天武天皇(日本書紀29)

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天武天皇(日本書紀29)

投稿:2016年01月31日 更新:2016年01月31日
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要約

即位2年1月7日 宴会をする。
即位2年2月27日 飛鳥浄御原宮で即位。
即位2年2月29日 勲功のある人に爵位を与え、品を与えた。
即位2年3月17日 備後国司が白雉を献上。その地域の労働が免除される。川原寺で一切経が写経される。
即位2年4月14日 大来皇女を天照太神宮に派遣させるために、まずは泊瀬斎宮に。
即位2年5月1日 神宮に仕えるものの詔。
即位2年5月29日 坂本財臣が死亡。
即位2年閏6月6日 百済の沙宅昭明が死亡。
即位2年6月8日 耽羅の王子が朝貢。
即位2年6月15日 新羅天皇即位を祝う使者を派遣。同時に前の天皇(つまり天智天皇)を弔う使者を派遣した。
即位2年6月24日 新羅の使者を筑紫でもてなした。
即位2年8月9日 紀臣閉麻呂たちに壬申の乱の論功行賞を。
即位2年8月20日 高麗による朝貢。新羅も使者を派遣して高麗の使者を筑紫に送る。
即位2年8月25日 即位の祝いの使者を京に呼んだが、耽羅も使者を寄せたが天皇の即位を祝う使者ではなかったために都には呼ばなかった。天皇が詔「波が高くなるから早く帰っていいよ」。ただし、耽羅の王と使者に爵位を与えた。
即位2年9月28日 新羅の使者の金承元を難波でもてなす。
即位2年11月1日 金承元が帰国。
即位2年11月21日 高麗と新羅の使者を筑紫でもてなす。
即位2年12月5日 中臣・忌部と神官・播磨と丹波の郡司などに禄と爵位を与える。
即位2年12月17日 紀臣訶多麻呂を高市大寺の司に。福林僧は知事を辞退しようとしたが、聞き入れられなかった。
即位2年12月27日 義成僧を小僧都に。佐官に二人を追加。
即位3年1月10日 百済王の昌成が死亡。
即位3年2月28日 紀臣阿閉麻呂が死亡。
即位3年3月7日 対馬国司守の忍海造大国が「対馬で銀が出た」と報告。
即位3年8月3日 忍壁皇子が石上神宮で神宝を磨く。
即位3年10月9日 大来皇女は泊瀬の斎宮から伊勢神宮へ。
即位4年1月1日 舎衛(インドの地方)・堕羅(タイのドヴァラヴァティ王国)・百済王・新羅の従者などが薬や珍しいものを献上。
即位4年1月2日 皇子と百寮が朝廷を拝した。
即位4年1月3日 高位の百寮が薪を献上。
即位4年1月5日 初めて占星台を立てる。
即位4年1月7日 臣下と宴会。
即位4年1月17日 臣下と百寮と高位の人が西門の庭で弓を射る儀式をする。大倭国は不思議な鶏を、東国は白鷹を、近江国は白鵄を献上。
即位4年1月23日 社に御幣を献上。
即位4年2月9日 大倭・河内・摂津・山背・播磨・淡路・丹波・但馬・近江・若狹・伊勢・美濃・尾張に歌の上手い百姓と面白い人と演じる人を献上しろと詔する。
即位4年2月13日 十市皇女と阿閉皇女が伊勢神宮に詣でる。
即位4年2月15日 天智天皇の時に支給した部民を廃止。皇族・王・臣に支給した土地も廃止する詔。
即位4年2月19日 「臣下と百僚と人民に悪いことをしないように。やったら罪を問う」という詔をする。
即位4年2月23日 天皇が高安城に行く。
即位4年2月 新羅の王子や使者が貢調する。
即位4年3月2日 土佐大神が神刀を天皇に献上。
即位4年3月14日 新羅の金風那を筑紫でもてなした。筑紫から帰国。
即位4年3月16日 栗隈王を兵政官長に。大伴連御行を大輔に。
