摩漏の死
(即位11年)7月11日。広瀬と竜田の神を祭りました。

天武天皇(百三)僧正と僧都と律師を任じる・銅銭と銀銭・大伴連望多の死
(即位12年)4月21日。広瀬・竜田の神を祭りました。

天武天皇(百四)鏡姫王の死・道蔵の雨乞い・大伴連男吹負の死
(即位12年)7月20日。広瀬・竜田の神を祭りました。

天武天皇(百八)百寮の進止威儀・政要は軍事
(即位13年)4月13日。広瀬の大忌神(オオイミノカミ)・竜田の風神(カゼノカミ)を祭りました。

天武天皇(百十)百済の僧尼と俗人を武蔵国に・彗星が西北に
(即位13年)秋7月4日。天武天皇は広瀬に行きました。
7月9日。広瀬・竜田の神を祭りました。

天武天皇(百十八)家ごとに仏舎を作り、仏像とお経を作り礼拝供養を
(即位14年)夏4月12日。広瀬・竜田の神を祭りました。

天武天皇(百二十)11氏族に忌寸を賜う・官位ごとに服の色を定める
(即位14年)秋7月21日。広瀬・竜田の神を祭りました。

天武天皇(百三十二)民部省の藏庸舍屋が火事・稲資材の徳政令
(即位15年)秋7月16日。広瀬・竜田の神を祭りました。
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持統天皇紀からの引用

持統天皇(二十三)人事の令・服の色・紐と帯
(即位4年)夏4月3日。使者を派遣して、広瀬大忌神と竜田風神を祭らせました。

持統天皇(二十五)新しい朝服・朝堂での礼儀
(即位4年)秋7月18日。使者を派遣して広瀬大忌神と竜田風神を祭らせました。

持統天皇(三十一)祖の時に籍が除かれた奴婢の処遇
(即位5年)夏4月11日。使者を派遣して広瀬大忌紙と竜田風神を祭りました。

持統天皇(三十二)陰雨が続くので酒宍を禁じ、お経を読ませる
(即位5年)秋7月15日。使者を派遣して広瀬大忌神と竜田風神を祭らせました。

持統天皇(三十八)難波の大蔵の鍫・繋囚と見徒を皆、赦す
(即位6年)夏4月19日。使者を派遣して、広瀬大忌神と竜田風神を祀らせました。

持統天皇(四十一)直丁に官位・赤烏を捕らえた褒賞・熒惑と歲星
(即位6年)秋7月11日。使者を派遣して、広瀬と竜田とを祀らせました。

持統天皇(四十六)坐贓の罰
(即位7年) 夏4月17日。大夫(マヘツキミ=臣下)・謁者(モノマウシヒト)を派遣して、諸社(モロモロノヤシロ)に詣でて、雨乞いしました。また使者を派遣して広瀬大忌神と竜田風神を祀らせました。

持統天皇(四十七)無遮大会を内裏で・福嘉を俗に・雨乞い
(即位7年)秋7月7日。吉野宮へ行きました。
7月12日。使者を派遣して、広瀬大忌神と竜田風神を祀らせました。

持統天皇(五十三)金光明経を毎年正月上弦に読みなさい
(即位8年) 夏4月7日。持統天皇は吉野宮に行きました。
4月13日。使者を派遣して、広瀬大忌神と竜田風神を祀らせました。

持統天皇(五十四)河内国の更荒郡の白い山鶏
(即位8年) 秋7月15日。使者を派遣して、広瀬大忌神と竜田風神を祀らせました。

持統天皇(五十七)隼人大隈との宴会と相撲の観覧
(即位9年) 夏4月9日。使者を派遣して広瀬大忌神と竜田風神を祀らせました。

持統天皇(五十八)80歳以上、および痼疾に賞を
(即位9年)秋7月23日。使者を派遣して、広瀬大忌神と竜田風神を祀らせました。

持統天皇(六十)二槻宮へ行幸
(即位10年)夏4月10日。使者を派遣して広瀬大忌神と竜田風神を祀らせました。

持統天皇(六十一)後皇子尊…高市皇子の死
(即位10年)秋7月8日。使者を派遣して広瀬大忌神と竜田風神を祀らせました。

持統天皇(六十三)東宮大傅と春宮大夫の任命・満選者に位を
(即位11年)夏4月7日。持統天皇は吉野宮に行きました。使者を派遣して広瀬と竜田を祀らせました。この日に吉野から帰りました。

持統天皇(六十四)皇太子に禅譲
(即位11年)秋7月12日。使者を派遣して、広瀬と竜田とを祀らせました。
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