推古天皇(日本書紀)

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推古天皇(日本書紀)

投稿:2015年10月16日 更新:2015年10月16日

要約

崇峻天皇即位5年12月 豊浦宮で推古天皇が即位。
推古天皇即位1年1月 仏舎利を法興寺の柱の中に置く。
即位1年4月 厩戸豊聡耳皇子を皇太子にし、摂政を行った。
即位1年9月 四天王寺を作り始める。
即位2年2月 三宝を興し、臣連達が寺を建てる。
即位3年4月 香木が淡路島に漂着。
即位3年5月 高麗の僧の慧慈が帰化。百済の僧の慧聡とともに三宝の基礎となりました。
即位3年7月 筑紫の軍が帰る。
即位4年11月 法興寺が完成。蘇我馬子の子の蘇我善徳が寺司に成る。
即位5年4月 百済の王子の阿佐が朝貢。
即位5年11月 吉士磐金を新羅に派遣。
即位6年4月 吉士磐金が帰国し、鵲を献上。
即位6年8月 新羅がクジャクを献上。
即位6年10月 越国が白い鹿を献上。
即位7年4月 地震が発生。
即位7年9月 百済がラクダ・ロバ・羊・白いキジを献上。
即位8年2月 新羅と任那が戦争。日本は任那を援助。新羅を征伐すると新羅が降伏したので、将軍を帰国させると新羅がまた任那に侵攻した。
即位9年2月 厩戸皇子が斑鳩に宮を作る。
即位9年3月 高麗と百済に任那を救えと詔する。
即位9年5月 推古天皇が耳梨の行宮に行く。
即位9年9月 新羅のスパイが対馬に来るが、捕まえて上野に流す。
即位9年11月 新羅を責める話し合いをする。
即位10年2月 来目皇子に25000人の兵を授けて将軍とした。
即位10年4月 来目皇子が筑紫に。
即位10年6月 大伴連囓・坂本臣糖手が帰国。来目皇子は病気で征討できませんでした。
即位10年10月 百済から僧・本・書生が来て、学問が伝わる。
即位11年2月 来目皇子が筑紫で死亡。
即位11年4月 当麻皇子(=来目皇子の兄)を新羅征伐の軍の将軍とする。
即位11年7月 当麻皇子が難波から出発し、播磨で妻の舎人姫王が死んだので、引き返し、新羅征伐はされず。
即位11年10月 推古天皇が小墾田宮に移る。
即位11年11月 秦造河勝が厩戸皇子から仏像を受け取り蜂岡寺を作る。
即位11年12月 冠位十二階。
即位12年1月 臣に冠位を授ける。
即位12年4月 十七条の憲法。
即位12年9月 朝礼の礼を改正。黄書画師・山背画師を定める。
即位13年4月 銅製の仏像と刺繍の仏像を作り始める。
即位13年閏7月 厩戸皇子が王と臣に褶を着けさせる。
即位13年10月 厩戸皇子は斑鳩宮に。
即位14年4月 銅製の仏像と刺繍の仏像が完成。銅の仏像を元興寺の金堂に収め。入り口が狭くて入らなかったが、鞍作鳥がどうにかした。濯仏会と盂蘭盆会が始まる。
即位14年5月 鞍作鳥に大仁の位を与える。鞍作鳥は金剛寺を立てる。
即位14年7月 皇太子に勝鬘經を読経させた。
即位15年2月 壬生部を定める。皇太子と大臣と役人に神祗を祀らせる。
即位15年7月 小野臣妹子と遣唐使に。鞍作福利を通訳に。池を作る。屯倉を設置。
即位16年4月 小野妹子が帰国。裴世清が来日。
即位16年6月 難波に裴世清が到着。妹子が言うには唐からの手紙を百済に奪われたという。
即位16年8月 京に裴世清たちが到着。裴世清が皇帝の手紙を読む。宴会をする。
即位16年9月 難波の大郡で宴会。二回目の遣唐使を送る。留学生8人を含む。新羅人が多く帰化した。
即位17年4月 百済の道欣と恵弥など10人の僧侶と一般人75人が肥後の葦北津に漂着。中国に行く予定が流されたという。
即位17年5月 百済人を帰国させたが、11人が日本の留まることに。元興寺に住む。
即位17年9月 小野妹子たちが帰国。鞍作福利は帰国せず。
即位18年3月 高麗が僧侶の曇徵・法定を献上。五経・彩色・紙墨・碾磑が伝来?