即位4年3月 高麗が朝貢。新羅は貢調した。
即位4年4月5日 僧尼2400人で大きな設斎を。
即位4年4月8日 当摩公広麻呂と久努臣麻呂は参朝禁止の詔。
即位4年4月9日 貸税をする際に百姓の貧富を見て三等から選ぶよう、また中級以下の家にも貸すように詔をする。
即位4年4月10日 風神を竜田の立野に、大忌神を広瀬の河曲に祀らせる。
即位4年4月14日 久努臣摩呂が詔使を拒絶したため官位を取られた。
即位4年4月17日 漁猟者に檻穽・機槍などの罠を禁じ、4月1日〜9月30日に罠を設置してはいけない。牛・馬・犬・猿・鶏の食肉を禁止する詔を出す。
即位4年4月18日 麻続王が因幡に流罪。
即位4年4月23日 才芸のあるものに禄を与えた。
即位4年4月 新羅の王子の忠元が難波に到着。
即位4年6月23日 大分君恵尺が病気になり死亡する。死ぬ前に天皇が報償を与えた。
即位4年7月7日 大伴連国麻呂・三宅吉士入石などを新羅へ派遣。
即位4年8月1日 耽羅の貢調で王子の久麻伎が筑紫に宿泊。
即位4年8月22日 強風で屋根が壊れる。
即位4年8月25日 新羅の王子の忠元が難波から帰国。
即位4年8月28日 新羅と高麗の使者が貢調。筑紫でもてなす。
即位4年9月27日 耽羅の王の姑如が難波に到着。
即位4年10月3日 一切経を探す。
即位4年10月10日 臣下と酒飲んで宴会。
即位4年10月16日 筑紫から唐人30人が献上。唐人を遠江国に移住させる。
即位4年10月20日 諸王以下、初位より上は武器を用意するように詔をした。相模国が「高倉郡の娘が三つ子を産んだ」と報告。
即位4年11月3日 誰かが呪いをかけて自殺。
即位4年11月 大きな地震があった。
即位5年1月1日 臣下と百寮が朝廷で拝礼。
即位5年1月4日 衣・袴・褶・腰帯・脚帯・机・杖を支給。
即位5年1月7日 禄を与えた。
即位5年1月15日 百寮が薪を献上。朝廷で宴会をした。
即位5年1月16日 西の門で弓を射る儀式。的に当たると景品があった。天皇は嶋宮で宴会。
即位5年1月25日 「国司には畿内・陸奥・長門以外は大山位より下のものに」と詔。
即位5年2月24日 耽羅の人に船を与える。
即位5年2月 大伴連国摩呂が新羅から帰国。
即位5年4月4日 竜田の風神・広瀬の大忌神を祀る。鰐積吉事がトサカが椿のような鶏を献上。倭国の飽波郡が「雌鶏が雄鶏になった!」と報告。
即位5年4月14日 西の国の封戸の税を東国に給付する。畿内の外の人間で仕えようとしても、臣連伴造・国造の子以外は聞いてはいけない。ただしそれ以下の子でも才能のあるものは聞いても良い、と詔。
即位5年4月22日 「礪杵郡の紀臣訶佐麻呂の子を東国に移住させて、百姓にしなさい」と美濃国司に詔。
即位5年5月3日 貢調が遅い国司の罪状を述べる。
即位5年5月7日 下野国司が「凶作なので百姓が子を売ろうとしています」と言うが朝廷は聞かず、許可しなかった。
即位5年5月 「南淵山・細川山を禁足地に。畿内の以前からの禁足地も木を焼いたり折ってはいけない」と詔。
即位5年6月 栗隈王が死亡。物部雄君連が死亡。夏に干ばつがあった。御幣を捧げて神に祈り、僧尼に祈らせるが、雨が実らず、百姓は飢えた。
即位5年7月2日 臣下と百寮に爵位と品を与える。
即位5年7月8日 耽羅の客人が帰国。
即位5年7月16日 竜田の風神・広瀬の大忌神を祀る。
即位5年7月 村国連雄依が死亡。彗星が9月まで流れる。
即位5年8月2日 親王や臣下に食封を支給。
即位5年8月16日 国中で大解除。その必要物資を国造が輸送。
即位5年8月17日 死刑・没官・島流しに恩赦。それ以下の罪を赦す。諸国で放生会する。
