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古事記に登場する剣・武器
投稿日時:2020-12-27 01:46:11TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket
概要
ここでは古事記に登場する武器をまとめています。刀・横刀・大刀といった俗称ではなく、固有名詞か、現在の私たちには特殊に聞こえるワードのみを取り出しています。また、日本書紀に登場する武器は抜き出していません。
剣系
十拳剣(トツカノツルギ)
俗にいう「長剣」のこと。拳10個分の長さの剣。複数の場面で登場するため長剣の一般的な表現だと思われるが、古事記の中の神話部分にしか登場しないので、神話的な表現なんじゃないかと思う。
刀(剣)から生まれた神、逃げろ!、宗像三女神の誕生、刀が欠けてしまう、タカヒコネが喪屋を破壊、切先にあぐらをかく武神
俗にいう「長剣」のこと。拳10個分の長さの剣。複数の場面で登場するため長剣の一般的な表現だと思われるが、古事記の中の神話部分にしか登場しないので、神話的な表現なんじゃないかと思う。
刀(剣)から生まれた神、逃げろ!、宗像三女神の誕生、刀が欠けてしまう、タカヒコネが喪屋を破壊、切先にあぐらをかく武神
大量(オオハカリ)、別名、神度剣(カムドノツルギ)
十拳剣でもある。アジスキタカヒコネがアメノワカヒコの葬式でアメノワカヒコと間違われたことで縁起が悪いとキレて、喪屋をぶち壊したときに使った剣。
飛びさるタカヒコネ
十拳剣でもある。アジスキタカヒコネがアメノワカヒコの葬式でアメノワカヒコと間違われたことで縁起が悪いとキレて、喪屋をぶち壊したときに使った剣。
飛びさるタカヒコネ
都牟刈の大刀(ツムカリノタチ)
八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の尻尾から出てきた剣で、草薙剣のことでもある。初登場時は都牟刈の大刀(ツムカリノタチ)と表記されるが、その後は一切古事記に登場しない。
クサナギの剣があらわれる
八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の尻尾から出てきた剣で、草薙剣のことでもある。初登場時は都牟刈の大刀(ツムカリノタチ)と表記されるが、その後は一切古事記に登場しない。
クサナギの剣があらわれる
草那芸の大刀(クサナギノタチ=草那芸剣)
平安時代になると三種の神器の一つとして挙げられる宝剣。八岐大蛇の尻尾から出てきた。八岐大蛇の尻尾から出てきたときは都牟刈の大刀(ツムカリノタチ)だが、これが草薙剣と呼ばれるようになるのはヤマトタケルが火攻めにあったときに草を切って何を逃れたことから。
クサナギの剣があらわれる、三種の神器と神々をさらに追加、草那芸剣と袋を受け取る、美夜受比売の答え
平安時代になると三種の神器の一つとして挙げられる宝剣。八岐大蛇の尻尾から出てきた。八岐大蛇の尻尾から出てきたときは都牟刈の大刀(ツムカリノタチ)だが、これが草薙剣と呼ばれるようになるのはヤマトタケルが火攻めにあったときに草を切って何を逃れたことから。
クサナギの剣があらわれる、三種の神器と神々をさらに追加、草那芸剣と袋を受け取る、美夜受比売の答え
生大刀(イクタチ)
根の堅洲国のスサノオの宮にあったアイテムの一つ。オオナムチはスサノオを柱に縛り付けてこれらのアイテムとスサノオの娘であるスセリヒメを誘拐して逃げる。これらのアイテムと娘を得たことで地上の王となる。
生大刀・生弓矢・天の詔琴、義父の叱咤激励?
根の堅洲国のスサノオの宮にあったアイテムの一つ。オオナムチはスサノオを柱に縛り付けてこれらのアイテムとスサノオの娘であるスセリヒメを誘拐して逃げる。これらのアイテムと娘を得たことで地上の王となる。
生大刀・生弓矢・天の詔琴、義父の叱咤激励?