即位18年10月 新羅と任那の使者が大和で宴会。
即位19年5月 菟田野で薬猟。服の色を、冠の色に従った(冠位十二階の徹底?)。
即位19年8月 新羅と任那が朝貢。
即位20年1月 宴会をして蘇我馬子と推古天皇が歌を歌い合う。
即位20年2月 堅塩媛を欽明天皇陵に改めて葬る。故人に語りかける儀式が行われる。
即位20年5月 羽田で薬猟(冠位十二階の徹底?)。
即位20年 百済から帰化したマダラの体を気味悪がって捨てようとしたが、建築技能があった。この人物は路子工、別名が芝耆摩呂。百済の味摩之が帰化した。味摩之は伎楽の技術があり、真野首弟子・新漢済文に伝えた。
即位21年11月 池を作る。難波から大和までの道を作る。
即位21年12月 皇太子が片岡の飢えた人に飲食物を与えるが死亡。その人物は聖者だという。
即位22年5月 薬猟。
即位22年6月 犬上君御田鍬・矢田部造を遣唐使で派遣(3回目)。
即位22年8月 蘇我馬子が病気に。1000人が出家。
即位23年9月 遣唐使が帰国。百済の使者も来日。
即位23年11月 百済の使者と宴会。高麗の慧慈が帰国。
即位24年1月 スモモが成る。
即位24年3月 屋久島人が3人帰化。
即位24年5月 屋久島が7人来日。
即位24年7月 屋久島人が20人来日。のちに全員死亡。新羅が仏像を献上。
即位25年6月 出雲で大きな瓜ができる。五穀がよく実った。
即位26年8月 高麗が隋に勝った祝いに日本に品物を献上。
即位26年 河辺臣が安芸国で船の木材を探すが、雷神に邪魔される話。
即位27年4月 近江国に人でも魚でもないものが見つかる。
即位28年8月 屋久島人が2人、伊豆に漂着。
即位28年10月 欽明天皇陵にさざれ石を敷く。倭漢坂上直が立派な柱を立てる。
即位28年12月 天に赤い印がある。キジの尾に似ている。
即位28年 皇太子と蘇我馬子が天皇記・国記・臣連伴造国造百八十部・公民等の本記を記録しました。
即位29年2月 皇太子が死亡。高麗の設斎が高麗で皇太子のために設斎した。設斎が2月5日に死ぬと予言し、その通り死亡。
即位29年 新羅が朝貢。初めて文を献上。
即位31年7月 新羅と任那が朝貢。留学生が中国への関わりを進める。
即位31年 新羅が任那を征伐。新羅に従属。天皇は新羅を征伐しようとするが、結局やめる。吉士磐金が説得に行くが、帰国前に境部臣雄摩侶たち数万の軍隊で新羅を征伐した。説得が成功したのに、軍を送ったことで、貢物は贈られたが関係はこじれた。五穀がみ野良なった。
即位32年4月 僧が祖父を斧で殺す。罪に問うた。百済の観勤僧は「仏法を学んでいないからです。許してください」といったので天皇は許したが、その代わり、僧侶を管理する僧正・僧都を作り、僧は管理されることになる。
即位32年9月 寺と僧尼を調べ、寺の所以を調べて、人数を調べた。
即位32年10月 蘇我馬子が推古天皇に葛城県を本拠だから与えて欲しいと願うが、推古天皇が拒否。
即位33年1月 高麗の僧の恵灌を献上。恵灌が僧正に。
即位34年1月 スモモに花が咲く。
即位34年3月 霜が降りる。
即位34年5月 蘇我馬子が死亡。
即位34年6月 長雨で飢えた。
即位35年2月 陸奥でタヌキが人に化けて歌を歌う。
即位35年5月 ハエが大量にあるマリ、信濃坂を越え、上野へ行き、消えた。
即位36年2月 推古天皇が病気に伏せる。
即位36年3月 日食で太陽が消える。推古天皇が田村皇子(のちの舒明天皇)と山背大兄皇子(=聖徳太子の子)に遺言を残し、崩御。

「推古天皇(日本書紀)」のページ一覧