即位5年8月 大三輪真上田子人君が死亡。
即位5年9月1日 雨が降ったので告朔をしなかった。
即位5年9月10日 兵器を検校させた。
即位5年9月12日 筑紫の太宰の屋垣王を土佐に島流し。
即位5年9月13日 百寮と諸藩に禄を与える。
即位5年9月21日 神官が新嘗の占いで斎忌に尾張国の山田郡、丹波国の訶沙郡が当たったと報告する。
即位5年10月1日 臣下と酒を飲んで宴会。
即位5年10月3日 相嘗祭で神に御幣を奉る。
即位5年10月10日 物部連摩呂と山背直百足を新羅に派遣。
即位5年11月1日 新嘗があったので告朔をしなかった。
即位5年11月3日 新羅が金清平を派遣して政治の要請。新羅が貢調。粛慎が金清平に従って来る。
即位5年11月19日 放生会。
即位5年11月20日 金光明経・仁王経を四方の国に説く。
即位5年11月23日 高麗が朝貢。新羅が高麗の使者を筑紫に送迎。
即位5年 新城に都を作ろうとしたが、失敗。
即位6年1月17日 南門で弓を射る儀式。
即位6年2月1日 物部連摩呂が新羅から帰国。
即位6年2月 多禰嶋人たちを飛鳥寺の西の槻の下で宴会。
即位6年3月19日 新羅の清平14人を京に呼び寄せる。
即位6年4月11日 杙田史名倉が批判したので伊豆に島流し。
即位6年4月14日 珍那を筑紫で宴会してもてなす。
即位6年5月1日 告朔をしなかった。
即位6年5月3日 百済人の率母、倭画師音檮に位を。
即位6年5月7日 新羅の朴刺破たちが五島列島に漂着。
即位6年5月28日 神社の税は三分の一を神に、三分の二を神主に、と詔。
即位6年5月 干ばつ。京と畿内で雨乞い。
即位6年6月14日 大きな地震。東漢直に「7つの悪行をした。近江王朝は謀略に使ってきた。これまでの罪は許すが今後は許さない」と詔。
即位6年7月3日 竜田の風神・広瀬の大忌神を祀る。
即位6年8月15日 飛鳥寺を一切経を読む。天皇は三宝を敬い、臣下たちに出家者を一人与える。
即位6年8月27日 金清平は帰国。漂着した朴刺破を新羅へ返す。
即位6年8月28日 耽羅が都羅を派遣して朝貢。
即位6年9月30日 浮浪人は逃げた先でも本土でも課役を貸すようにと詔。
即位6年10月14日 河辺臣百枝を民部卿に。丹比公麻呂を摂津職大夫に。
即位6年11月1日 雨天で告朔をせず。筑紫太宰が赤いカラスを献上。大赦する。
即位6年11月21日 新嘗祭。
即位6年11月23日 百寮に食を与える。
即位6年11月27日 神官と国司に禄を。
即位6年12月1日 雪で告朔をせず。
即位7年1月17日 南門で弓を射る儀式。
即位7年1月22日 耽羅人が京へ向かう。祓禊をする。斎宮を倉梯の川上に建てる。
即位7年4月1日 斎宮へ行く占いをする。占いで4月7日と出た。平坦の時に出発しようとすると、十市皇女が発病し死亡。行幸を止めた。
即位7年4月13日 新宮の西庁に落雷。
即位7年4月14日 十市皇女を赤穂で葬る。天皇が発哀する。
即位7年9月 忍海造能摩呂が瑞穂を献上。特赦をする。稚狹王が死亡。
即位7年10月1日 綿が難波に降る。甘露だと噂する。
即位7年10月26日 「優秀な真面目な人を推薦しなさい。仕事を大した理由もなく休む人は出世させるな」と詔する。
即位7年12月27日 大量の臘子鳥が西南から東北へ。
即位7年12月 筑紫で大地震。地面が避け、家が倒れた。
即位7年 この年に新羅王が金消勿などを派遣して貢調下が遭難して加良井山だけが岸に到着した…と報告があった。
即位8年1月5日 新羅の使者が京に。
即位8年1月7日 「氏長と親と兄姉以外に拝礼してはいけない」と詔。