佐士布都神(サジフツ神)、別名を甕布都神(ミカフツ神)、別名を布都御魂(フツノミタマ)
神武東征の際に危機に陥った神武天皇を助けるためにタケミカヅチ神が地上に降ろした刀のこと。フツとは刀を振り下ろした時に風を切る音とされる。
自分の代わりに刀を降ろして解決
神武東征の際に危機に陥った神武天皇を助けるためにタケミカヅチ神が地上に降ろした刀のこと。フツとは刀を振り下ろした時に風を切る音とされる。
自分の代わりに刀を降ろして解決
頭椎の大刀(カブツチノタチ)
柄が大きな刀で、古墳によく埋葬されていて、持ち手が金色に装飾されていたらしい。儀式用の刀で実践用ではないだろうと思われる。古事記では天忍日命(アメノオシヒ命)と天津久米命(アマツクメ命)の二柱の神が持って、ニニギとともに降臨したとされる。
アメノオシヒ命とアマツクメ命
柄が大きな刀で、古墳によく埋葬されていて、持ち手が金色に装飾されていたらしい。儀式用の刀で実践用ではないだろうと思われる。古事記では天忍日命(アメノオシヒ命)と天津久米命(アマツクメ命)の二柱の神が持って、ニニギとともに降臨したとされる。
アメノオシヒ命とアマツクメ命
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小刀
紐小刀
柄に穴が開いていて、そこに紐を通す。古墳から出土される。アメノウズメがナマコの口を裂くのに使われたり、ホオリ(=山幸彦)が海から帰るときに乗った一尋和邇(ヒトヒロワニ)に送ってもらったお礼に首かけたり、サホビメが垂仁天皇の寝首をかこうとしたときに登場している。
ナマコの口を裂く、サイモチ神といいます、垂仁天皇の夢
柄に穴が開いていて、そこに紐を通す。古墳から出土される。アメノウズメがナマコの口を裂くのに使われたり、ホオリ(=山幸彦)が海から帰るときに乗った一尋和邇(ヒトヒロワニ)に送ってもらったお礼に首かけたり、サホビメが垂仁天皇の寝首をかこうとしたときに登場している。
ナマコの口を裂く、サイモチ神といいます、垂仁天皇の夢
弓矢
鳴鏑(ナリカブラ)
音が鳴るよう細工された矢の先。平安時代など、のちの時代では戦争の始まりの合図として利用されるようになるが、古事記の時代では農業儀式のアイテムと考えた方がいい。
鳴鏑とネズミ、落ちて隠り入りし間に火は焼け過ぎき、鳴鏑を神体とする神、訶夫羅前
音が鳴るよう細工された矢の先。平安時代など、のちの時代では戦争の始まりの合図として利用されるようになるが、古事記の時代では農業儀式のアイテムと考えた方がいい。
鳴鏑とネズミ、落ちて隠り入りし間に火は焼け過ぎき、鳴鏑を神体とする神、訶夫羅前
天之波士弓(アマノハジユミ)と天之加久矢(アマノカク矢)
アメノワカヒコが高天原からやってきた鳴女という鳥を殺すために使った弓矢。「天津神からもらった」とあるので、上記の天之麻迦古弓(アマノマカコ弓)、天之波波矢(アマノハハ矢)と同じものであるはずだが、名前がなぜか違う。ハジは「ハゼの木」のことで材質を表す。
ナキメを射殺すアメノワカヒコ
アメノワカヒコが高天原からやってきた鳴女という鳥を殺すために使った弓矢。「天津神からもらった」とあるので、上記の天之麻迦古弓(アマノマカコ弓)、天之波波矢(アマノハハ矢)と同じものであるはずだが、名前がなぜか違う。ハジは「ハゼの木」のことで材質を表す。
ナキメを射殺すアメノワカヒコ