Page1 推古天皇(一)出自と即位の経緯
Page2 推古天皇(二)法興寺の柱の礎に仏舎利を
法興寺の柱の礎に仏舎利を
Page3 推古天皇(三)厩戸豊聡耳皇子の出自
厩戸豊聡耳皇子の出自
Page4 推古天皇(四)四天王寺の建立と氏族の寺
四天王寺の建立と氏族の寺
Page5 推古天皇(五)沈香が淡路島に漂着・香木の最古の記述
沈香が淡路島に漂着・香木の最古の記述
Page6 推古天皇(六)慧慈と慧聡が日本に・将軍たちが筑紫から帰る
慧慈と慧聡が日本に・将軍たちが筑紫から帰る
Page7 推古天皇(七)善徳臣を寺司に・鵲と孔雀と白鹿の献上
善徳臣を寺司に・鵲と孔雀と白鹿の献上
Page8 推古天皇(八)地震・百済からラクダとロバと白いキジが献上される
地震・百済からラクダとロバと白いキジが献上される
Page9 推古天皇(九)境部臣と穂積臣による新羅討伐
境部臣と穂積臣による新羅討伐
Page10 推古天皇(十)船の舵を乾かさないよう、毎年必ず朝廷に参上します
船の舵を乾かさないよう、毎年必ず朝廷に参上します
Page11 推古天皇(十一)斑鳩宮と耳梨行宮・新羅のスパイの迦摩多
斑鳩宮と耳梨行宮・新羅のスパイの迦摩多
Page12 推古天皇(十二)来目皇子は筑紫で新羅討伐の準備をする
来目皇子は筑紫で新羅討伐の準備をする
Page13 推古天皇(十三)百済の僧の観勒・暦と天文地理と遁甲方術
百済の僧の観勒・暦と天文地理と遁甲方術
Page14 推古天皇(十四)来目皇子の死・周芳の娑婆に殯
来目皇子の死・周芳の娑婆に殯
Page15 推古天皇(十五)当麻皇子の出征と妻の舎人姫王の死
当麻皇子の出征と妻の舎人姫王の死
Page16 推古天皇(十六)秦造河勝と蜂岡寺・大楯と靭と旗幟を用意する
秦造河勝と蜂岡寺・大楯と靭と旗幟を用意する
Page17 推古天皇(十七)冠位十二階の実施
冠位十二階の実施
Page18 推古天皇(十八)憲法十七条
憲法十七条
Page19 推古天皇(十九)礼を改める・黄書画師と山背画師
礼を改める・黄書画師と山背画師
Page20 推古天皇(二十)鞍作鳥と仏像・高麗の大興王の三百両
鞍作鳥と仏像・高麗の大興王の三百両
Page21 推古天皇(二十一)元興寺の金堂の戸より大きな仏像なので入らない
元興寺の金堂の戸より大きな仏像なので入らない
Page22 推古天皇(二十二)鳥の功績と大仁の位
鳥の功績と大仁の位
Page23 推古天皇(二十三)皇太子は天皇のために勝鬘經と法華経を講じる
皇太子は天皇のために勝鬘經と法華経を講じる
Page24 推古天皇(二十四)壬生を定める・神祗を重んじる
壬生を定める・神祗を重んじる
Page25 推古天皇(二十五)小野臣妹子を大唐へ派遣
小野臣妹子を大唐へ派遣
Page26 推古天皇(二十六)裴世清の来日と歓待
裴世清の来日と歓待
Page27 推古天皇(二十七)妹子は唐の書を百済人に掠め取られる
妹子は唐の書を百済人に掠め取られる
Page28 推古天皇(二十八)大唐の親書・金の髻花と5色の陵羅
大唐の親書・金の髻花と5色の陵羅
Page29 推古天皇(二十九)東の天皇と西の皇帝・学生を8人派遣
東の天皇と西の皇帝・唐へ学生を8人派遣
Page30 推古天皇(三十)筑紫の大宰・肥後の葦北津に百済人が漂着
筑紫の大宰・肥後の葦北津に百済人が漂着
Page31 推古天皇(三十一)百済の道人は元興寺へ・福利が帰国せず
百済の道人は元興寺へ・福利が帰国せず
Page32 推古天皇(三十二)曇徵と法定・彩色と紙墨と碾磑