即位8年1月18日 西門で弓を射る儀式。
即位8年2月1日 高麗が朝貢。新羅が筑紫に高麗の使者を送迎。
即位8年2月3日 紀臣堅摩呂が死亡。
即位8年2月4日 「親王・臣下・百寮の兵器と馬を検校する」と詔。
即位8年2月 貧しいものに恵む。
即位8年3月6日 大分君稚見が死亡。
即位8年3月7日 天皇が越智へ行幸。後岡本天皇陵で拝礼。
即位8年3月9日 吉備大宰石川王が病死。
即位8年3月22日 貧乏な僧尼に絁・綿・布を贈る。
即位8年4月5日 食封を持ってる寺を調べて、加減するべきと詔した。いくつかの寺の名前を定めた。
即位8年4月9日 広瀬・竜田の神を祀る。
即位8年5月5日 天武天皇は吉野宮へ。
即位8年5月6日 天皇は皇后や皇子たちに異腹の皇子でも愛することを誓った。
即位8年5月7日 天武天皇は大和へ帰る。
即位8年5月10日 皇子は大殿で天皇に対して拝礼する。
即位8年6月1日 桃のような雹が降る。
即位8年6月23日 雨乞いをする。
即位8年6月26日 大伴杜屋連が死亡。
即位8年7月6日 雨乞いをする。
即位8年7月14日 広瀬・竜田の神を祀る。
即位8年7月17日 葛城王が死亡。
8月1日 諸氏に娘を献上するように詔をする。
8月11日 泊瀬の迹驚淵で宴会。諸氏に馬を提出させる。
8月22日 縵造忍勝が不思議な稲を献上。
8月25日 大宅王が死亡。
9月16日 新羅に派遣した使者が帰国し拝礼。
9月23日 高麗と耽羅に派遣した使者が帰国し拝礼。
10月2日 「上のものは下のものの過失を責め、下のものは上のものの暴虐を諌めれば、国家は治るだろう」と詔。
10月11日 地震。
10月13日 僧尼の作法と法服の色などを制定。
10月17日 新羅が朝貢。
10月 「僧尼は寺の中にいるべき。だが、老病ならば別の小屋を空き地に立ててそこに住め。じゃないと穢れるから」と詔。
11月14日 地震。
11月23日 倭馬飼部造連と上寸主光父を多禰嶋に派遣。
12月2日 嘉禾を理由に禄を給付。特赦。
即位8年 紀伊国伊刀郡が芝草を献上。因幡国が瑞稲を献上。
即位9年1月8日 天武天皇は向小殿で宴会。忌部首首は連に。
1月17日 南門で弓を射る儀式。
1月20日 活田村で桃李がなる。
2月18日 鼓の音のようなものが東から聞こえる。
2月26日 葛城で得た不思議な鹿の角を献上。麒麟の角ではないか。
2月27日 新羅の死者が本土に帰る。
3月10日 摂津国は白巫鳥を献上。
3月23日 菟田の吾城へ行幸。
4月10日 広瀬・竜田の神を祀る。
4月11日 橘寺の尼房が火事。
4月25日 新羅の項那を筑紫で宴会してもてなす。
4月 「国の大寺以外は認めない。食封は30年を期限とする。飛鳥寺に役人を関与させなさい」と詔。
5月1日 都の24の寺に品を贈る。金光明経を説く。
5月13日 高麗が朝貢。新羅の項那が高麗の使者を筑紫に送迎した。
5月21日 秦造綱手が死亡。
5月27日 星川臣摩呂が死亡。
6月5日 新羅の項那が帰国。
6月8日 灰が降った。
6月14日 雷が激しく鳴った。
7月1日 飛鳥寺の西の槻の枝が折れる。
7月5日 天武天皇が犬養連大伴に見舞う。雨乞いをする。
7月8日 広瀬・竜田の神を祀る。
7月10日 朱雀が南門に現れる。
7月17日 朴井連子麻呂に小錦下位を。
7月20日 飛鳥寺の弘聡僧が死亡。大津皇子と高市皇子が弔う。
7月23日 三宅連石床が死亡。
7月25日 舍人王が死亡。高市皇子・川嶋皇子を派遣した。
8月5日 法官が嘉禾を献上。雨が降り、洪水になった。
8月14日 強風で屋根が壊れる。
9月9日 朝嬬に行幸。馬を見た。