天の波士弓(アメノハジユミ)と天の真鹿児矢(アメノマカゴヤ)
ニニギが天孫降臨する際に仕えたアメノオシヒ(大伴氏の先祖)とアマツクメ(久米氏の先祖)が持っていた弓矢。これとは別に頭椎の大刀と、天の石靫(矢筒)も持っていた。ハジは「ハゼの木」のことで材質を表す。
アメノオシヒ命とアマツクメ命
ニニギが天孫降臨する際に仕えたアメノオシヒ(大伴氏の先祖)とアマツクメ(久米氏の先祖)が持っていた弓矢。これとは別に頭椎の大刀と、天の石靫(矢筒)も持っていた。ハジは「ハゼの木」のことで材質を表す。
アメノオシヒ命とアマツクメ命
忌矢(イワイヤ)
忌矢とは戦争の始まりに射つ矢のこと。崇神天皇の時代、各地に派兵するのですが、崇神天皇の伯父である建波邇安王(タケハニヤスノミコ)が崇神天皇の殺害を狙っていることが不思議な少女の歌から判明します。それで建波邇安王(タケハニヤスノミコ)と日子国夫玖命(ヒコクニブク命=崇神天皇側)との戦争が始まります。その時に放たれた矢のこと。
まづ忌矢弾つべし
忌矢とは戦争の始まりに射つ矢のこと。崇神天皇の時代、各地に派兵するのですが、崇神天皇の伯父である建波邇安王(タケハニヤスノミコ)が崇神天皇の殺害を狙っていることが不思議な少女の歌から判明します。それで建波邇安王(タケハニヤスノミコ)と日子国夫玖命(ヒコクニブク命=崇神天皇側)との戦争が始まります。その時に放たれた矢のこと。
まづ忌矢弾つべし
梓弓(アヅサユミ)檀弓(ミマユミ)
応神天皇の子であるオオヤマモリとウジノワキイラツコの争いで、オオヤマモリが破れて死んだ後に歌われた歌の中に登場する言葉。宇治川沿いに生えているアズサとマユミの木を伐採して作る弓のことだが、歌の中では結局、君主と恋人を思い、心苦しくて伐採できなかったとされる。
ちはや人宇治の渡に渡り瀬に
応神天皇の子であるオオヤマモリとウジノワキイラツコの争いで、オオヤマモリが破れて死んだ後に歌われた歌の中に登場する言葉。宇治川沿いに生えているアズサとマユミの木を伐採して作る弓のことだが、歌の中では結局、君主と恋人を思い、心苦しくて伐採できなかったとされる。
ちはや人宇治の渡に渡り瀬に
穴穂箭(アナホヤ)、軽箭(カルヤ)
允恭天皇の子供の木梨之軽王が次の天皇に内定していたのですが、同腹の妹である軽大郎女(=衣通郎女)と近親相姦関係になり、氏族たちが穴穂皇子(のちの安康天皇)についた。その結果、木梨之軽王は大前小前宿禰大臣の家に逃げ込み、戦争になります。そのときに穴穂皇子の陣営が作ったのが「穴穂箭(アナホヤ)」、木梨之軽王の陣営が作ったのが「軽箭(カルヤ)」。
大前小前宿禰が 金門陰 斯く寄り来ね 雨立ち止めむ
允恭天皇の子供の木梨之軽王が次の天皇に内定していたのですが、同腹の妹である軽大郎女(=衣通郎女)と近親相姦関係になり、氏族たちが穴穂皇子(のちの安康天皇)についた。その結果、木梨之軽王は大前小前宿禰大臣の家に逃げ込み、戦争になります。そのときに穴穂皇子の陣営が作ったのが「穴穂箭(アナホヤ)」、木梨之軽王の陣営が作ったのが「軽箭(カルヤ)」。
大前小前宿禰が 金門陰 斯く寄り来ね 雨立ち止めむ
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矛
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