曇徵と法定・彩色と紙墨と碾磑
Page33 推古天皇(三十三)新羅と任那の使者の歓待と儀式
Page34 推古天皇(三十四)十九年夏五月五日、菟田野での薬猟
十九年夏五月五日、菟田野での薬猟
Page35 推古天皇(三十五)蘇我馬子との歌い合い
Page36 推古天皇(三十六)堅塩媛を檜隈大陵に改めて葬る
堅塩媛を檜隈大陵に改めて葬る
Page37 推古天皇(三十七)羽田の薬猟
羽田の薬猟
Page38 推古天皇(三十八)斑皮の百済人、路子工、別名を芝耆摩呂
斑皮の百済人、路子工、別名を芝耆摩呂
Page39 推古天皇(三十九)味摩之の伎楽の舞
味摩之の伎楽の舞
Page40 推古天皇(四十)最古の官道、竹内街道
最古の官道、竹内街道
Page41 推古天皇(四十一)片岡の飢えた人の衣服と聖徳太子
片岡の飢えた人の衣服と聖徳太子
Page42 推古天皇(四十二)薬猟・犬上君御田鍬と矢田部造の遣隋使
薬猟・犬上君御田鍬と矢田部造の遣隋使
Page43 推古天皇(四十三)犬上君御田鍬と矢田部造と百済の使者・慧慈の帰国
犬上君御田鍬と矢田部造と百済の使者・慧慈の帰国
Page44 推古天皇(四十四)桃李の実り・夜勾人の帰化
桃李の実り・夜勾人の帰化
Page45 推古天皇(四十五)隋の煬帝の30万の軍隊を高麗が破る
隋の煬帝の30万の軍隊を高麗が破る
Page46 推古天皇(四十六)河辺臣と舶と霹靂の木
河辺臣と舶と霹靂の木
Page47 推古天皇(四十七)魚でも人でもない物が蒲生河に
魚でも人でもない物が蒲生河に
Page48 推古天皇(四十八)大柱直・天に赤い気・天皇記と国記
大柱直・天に赤い気・天皇記と国記
Page49 推古天皇(四十九)厩戸豊聡耳皇子命の死
厩戸豊聡耳皇子命の死
Page50 推古天皇(五十)慧慈の説経と死の予言
慧慈の説経と死の予言
Page51 推古天皇(五十一)新羅の書を奈末伊弥買が持ってくる
新羅の書を奈末伊弥買が持ってくる
Page52 推古天皇(五十二)仏像と舎利と金塔と觀頂幡・留学の意義
仏像と舎利と金塔と觀頂幡・留学の意義
Page53 推古天皇(五十三)田中臣と中臣の話し合い・百済は裏切る国
田中臣と中臣の話し合い・百済は裏切る国
Page54 推古天皇(五十四)吉士磐金の帰国途中に数万の軍隊を派兵
吉士磐金の帰国途中に数万の軍隊を派兵
Page55 推古天皇(五十五)磐金と使者・新羅の征伐
磐金と使者・新羅の征伐
Page56 推古天皇(五十六)蘇我馬子は派兵を後悔する・迎船が二艘の理由
蘇我馬子は派兵を後悔する・迎船が二艘の理由
Page57 推古天皇(五十七)僧が斧で祖父を殴り殺す
僧が斧で祖父を殴り殺す
Page58 推古天皇(五十八)観勤僧を僧正に・鞍部徳積を僧都に
観勤僧を僧正に・鞍部徳積を僧都に
Page59 推古天皇(五十九)寺46箇所、僧816人、尼569人、合わせて1385人
寺46箇所、僧816人、尼569人、合わせて1385人
Page60 推古天皇(六十)葛城県は蘇我の本拠なので・断る推古天皇
葛城県は蘇我の本拠なので・断る推古天皇
Page61 推古天皇(六十一)馬子の死・嶋大臣の由来・霖雨と飢餓
馬子の死・嶋大臣の由来・霖雨と飢餓
Page62 推古天皇(六十二)陸奥国の狢・信濃坂を越える蝿の塊
陸奥国の狢・信濃坂を越える蝿の塊
Page63 推古天皇(六十三)推古天皇の死・田村皇子と山背大兄王
推古天皇の死・田村皇子と山背大兄王
Page64 推古天皇(六十四)竹田皇子の陵に葬って欲しい
竹田皇子の陵に葬って欲しい