9月23日 地震。
9月27日 桑内王が死亡。
10月4日 寺の貧乏な僧尼と百姓たちに施し。
11月1日 日蝕。
11月3日 戌(午後11時)から子(深夜0時)まで東が明るかった。
11月4日 斉明天皇の弔いに来ていた高麗人19人が帰国。
11月7日 良い政策なら提言しなさいと詔。
11月10日 西で雷が鳴る。
11月12日 皇后(のちの持統天皇)が病気。回復を願い薬師寺を建立。罪人を許す。
11月16日 月蝕。草壁皇子が恵妙僧の見舞いをするが翌日死亡。
11月24日 新羅が貢調。
11月26日 天皇が病気になるが100人の僧を出家させると治る。
11月30日 臘子鳥が天を覆うほど飛び、東南から西北へ。
即位10年1月2日 幣帛を神祇に奉納する。
1月3日 百寮が朝廷で拝礼。
1月7日 向小殿で宴会。親王・諸王は内安殿で、臣下は外安殿で宴会。草香部吉士大形に難波連姓を与えた。
1月11日 境部連石積に給付。
1月17日 朝廷で弓の儀式。
1月19日 天社地社を修理。
2月25日 大極殿で詔。「律令を定め、仏式を改める」。草壁皇子を皇太子として摂政とする。
2月29日 阿倍夫人が死亡。
2月30日 当摩公豊浜が死亡。
3月4日 阿倍夫人を葬る。
3月17日 大極殿で帝紀を記し、定めさせた。
3月21日 地震。
3月25日 井戸で鼓吹を鳴らして習わせた。
4月2日 広瀬・竜田の神を祀る。
4月3日 禁式九十二条(衣服の規定)。
4月12日 14人に姓を与える。
4月17日 高麗の卯問を筑紫でもてなす。
5月11日 皇祖の御魂を祀り、詔で「宮人に媚びすぎだ!」と批判。
5月26日 卯問が帰国。
6月5日 新羅の若弼を筑紫でもてなす。
6月17日 雨乞い。
6月24日 地震。
7月1日 朱雀を見る。
7月4日 采女臣竹羅と当摩公楯を新羅に派遣。佐伯連広足と小墾田臣麻呂を高麗に派遣。
7月10日 広瀬・竜田の神を祀る。
7月30日 大解除をする。
閏7月15日 皇后の誓願で大斎。
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「天武天皇(日本書紀29)」のページ一覧

Page1 天武天皇(三十二)即位・后妃と子息子女
Page2 天武天皇(三十三)亀石郡が白雉で捕えられる・川原寺で一切経を写経
Page3 天武天皇(三十四)大来皇女を伊勢神宮に
Page4 天武天皇(三十五)沙宅昭明の死・新羅と百済の使者
Page5 天武天皇(三十六)紀臣閉麻呂の褒賞・高麗と新羅の賀騰極使・耽羅の使者の帰国
Page6 天武天皇(三十七)難波で金承元をもてなす・大郡で高麗の邯子と新羅の薩儒をもてなす
Page7 天武天皇(三十八)大嘗に仕える中臣と忌部・高市大寺を造る司・小僧都と佐官
Page8 天武天皇(三十九)紀臣阿閉麻呂の死・対馬の銀・伊勢神宮の神宝
Page9 天武天皇(四十)即位の祝いの献上品
Page10 天武天皇(四十一)十市皇女と阿閉皇女は伊勢神宮へ・部曲の停止
Page11 天武天皇(四十二)新羅の王子の忠元の来日
Page12 天武天皇(四十三)諸王四位栗隈王を兵政官長に
Page13 天武天皇(四十四)貸税・竜田の立野の風神・広瀬の河曲の大忌神
Page14 天武天皇(四十五)漁猟者の制約・肉食の禁止
Page15 天武天皇(四十六)大分君恵尺の病死
Page16 天武天皇(四十七)大伴連国麻呂と三宅吉士入石を新羅へ
Page17 天武天皇(四十八)兵器を備える詔・高倉郡の女の三つ子・妖言して自殺
Page18 天武天皇(四十九)衣・袴・褶・腰帯・脚帯・机・杖を支給
Page19 天武天皇(五十)不思議な鶏・封戸の税を東国へ・紀臣訶佐麻呂の子を東国で百姓に
Page20 天武天皇(五十一)下野国は凶作で子を売る・南淵山と細川山を禁足地に
Page21 天武天皇(五十二)栗隈王と物部雄君連の死・干ばつとその対応
Page22 天武天皇(五十三)村国連雄依の死・星が天を渡る
Page23 天武天皇(五十四)大解除の供物・死刑と没官と三流
Page24 天武天皇(五十五)屋垣王を土佐に流す・新嘗の斎忌と次
Page25 天武天皇(五十六)相新嘗で神祇に御幣を
Page26 天武天皇(五十七)新城に都を作らず
Page27 天武天皇(五十八)多禰嶋人を飛鳥寺でもてなす・杙田史名倉を伊豆へ流す
Page28 天武天皇(五十九)天社地社の神税・新羅人が血鹿嶋に漂着
Page29 天武天皇(六十)東漢直の7つの罪・恩により許される
Page30 天武天皇(六十一)親王と諸王に出家人を与える・浮浪人に二重に課役
Page31 天武天皇(六十二)筑紫太宰の赤烏の献上
Page32 天武天皇(六十三)倉梯の斎宮・十市皇女の死
Page33 天武天皇(六十四)難波に甘露・法官と大弁官と階級
Page34 天武天皇(六十五)臘子鳥・筑紫の地震・丘の家が移動
Page35 天武天皇(六十六)加良井山と金紅世が日本に・新羅の船の遭難
Page36 天武天皇(六十七)正月の節の拝礼・諸王は卑母に拝礼してはいけない
Page37 天武天皇(六十八)紀臣堅摩呂の死・10年に兵器と馬の検校を
Page38 天武天皇(六十九)大分君稚見の死・吉備大宰石川王の死
Page39 天武天皇(七十)寺の食封
Page40 天武天皇(七十一)天皇と皇后と皇子達の誓盟
Page41 天武天皇(七十二)迹驚淵の宴会・縵造忍勝の稲
Page42 天武天皇(七十三)新羅の貢物・暴悪者が巷里に・寺の老病者の処遇
Page43 天武天皇(七十四)関所を竜田山と大坂山に・羅城・嘉禾と芝草と瑞稲
Page44 天武天皇(七十五)忌部首首に連姓を・活田村で桃李
Page45 天武天皇(七十六)驎角か・摂津国は白巫鳥・菟田の吾城へ行幸
Page46 天武天皇(七十七)橘寺の失火・寺は官司が治めてはいけない・寺の食封の禁止
Page47 天武天皇(七十八)二十四寺に贈る・秦造綱手と星川臣摩呂の死
Page48 天武天皇(七十九)飛鳥寺の西の槻が折れる・犬養連大伴の病・弘聡僧と三宅連石床と舎人王の死
Page49 天武天皇(八十)嘉禾の献上と大水・朝嬬での馬的・桑内王の死
Page50 天武天皇(八十一)賑給を行う・高麗人の帰国・百官に政策を問う
Page51 天武天皇(八十二)薬師寺を建立・恵妙僧の死・臘子鳥が空を隠す
Page52 天武天皇(八十三)向小殿と内安殿と外安殿の宴・天社地社の宮の修理
Page53 天武天皇(八十四)律令と法式・草壁皇子尊の立太子
Page54 天武天皇(八十五)帝紀と諸事を筆で記録・新宮の井上で鼓吹
Page55 天武天皇(八十六)禁式九十二条・14人に姓を与える
Page56 天武天皇(八十七)皇祖御魂を祭る・百寮と宮人への過剰評価
Page57 天武天皇(八十八)大解除と祓柱の奴婢・皇后は誓願して大斎
Page58 天武天皇(八十九)三韓人の調税免除・多禰嶋の地図と風俗
Page59 天武天皇(九十)周芳国の赤亀・氏上を定めて理官へ
Page60 天武天皇(九十一)金忠平と金壱世の献上品・広瀬野の検校と新羅王の死
Page61 天武天皇(九十二)河辺臣子首を金忠平をもてなすために派遣
Page62 天武天皇(九十三)氷上夫人の死・舍人連糠蟲の死
Page63 天武天皇(九十四)新城の地形・新字1部44巻・百寮の服
Page64 天武天皇(九十五)蝦夷の伊高岐那・男女が髪を結う
Page65 天武天皇(九十六)初めて髪を結う・漆紗冠の着用
Page66 天武天皇(九十七)隼人の相撲・膳臣摩漏の死
Page67 天武天皇(九十八)造法令殿内で虹・様々な兆し・考選の基準・日高皇女の病
Page68 天武天皇(九十九)跪礼と匍匐礼を止めて立礼に・大宮に鸖が翔ける
Page69 天武天皇(百)法を犯すものを糺弾
Page70 天武天皇(百一)氏族は氏上を定めよ
Page71 天武天皇(百二)三つ足の雀・明神御大八洲倭根子天皇の勅命
Page72 天武天皇(百三)僧正と僧都と律師を任じる・銅銭と銀銭・大伴連望多の死
Page73 天武天皇(百四)鏡姫王の死・道蔵の雨乞い・大伴連男吹負の死
Page74 天武天皇(百五)38氏に連姓を与える
Page75 天武天皇(百六)諸国の境・四季の初めに朝廷に・都城と宮室を複数
Page76 天武天皇(百七)東庭で弓を射る儀式・畿内と信濃と京師を視察
Page77 天武天皇(百八)百寮の進止威儀・政要は軍事
Page78 天武天皇(百九)信濃国の地図を献上・僧福楊の自殺
Page79 天武天皇(百十)百済の僧尼と俗人を武蔵国に・彗星が西北に
Page80 天武天皇(百十一)八色之姓
Page81 天武天皇(百十二)大地震と伊豆嶋の西北の神の嶋
Page82 天武天皇(百十三)五十二氏に朝臣の姓を賜う
Page83 天武天皇(百十四)流星群と孛星・4国の調役の免除
Page84 天武天皇(百十五)50氏に宿禰を賜う
Page85 天武天皇(百十六)唐の学生と捕らわれた者が新羅を経由して帰国
Page86 天武天皇(百十七)新たな爵位12階と48階
Page87 天武天皇(百十八)家ごとに仏舎を作り、仏像とお経を作り礼拝供養を
Page88 天武天皇(百十九)天皇は飛鳥寺で珍宝を仏に奉る
Page89 天武天皇(百二十)11氏族に忌寸を賜う・官位ごとに服の色を定める
Page90 天武天皇(百二十一)畿内の兵器を検校・全国の民の消息を調べる
Page91 天武天皇(百二十二)歌と笛を子孫に・大安殿で博戯・天皇の病
Page92 天武天皇(百二十三)百済僧の常輝は百歳・束間温湯へ行こうと
Page93 天武天皇(百二十四)儲用の鉄など・兵器を郡家に収蔵せよ・白朮の献上
Page94 天武天皇(百二十五)筑紫の防人の衣服の布
Page95 天武天皇(百二十六)無端事で問答・三綱と律師と大官大寺の知事と佐官に
Page96 天武天皇(百二十七)難波の室宮の火事・無端事・御窟殿で倡優に禄を
Page97 天武天皇(百二十八)侍臣と国司に勤位を・羽田真人八国の病死
Page98 天武天皇(百二十九)侍医の桑原村主訶都・川原寺の伎楽・新羅の献上品・斎宮
Page99 天武天皇(百三十)億仁の病気・天皇が体不安する・川原寺で薬師経
Page100 天武天皇(百三十一)草薙剣の祟り・天皇の病気を飛鳥寺の僧に誓願させる
Page101 天武天皇(百三十二)民部省の藏庸舍屋が火事・稲資材の徳政令
Page102 天武天皇(百三十三)朱鳥元年・飛鳥浄御原宮と名付ける・観世音像を作る
Page103 天武天皇(百三十四)観世音経200巻を読ます・皇子と寺に封を与える
Page104 天武天皇(百三十五)天武天皇の崩御と殯・大津皇子の謀反
Page105 天武天皇(百三十六)発哭と各人の誄
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